2016年06月30日

烏森神社(新橋)

2016年1月24日参詣
東京都港区新橋2−15−5 鎮座

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ニュー新橋ビル裏手の賑やかな飲食店街内にある神社です。
烏森神社の創建年代は不詳ですが、平安時代の天慶三年(940)に、東国で平将門が乱を起こした。時の将軍 藤原秀郷(ふじわらのひでさと)が武州のある稲荷に戦勝を祈願した際、白狐が現れ白羽の矢を与えた。
※秀郷は宇都宮大明神(現・宇都宮二荒山神社)で授かった霊剣を以って将門を討ったとも云われています
その矢を持ち、東夷を鎮め得た秀郷がお礼として、霊地の現所に勧請し社頭を造営したといわれる。
享徳4年(1455年)室町幕府の関東管領、古河公方といわれた足利成氏が戦勝祈願した祈願状は現存しているといいます。

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2016年06月29日

日比谷神社(東京)

2016年1月24日参詣
東京都港区新橋4-13-9 鎮座

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現在の日比谷公園の大塚山というところにもともと鎮座し「日比谷稲荷明神」「旅泊(サバ)稲荷明神」と称されていた。
創建年代は不詳なれど慶長年間には江戸城日比谷御門造営のために東新橋の地に遷座し、明治以降は鉄道線建築のために遷座している。
大正12年の関東大震災の影響で昭和3年に新橋4丁目に遷座。

もともとは「日比谷」の地に鎮座していたために、現在は「新橋」に鎮座しているが、当社は「日比谷神社」と呼称している。
このあたりまで東京湾がせまっていたころはサバ・イワシ・サンマなどが良く獲れ、特に当社は「鯖稲荷明神」として崇敬されてきた。
昔から「虫歯封じ」に霊験があるとされ、虫歯に苦しむ人はサバを断って祈願すると霊験があるとされ、虫歯の痛みがなおったのちにサバを奉納するのが習わしであったという。

平成21年に都市道路計画(環状2号線)の建設により新社殿を現在地の東新橋2丁目に遷座している。
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2016年06月28日

芝東照宮(東京)

2016年1月24日参詣
東京都港区芝公園4丁目8−10 鎮座

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東照宮のHPの御由緒に詳しく書かれています。
増上寺境内の家康公を祀る廟は、一般に安国殿と称された。これは家康公の法名「一品大相国安国院殿徳蓮社崇誉道大居士」によるものである。
安国殿の御神体は慶長6年(1601)正月、60歳を迎えられた家康公が自ら命じて彫刻された等身大の寿像で、公は生前、駿府城において自らこの像の祭儀をを行っていた。
死に臨んで公は、折から駿府城に見舞いに参上した増上寺の僧侶に、「像を増上寺に鎮座させ、永世国家を守護なさん」と仰せになり、この像を同寺に祀るよう遺言していたもので、安国殿の創建の時に造営奉行であった土井大炊助利勝(後の大老・土井大炊助利勝)の手により駿府から護り送られたのである。

安国殿は明治初期の神仏分離のため、増上寺から分かれて東照宮を称し、御神像を本殿に安置・奉斎した。
明治6年には郷社に列し、社殿は寛永18年(1633)の造替当時のものが維持されていたが、昭和20年5月25日の戦災により、御神像の寿像と天然記念物の公孫樹を除いて社殿悉く焼失した。
昭和38年には寿像が東京都重要文化財に指定され、昭和44年8月17日、復興奉賛会により社殿の完成を見て今日に至っている。

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2016年06月27日

増上寺(港区芝公園)

三縁山 広度院 増上寺
2016年1月24日参詣
東京都港区芝公園四丁目7番35号 鎮座

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増上寺は浄土宗の七大本山の一つ。
明徳四年(1393年)、酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)上人によって江戸貝塚の地に、浄土宗正統根本念仏道場として創建されたのが始まりと言われています。
江戸時代には、徳川家康の帰依を受けて徳川家の菩提寺として発展を遂げました。忠臣蔵のきっかけとなった殿中刃傷の引き金になったのは実は増上寺の参詣に関するトラブルからという様に、様々な物語や歴史の舞台にもなっています。
長く徳川家の庇護を受けてきた歴史を持ち、境内には二代秀忠、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の、六人の将軍の墓所がもうけられています。江戸幕府の歴史の長さと、その重みを知ることが出来ます。

