2016年10月30日

蚕影山信仰の起源 蚕影神社(つくば)

蚕影神社(こかげじんじゃ)
正式表記(旧字体)は蠶影神社。通称は蚕影山(こかげさん)神社

2016年6月18日参詣
茨城県つくば市神郡1998番地 鎮座

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全国にある蚕影神社の総本社
ですが・・・栄枯盛衰、荒れ果てていました。

創建は一番古い伝承では崇神天皇時代に祀られたと伝えられ、その他、成務天皇の時代筑波国造りが赴任されると同時に養蚕や農業の発展に力が注がれ、豊浦に稚産霊命が祀られ、同時期に蚕影山の麓に蚕影山桑林寺が建立された。
又、延長4年(926)に創建という方もいらっしゃいます。
何れにしろ千年以上の歴史を誇る古社で、往古から蚕の神様として北関東や甲信地方などの養蚕農家の信仰を集めたていことに変わりはなく、関東近県はもとより遠く長野県からも参拝者があったようです。けれど蚕影山桑林寺は明治の廃仏毀釈により廃寺となり、蚕影山神社のみ残されたようです。

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全国各地にある蚕影山信仰は、茨城県の蚕影山神社の信仰が流布したもので、この神社の縁起として、養蚕および蚕神の起源を説く金色姫の物語が中世末から近世にかけて語られていた。御伽草子《戒言(かひこ)》もその一つである。
その昔、筑波山の麓は海だったのだとか
「金色姫伝説」では、“金色姫は豊浦湊に漂着し猟師に助けられた” とあります。
多々ある「筑波」という地名の由来の一つに“波が寄せる場=着く波(つくば)”という説もあるそうです。

古来より有名な常陸紬、即ち結城紬の産出及び鬼怒川(絹川・衣川)、小貝川(蚕飼川)、糸繰川など蚕業に関わる地名があるのは上代を物語る証左である。同名の社は甲信陸野武総諸州の各所にあるが、それらは皆当神社の御分霊であり、それ故に当神社の御神札に『日本一社』と拝記する。正に日本養蚕の始めと誇るところで、全国蚕業家尊崇の名社である。

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蚕影神社への石段の手前に古い建物が佇んでいて、その脇に「専用駐車場 春喜屋」と書いた看板が立っています。
ここ春喜屋は昭和初期まで蚕影神社の参詣者のための旅館・休憩施設を経営し、現在も神社にちなんだ蚕影羊羹や手ぬぐいを売っているそうです。

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ガラス越しに「神札御守授与所」という表示と御守が何種類か置いてあるのが見えました。

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春喜屋の前を過ぎるとすぐに石段があり、「蚕影山神社 入口」という道標がいざなっております。

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社殿までは長い石段が続く。神社がある山を俗に子飼山(大日本地名辞典)、蚕飼山(筑波山名跡誌)、神郡山などという。蚕影山は寺院時代の山号である。

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御朱印は筑波山神社にて頂きました
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2016年10月29日

日本の橋、人気ランキング2016

トリップアドバイザーが「口コミで選ぶ 日本の橋ランキング」を発表した。本ランキングはトリップアドバイザーに投稿された口コミを基に日本国内の橋(鉄道橋を含む)トップ30をランキングしたもので、最新の土木技術で建造された橋から、長い歴史を誇る木造の橋、朽ち果ててもはや眺めるだけの橋まで、様々な橋がランクインしていますね。

1位
伊良部大橋(沖縄県)
2015年1月31日に開通した宮古島と伊良部島を結ぶ伊良部大橋は無料で渡れる橋では日本一の長さ。
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2位
角島大橋(山口県)
山口県の北西部から沖に浮かぶ角島を結ぶ橋。全長は1780mで、日本海の淡いブルーを左右に眺めながら渡ることができます。自動車のテレビCMやドラマのロケ地にも使われたことで有名となった。
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3位
古宇利大橋(沖縄県)
古宇利大橋は沖縄本島の本部半島の東、名護市の屋我地島と今帰仁村の古宇利島を結ぶ全長1960メートルの橋。沖縄屈指の美しい海の上を一直線に伸びる橋は、沖縄ならではの絶景です。
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3位以降では、日本三名橋のひとつである山口県の「錦帯橋」や、約800年前平家一族が架設したと言われる徳島県の「奥祖谷二重かずら橋」、江戸時代末期の技術の粋を集めて作ったアーチ式の石橋である熊本県の「通潤橋」、ダムの水位が低い時期にしか見ることができず、北海道遺産にもなっている「タウシュベツ川橋梁」などがランクイン

