ブッダ(釈迦)の名言をご紹介します。
ブッダ(紀元前566年頃〜紀元前486年頃)は古代インドの宗教家で、仏教の創始者として知られています。
「最後に重要なのはたった三つのことです。どれだけ愛したか、どれだけ優しく生きたか、そしてどれだけ潔く自分に合わないものを手放したか」
ブッダ(古代インドの宗教家)
この世は仮の世界。劣等感、嫉妬心に意味はない。
仏教には十二因縁という教えがあるそうなのですね。
仏教には輪廻転生の考えがありますよね。人は生まれ変わるという。
動物が人間に生まれ変わることもあるそうなのですね。動物として徳を積む、善行を重ねる。それによって人間として生まれ変わることができるのだと。
では、人間になったらその先はないのかというと、そうではなくて「解脱」。解脱というのは輪廻転生のサイクルからの解放を表すと。
この世は修行の場なのだと。何度も生まれ変わり、修行を重ね、「もうこれ以上は生まれ変わる必要はありません」というところまで魂を向上させられると、その先にあるのが「解脱」。輪廻転生からの解放。
そこに到達することを目指して、人は何度も生まれ変わる。この世で修行を重ねる。
十二因縁というのは、輪廻転生のサイクルから抜け出すことができない原因を説いたものなのだと。
無明(むみょう)
行(ぎょう)
識(しき)
名色(みょうしき)
六処(ろくしょ)
触(そく)
受(じゅ)
愛(あい)
取(しゅ)
有(う)
生(しょう)
老死(ろうし)
「無明」を因として「行」という果をもたらすという形で、前者を因として、後者が果となるという形で展開していくのが十二因縁です。
「無明」とは、物事の真理を知らないこと。
この世の一切は無常であり、自己という固定したものは存在しないこと、物事が思い通りにはならないこと。それを知らないこと、それが「無明」と。
「行」とは、無明ゆえに誤った行いを繰り返してしまうこと。「識」とは、無明を根底とした認識。
「名色」とは、精神と肉体。「六処」とは、眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの感覚器官。
「触」とは、六つの感覚器官が外の世界に触れること。外の世界に触れることで生じる「心地よい」「心地よくない」という感覚、それが「受」。
心地よい経験には渇愛が生じ、心地よくない経験には嫌悪が生じる。これが「愛」。
それが進むと「それがないと生きていけない」「それがどうしても許せない」と、そこにとらわれた状態になる。それが「取」。
そのとらわれによって、その人はこの世に完全に結びつけられた状態になる。それが「有」。
この世に結びつけられることで、その人は再びこの世に生を受けることになる。それが「生」。
そして、やがては老い衰え、最後は全てを手放し、再び死を迎える。それが「老死」。
無明(@)が執着(G愛・H取)を生み、執着が輪廻転生からの解脱を妨げると。
この世は仮の世界
人はいつか必ず死にますよね。いくらお金を稼いでも、高い車を買っても、大きな家に住んでも、死んでしまえばそれは他の誰かのものになる。あの世には持って行けない。
あくまでこの世は仮の世界なのだと。何を手に入れても最後には全て手放す。自分のものなどというものはない。
嫉妬心、劣等感、全く意味のないものなのだと。
posted by かめ忍者 at 01:00| 栃木 ☁|
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