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三縁山増上寺参門眺望之図(さんえんざんぞうじょうじ さんもんちょうぼうのず)

増上寺は東京の守り神とも言われています。それはなぜかというと、増上寺は戦災で大きなダメージを受けたにも関わらず、江戸時代から続く立派な建造物がしっかりと残っているからです。
(徳川家の将軍やその一族の御廟は焼失した。焼失をのがれた三門・経蔵・御成門などを含む境内は、昭和四十九年(1974)完成の大本堂とともに、近代的に整備された)

徳川家の菩提寺だけありますね。本堂にある「阿弥陀様」は家康公が、尊崇して、その加護によって災難を除け、戦勝を得たという仏様と言われています。

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勝運を招く黒本尊(くろほんぞん)も祀られていますので、スポーツの試合といった勝負どころに祈願しに参拝するのも良いです。

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2016年06月26日

飯倉熊野神社(東京都港区)

2016年1月24日参詣
東京都港区麻布台2-2-14 鎮座

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東京タワーを見上げるように飯倉の通りに面して鳥居がたっている。鳥居をくぐり階段を上がると、右側には木々に囲まれて手水が流れ、更に階段を上がって正面に本殿があります。

古来、祝融の災に遭うことたびたびに及び、古記録・宝物が失われているため、由緒沿革等詳細は不明であるが
創建は養老年間(717-724)とも、応永年間(1394-1428)に阿闇梨慶祚が紀州の熊野三山を勧請したとも伝えられる。武家の崇敬が厚く、文明年間(1469-1487)には太田道灌によって再建された。江戸期には別当を正宮寺といって寛永寺の末であった。
江戸時代までは熊野権現、熊野宮と称したが、明治維新後に社号を熊野神社と改称した。

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  👆 江戸名所図会 飯倉 熊野権現社

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熊野神社といえば、八咫烏
日本神話では、神武天皇が大和征服に向かった際(神武東征)に大和までの道案内をしたカラス

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飯倉熊野神社の御朱印、八咫烏の親子の印が印象的です。
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2016年06月25日

出世の石段〜港区 愛宕神社

2016年1月24日参詣
東京都港区愛宕一丁目五番三号 鎮座

東京虎ノ門、オフィス街のど真ん中にありながら緑溢れ、東京23区内で最も高い自然の山『愛宕山』にある 愛宕神社

 
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1603年、慶長8年、江戸に幕府を設く徳川家康公の命により防火の神様として祀られました。
慶長15年、庚戊本社をはじめ、末社仁王門、坂下総門、別当所等将軍家の寄進により、建立されました。祭礼などには下附金を賜るほど、当時の幕府の尊崇は篤いものでした。
その後江戸大火災で全焼してしまいましたが、明治10年、9月に本殿、幣殿拝殿、社務所の再建がなりました。
大正12年9月1日、関東大震災に、昭和20年5月24日帝都大空襲により太郎坊神社を残し社殿は焼失しましたが、昭和33年9月、氏子中の寄付により、御本殿、幣殿、拝殿などが再建され、現在に至ります。



防火、防災のご利益で有名な神社ですが、正面の男坂に「出世」に関連する逸話
江戸時代、「天下取りの神」「勝利の神」としても知られた愛宕神社。正面の急な階段「男坂」が「出世の石段」と呼ばれているのには次の様な理由があるんです。

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江戸時代、増上寺を参拝した帰りに、徳川家光が山上に咲く梅の美しさに惹かれ、「梅の枝を馬で取ってくる者はいないか」と供の者達に聞きました。あまりの急な階段に皆が尻込みをする中、讃岐丸亀藩の家臣、曲垣平九郎(まがきへいくろう)が見事に馬で石段を駆け上がり枝を取って来たため、馬術の名人としてその名を轟かせたというものです。