1位:伊良部大橋(沖縄県)
2位:角島大橋(山口県)
3位:古宇利大橋(沖縄県)
4位:通潤橋(熊本県)
5位:池間大橋(沖縄県)
6位:錦帯橋(山口県)
7位:碓氷第三橋梁(群馬県)
8位:夢の吊橋(静岡県)
9位:不動沢橋 / つばくろ谷(福島県)
10位:阿嘉大橋(沖縄県)
11位:多々羅大橋(広島県・愛媛県)
12位:奥祖谷二重かずら橋(徳島県)
13位:明石海峡大橋(兵庫県)
14位:レインボーブリッジ(東京都)
15位:来島海峡大橋(愛媛県)
16位:余部鉄橋 空の駅(兵庫県)
17位:岩間沈下橋(高知県)
18位:河童橋(長野県)
19位:谷瀬の吊り橋(奈良県)
20位:タウシュベツ川橋梁(北海道)
21位:大鳴門橋(徳島県)
22位:祖谷のかずら橋(徳島県)
23位:来間大橋(沖縄県)
24位:天草五橋(熊本県)
25位:猿橋(山梨県)
26位:蓬莱橋(静岡県)
27位:関門橋(山口県)
28位:八幡流れ橋(京都府)
29位:新湊大橋(富山県)
30位:二重橋(東京都)

posted by かめ忍者 at 22:14| 栃木 ☁| Comment(0) | 旅の指南 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

椎尾山 薬王院(真壁町)

椎尾山薬王院(しいおさんやくおういん) 椎尾寺
2016年6月18日参詣
桜川市真壁町椎尾3178 

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本堂

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仁王門の横に草履がありました。
「生命安全、無事故無違反の人生・家内安全」と書かれていました

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三重塔


筑波山の支峰の一つで標高256mの椎尾山の中腹に薬王院はあります。延暦元年(782)最仙上人の開基、桓武天皇の勅願寺と称し法相宗の寺院として建立された。

延暦20年(802)、伝教大師により天台宗に改められる。
天長2年(825)、慈覚大師により再興され天台宗の檀林寺として44ヶ寺坊を持つようになった
しかし、次第に衰退し廃寺寸前になる
弘安年間(1278-1287)、忍性・玄性の両僧が再興し伽藍の造営する。
天文3年(1534)4月29日、野火により本尊である薬師瑠璃光如来を除く伽藍寺坊・什宝記録を失う
本孝法印の時に伽藍建設を開始し、延宝8年(1680)10月法弟尊孝の代にて完成、本孝・尊孝を以って中興開山とする。
その後、江戸期に徳川氏より朱印地100石を寄進される。

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御朱印は阿弥陀堂左手、庫裡にて頂きました

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posted by かめ忍者 at 12:03| 栃木 ☁| Comment(0) | 茨城の神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月26日

上野公園 医薬祖神 五條天神社

2016年6月5日参詣
東京都台東区上野公園4-17 鎮座

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無病息災を願う人、医療関係者等が祈願に訪れるという「五條天神社」。
花園稲荷神社のすぐ隣にありますが、雰囲気が全く違い、落ち着いた渋い神社という感じで、若干地味なイメージがあるかもしれません。その為、あまり外国人の姿を見かけませんで、静かにお参り出来ていいかもしれません

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社伝によれば、日本武尊が東征のおりに大己貴命と少彦名命を上野忍が岡に祀ったものとされ、天神山(現摺鉢山)や瀬川屋敷(現アメヤ横丁入口)など、幾度か社地を転々とした後、昭和3年(1928年)9月に創祀の地に最も近い現在地に遷座された。
また相殿の菅原道真公は、江戸時代に入り寛永18年(1641年)に合祀されたという。

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なかなか素敵な 手水鉢

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posted by かめ忍者 at 21:46| 栃木 ☁| Comment(0) | 東京の神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月25日

上野公園 花園稲荷神社(忍岡稲荷)

2016年6月5日参詣
東京都台東区上野公園4-17 鎮座

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御創祀の年月は不祥ですが、古くからこの地に鎮座し、忍岡稲荷(しのぶがおかいなり)が正しい名称ですが、石窟の上にあった事から俗称、穴稲荷とも云われていました。

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承応三年、天海大僧正の弟子、本覺院の住僧、晃海僧正が、霊夢に感じ(家光の命とも言われている)廃絶していたお社を再建し上野の山の守護神としました。

幕末、彰義隊の戦では最後の激戦地(穴稲荷門の戦)として知られています。

後、明治六年に岩堀数馬、伊藤伊兵衛等の篤志家によって再興され、花園稲荷と改名、五條天神社が現地に御遷座になるに及び、社殿も南面して造営され神苑も一新されました。(旧社殿は俗称お穴様の処です)

お穴様の左奥にありますお社は、古書に弥佐衛門狐と記され、寛永寺が出来る時忍岡の狐が住む処が無くなるのを憐み、一洞を造り社を祀ったと云われます。

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御朱印は、隣の五條天神社にて頂きました
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posted by かめ忍者 at 22:56| 栃木 ☁| Comment(0) | 東京の神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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