2017年03月26日

八街神社(千葉県八街市)

八街(やちまた)神社
2017年(平成29年)3月5日 参詣
千葉県八街市八街へ217 鎮座

八街の住所番地は「いろはにほへと」で区分されています。
千葉県は 他にも香取市佐原地区や 旭市、山武市の蓮沼地区などが「いろはに・・・」を使用

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鳥居

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手水舎

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参道から拝殿

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狛犬

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拝殿

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扁額

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本殿

御祭神 須佐之男命・稲田姫命・大己貴命

由緒
明治5年(1872)5月、武蔵野国北足立郡出身で八街、三咲、九美上などの開墾を率先して行った西村郡司氏が、家の氏神である大宮氷川神社の分霊を乞い、八街村 実住 字 氷川台ほ215番地 (現在の四区)に 祠(ほこら)をつくり、氷川様(ひかわさま)をまつったのが始まりです。
そして明治6年(1873)11月23日、官許を得て産土神八街神社とし、個人の社から地元の社にかわり、明治13年(1880)11月2日、氷川神社の本社より改めて遷座を行い、本社の宮司が八街で遷座式祭儀を行い、この後、実住、東実住、住野、西林、夕日丘、真井原、小間子の鎮守となりました。
明治27年(1894)、当時の合併による新八街村の村域と神社の位置を考慮して、西村家提供により現在の場所に当たる八街村八街へ217番地(六区) に遷宮し、村独立の11月2日を祭礼の日としました。

八街神社は明治6年11月、村民の希望により、元官幣大社氷川神社の御霊を勧請し八街村の産土神として祀っていたが、明治12年10月、戸長大久保正雄氏と西村郡司氏は氷川神社神官を再度招き盛大かつ厳粛な遷座祭を斎行した。
明治26年西村家より、現在地に土地11町歩余の寄進を受けて社殿を建立、明治27年11月3日遷座祭が斎行され、以後氏子崇敬者の心の拠り所として崇拝されてきた。
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社務所
開いている日と閉まっている日が あるので御朱印希望は電話確認が必須

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御朱印

posted by かめ忍者 at 22:11| 栃木 ☔| Comment(0) | 千葉の神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月25日

smile.Glico 笑顔トリビア

グリコのスマイルグリコのCMが素敵です
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俳優の妻夫木聡が出演するグリコのCM。

小学生の同級生たちと一緒に恩師宅を訪問する妻夫木さんは、30代後半。明るいハッピーな笑顔の仲間に囲まれながらも、浮かない顔の彼。席を外して縁側に腰かけていると、友達がグリコキャラメルを出してきた。

「smile.Glico 笑顔トリビア」 2016年12月19日公開

「あなたが笑えば、世界が変わる」

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人はなぜ笑うのだろう


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笑顔でいると頼りにされる


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笑うと脳が活性化される


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子供は1日平均400回笑う


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大人になると15回に減る


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笑顔の方が記憶にのこりやすい


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笑うから幸せになれる



人はなぜ笑うのだろう。


笑顔がなくても、生きてはいける。

【 笑顔でいると頼りにされる 】
【 笑うと脳が活性化する 】
【 笑顔は、300フィート先でも認識できる表情 】
【 誰かと一緒の方が、30倍も笑いやすい 】
【 子どもは1日平均400回笑う 】
【 大人になると15回に減る 】
【 笑顔の人の方が記憶に残りやすい 】
【 大切な人を想うと、自然な笑顔になる 】
【 世界でたったひとりだったら 人はきっと笑顔になれない 】
【幸せだから笑うのではなく 笑うから幸せになれる 】




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2017年03月24日

星光山 教王院 智音寺(栃木県鹿沼市)

2017年(平成29年)2月26日 参詣
栃木県鹿沼市茂呂1498 鎮座

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寺号標

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参道途中にある薬師堂
お薬師様も、「茂呂薬師」と呼ばれているそうです

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山門

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手水舎

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寺院内

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本堂

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◆宗派
天台宗
◆御本尊
阿弥陀如来


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「関東九十一薬師霊場・第56番札所」の御朱印


posted by かめ忍者 at 02:00| 栃木 ☁| Comment(0) | 栃木の神社・寺院(南西) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月23日

下野国 鷲宮神社(栃木県)再訪

2017年(平成29年)2月26日 参詣
栃木市都賀町家中451−2 鎮座

前回2015年03月30日の下野国 鷲宮神社
参拝記事

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境内入口、鳥居

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参道

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手水舎

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手水舎にニワトリ、お酉様ですから

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狛犬

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夢福神

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拝殿

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本殿

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御祭神 天日鷲命 大己貴命

創建は大同3年(808年)、元は現在地の東側を流れる思川河畔に鎮座していましたが、度重なる氾濫の為に承平元年(931年)に現在地へと遷座しました。

鎌倉幕府二代将軍、源頼家公が幼少の折、今の「百日ぜき」に罹り心配した頼朝の妻二位尼君(政子)が当社に鳥肉と卵を絶って病が治る様に祈願をし、頼家が回復するとお礼参りの使者として佐々木四郎高綱を社参させたといわれています。

