
待ちに待ったギザの「大エジプト博物館」が2025年7月3日にグランドオープンするというニュースも発表され注目を集めてます
今回は2025年3月に訪れたプレオープン中の「大エジプト博物館」を見学してきました
大エジプト博物館Grand Egyptian Museum、通称GEM(ジェム)は、エジプトの重要な文化財を各地から10万点以上も集めた世界最大級の博物館として、2012年から建設が始まりました。場所は首都カイロ近郊のギザ。三大ピラミッドのほど近くに立っています。敷地に近づくと目に飛び込んできたのは、外壁に日本語で記された「大エジプト博物館」の文字! 建設にあたっては国際協力機構(JICA)を通じて多大な日本の支援が入っていることから、外壁だけでなく一部の展示物にも日本語が併記されています。これは日本人にとって嬉しいポイントですね。
ラムセス2世の名が刻まれた底がのぞけるオベリスクも必見
館内に入ると、目の前にはドーンとそびえるラムセス2世の立像が! メンフィスで発見されたこの像、以前はカイロのラムセス駅前に置かれていましたが、大エジプト博物館のために8時間かけて移送したのだとか。
ちなみに立像の左足が一歩前に出ているのは、生きている頃に作られた証。亡くなってから作られた像は両足が揃っているので、見学のポイントとして知っておくとより楽しめるはず。
巨大なラムセス2世像を拝みながら館内の奥へ進むと、さまざまな神やファラオの像が連なる階段が延びています。その数なんと60点超
アメン神とムトの像
これだけボロボロなので印象に残る
今でも色あせない、美しい装飾品に目をうばわれます。
ツタンカーメン 一神教から多神教に戻ったことを現わす石像
ツタンカーメンの父であるアクエンアテンは太陽円盤の神であるアテンのみを崇める一神教を信じていました。
しかし、エジプトではずっと、太陽神ラー(アメン=ラー)を中心とする多神教であったので、民衆は一神教に反発したため、ツタンカーメンは元の多神教に戻しました。
それを表している石板だとか。
ハトシェプスト女王のひざまずく像
ミイラの木棺も多数展示されている。棺内部の装飾も見事(たぶんグレコ=ローマン時代の棺)
カノプス壺(ミイラを作る時、臓器を入れていたもの)
ツタンカーメンの黄金のマスクなどを移し、最終的には10万点以上を収蔵する世界最大級の博物館になる予定らしい。
【古代エジプト史の概略】
@先王朝時代
紀元前3,500年頃には古代エジプトは上エジプト(カイロ南部〜アスワン)と下エジプト(カイロ以北のナイルデルタ地帯)それぞれに王朝があった。
A初期王朝時代
紀元前3,000年頃に上エジプトのナルメル王(Day7でも紹介予定)が下エジプトを征服し、初期王朝を建国。メンフィス(現在のギザ近郊)を首都とした。
B古王国時代
紀元前2,686年頃、ジェゼル王の階段ピラミッドを皮切りに多数のピラミッドが建設されるようになった。クフ王、カフラー王、メンカウラー王のピラミッドが作られたのもこの時代であり、古王国時代と呼ばれる。
C中王国時代
古王国時代終盤には地方州(ノモス)の州侯が離反し戦乱の世となるが、紀元前2,040年頃メンチュへテプ2世がエジプト全土を再統一する。首都はテーベ(現在のルクソール)に置かれ、中王国時代と呼ばれる。
D新王国時代
その後、再び統治が揺らぎ下エジプトはヒクソスに支配されるが、紀元前1,570年頃にイアフメス1世が滅ぼし、エジプトを再統一する。この時代は新王国時代と呼ばれ、古代エジプト文明が最も栄えた。ラムセス2世やツタンカーメン、ハトシェプスト女王はこの時代である。
E末期王朝時代
紀元前1,069年頃からアッシリアやアケメネス朝ペルシアの征服を受けるが、紀元前332年にアレクサンドロス3世が占領し、ファラオとして認められる。
Fプトレマイオス朝時代
アレクサンドロス3世の死後、紀元前305年に後継者であるプトレマイオスによって建国。紀元前30年に、後の初代ローマ皇帝となるオクタウィアヌスによって滅亡。クレオパトラ7世はプトレマイオス朝最後の女王だ。古代ギリシャからローマへの過渡期でもあり、美術史上はグレコ=ローマン(Greco-Roman)時代とも称される。
※厳密には各時代の間に戦乱の時代である中間期が存在する。
posted by かめ忍者 at 19:53| 栃木 ☁|
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エジプト旅行記
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