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愛宕神社をめぐる逸話はこれ以外にも多数ありますが、中でも、江戸城の無血開城に先だって、勝海舟と西郷隆盛が相談した場所
もう1つ、桜田門外の変の際に水戸藩士の集合場所 になった場所としても知られています。

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2016年06月24日

虎ノ門 金毘羅宮(東京)

2016年1月24日参詣
東京都港区虎ノ門一丁目二番七号 鎮座

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万治三年(1660)に讃岐那丸亀藩主であった京極高和が、その藩内の像頭山に鎮座する、金刀比羅宮(本宮)の御分霊を当時藩邸があった芝・三田の地に勧請し、延宝七年(1679)、京極高豊の代に現在の虎ノ門(江戸城の裏鬼門に当たる)に遷座いたしました。
爾来江戸市民の熱烈なる要請に応え、文化年間(1,804〜1,818)末頃から、毎月10日に限り邸内を開き、参拝を許可しました。
当時は金刀比羅大権現≠ニ称されていましたが、明治二年(1869)、神仏分離の神祇官の沙汰により事比羅神社に、明治二十二年(1889)には金刀比羅宮に社号を改称し現在に至ります。

社務所が高層ビルの一部を使用するなど、ビル群と一体化しています。

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2016年06月23日

スポーツ振興の神様 亀戸香取神社(東京)

2016年1月24日参詣
東京都江東区亀戸3-57-22 鎮座

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亀戸は元々亀の形に似た島であり亀島、亀津島などと称されていた。
天智天皇4年(665年)、東国下向中だった藤原鎌足が当地に香取神を勧請して創建したと伝える。
鎌足は船で着岸して祀ったという。後にこの島は陸続きとなって、亀村という村が出来る。この村内にあった井戸「亀ケ井」と混同され「亀井戸」となり、さらに後に転訛して「亀戸」となったという。
社殿は第二次世界大戦で戦災焼失し、戦後のものだが、木造で再建されている。

スポーツ振興の神として、スポーツの大会や試合の勝利を願う人々が多く参拝する神社。

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社務所にもテレビや新聞記事の掲載された内容が貼られていました。

スポーツ振興の神として必勝の云われは、平将門が乱をおこしたときに、追討使俵藤太秀郷が参拝し戦勝を祈願したそうで
その後、乱が平定したことからお礼に弓矢を奉納し勝矢と命名されたことが始まりのようです。

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2016年06月22日

亀戸天神社(鷽替神事限定御朱印)

亀戸天神社(かめいどてんじんしゃ)
2016年1月24日参詣
東京都江東区亀戸3丁目6番1号 鎮座

私たちは「鷽替え神事」期間中に参拝しました。もちろん木彫りの鷽も購入するため並びました。

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正保年間(1644〜1647)、菅原道真の末裔であった九州の太宰府天満宮の神官、菅原大鳥居信祐は、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもち、諸国を巡った。そして寛文元年(1661)、江戸の本所亀戸村にたどり着き、元々あった天神の小祠に道真ゆかりの飛梅で彫った天神像を奉祀したのが始まりとされる。

当時、明暦の大火による被害からの復興を目指す江戸幕府は復興開発事業の地として本所の町をさだめ、四代将軍徳川家綱はその鎮守神として祀るよう現在の社地を寄進した。そして寛文2年(1662)、地形をはじめ社殿・楼門・回廊・心字池・太鼓橋などが太宰天満宮にならい造営された。

古くは総本社にあたる太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」「本所宰府天満宮」と称されていたが、明治6年(1873)に府社となり亀戸神社、昭和11年(1936)に現在の亀戸天神社となった。


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鷽替神事限定 御朱印
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2016年06月21日

行田八幡神社の境内社「大国主神社」「目の神社」

2016年1月10日参詣
行田八幡神社の境内
埼玉県行田市行田16-23 鎮座

大国主神社
恵比寿神社との二社一棟の御社殿に祀られ、御朱印も頒布されます。
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目の神社(めのかみしゃ)
味鋤高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)を祀ります。
眼病の神として信仰が厚く「むかいめ」の絵馬が数多く奉納されています
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「なで桃」です
延命長寿、病魔退散を願う「なで桃」にはたくさんの絵馬がありました。


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