「咳止めの神様」といわれる由縁



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社務所

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御朱印

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2017年03月19日

南房総の旅 鴨川へ、そして一之宮巡り

2017年(平成29年)3月上旬、千葉県鴨川を目指しました

愛車にて出発 🚙
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まず千葉県八街市、八街神社(やちまたじんじゃ)に参拝兼休憩
🚙

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玉前神社(たまさきじんじゃ)へ
千葉県長生郡一宮町にある神社。式内社(名神大社)、上総国一宮。
🚙


昼食
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そこから房総半島の太平洋岸を走り、勝浦へ 🚙
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2001年に全国勝浦ネットワークの縁により、徳島県勝浦町よりおよそ7,000体のひな人形を里子として譲り受け、ここ千葉勝浦でも「かつうらビッグひな祭り」が開催されました。
「かつうらビッグひな祭り」は開催期間中、勝浦市芸術文化交流センター「Küste」をはじめ、市内各所に約30,000体のひな人形が飾られ、街はひな祭り一色!市内浜勝浦の遠見岬(とみさき)神社の60段の石段一面におよそ1,800体の人形が飾られ、夕暮れ時からライトアップされます。
期間中(平成29年2月24日〜3月5日)は、子どもたちが稚児の衣装で統一したひな行列など盛りだくさんのイベントや土日は歩行者天国になり各種出店がありました。

🚙

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そして鴨川入りし、天津神明宮(あまつしんめいぐう)に参拝

🚙

ホテル入りしくつろぎました
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翌日、鴨川シーワールドへ

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🚙

莫越(なこし)神社参拝
南房総市・丸山町沓見(くつみ)。
ここには源頼朝(みなもと・よりとも)の伝説があります
西暦1180年、現在の安房の国(現・南房総)に、石橋山の合戦に敗れた源頼朝一行は上陸します。
源の頼朝は、源氏縁の小豪族であった。丸山町の丸(まる)氏の居城にしばらくの間滞在しました。ちょうど、伊豆に残して来た妻・政子が懐妊したのでした。そこで、頼朝は、安産・子育の神である莫越神社に安産祈願のため詣でます。そこでは、御神鏡を奉納しました。その後、平家を打倒し、天下を取ると神田二十町歩を寄進しました。


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🚙

館山市には一之宮の神社が2つ
安房神社
🚙
洲崎神社へ参拝
場所的にも簡単に来れる所じゃない洲崎神社は参拝客はいなく静まりかえっていました。

千葉県は「安房(あわ)国」「上総(かずさ)国」「下総(しもうさ)国」の3つの国から構成されています。
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安房国、本来は安房神社1つでしたが、2つの一宮が存在することになった経緯は?
(まあ越中國も阿波國も一之宮が四社もありますから)

ここでも源頼朝の伝説があります、1180年伊豆で挙兵した際、石橋山の合戦で敗れ海路で安房の地へ避難していたのです。
家臣数名に支えられて辛くも逃げ延びた安房の地で、頼朝は「もう一度チャンスを!」と再挙を期して参拝をしました。この時頼朝が向かったのがこの洲崎神社です。その後頼朝は、千葉常胤(ちばつねたね)などの協力を得て平家討伐を成功させ、見事願いを叶えることになるのですが、そのお礼に洲崎神社に「神田」の土地を奉っています。つまり洲崎神社は、頼朝からすれば天下統一の願いを聞き入れてくれた神様となるわけです。
この話は、多くの武士の心に勇気をもたらし、語り継がれてきました。中でも、江戸城を築きあげた太田道灌は洲崎神社を勧請して、城の鎮守(今の神田明神)にしたと『永享記』(室町以後の東国情勢を記した軍記)に記されています。戦国時代、安房の覇者「里見氏」もこの神社を尊崇しました。
後世の武士は、頼朝の偉業は決して平易な道のりではなかったこと、洲崎神社で源氏再興を願う頼朝の参詣の内に、ひときわ神懸かったストーリーを感じたのかもしれません。
ともあれ、このような経緯のもと、自然発生的に洲崎神社を「一宮」と呼ぶ風習が広まり、また江戸時代には松平定信が、「安房国一之宮大明神」と自筆した篇額を奉納したこともあり、本来は国に1つとされる一宮が、安房国館山には2つも存在することとなったのです。


posted by かめ忍者 at 18:00| 栃木 ☀| Comment(0) | 旅の指南 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする