2016年11月30日

大井神社 (水戸市飯富町)

2016年8月19日参詣
茨城県水戸市飯富町3475 鎮座

社伝によると、第10代崇神天皇の御世に、皇子・豊城入彦命の命を奉じて建借馬命が当地に至った。そして長者山に館を構え、北東の当地に神社を建てて天照大神を祀ったのが創祀という。
その後奈良時代には、那賀郡(那珂郡)の郡領・宇治部氏が「建借馬命」(たけかしまのみこと)を奉斎したという。
水戸市愛宕の愛宕神社
が墳上にある愛宕山古墳は「建借間命」の墓であると考えられています。

平安時代中期の『延喜式神名帳』では「常陸国那賀郡 大井神社」と記載され、式内社に列している。

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境内案内図

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鳥居

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本殿へ続く階段の途中、弁天様が祀られていました

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斜面の巨木の根に「女化(おなばけ)稲荷神社」

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急な斜面、階段を上りきったところに拝殿

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本殿

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「お袋様」
地味に怖いです・・・

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「八方神」
八角形に石祠を並べてあり、中央に白い鉱石が祀られていた。

その他に本殿裏の奥宮、万歩杉、伊勢金比羅参り碑、氏神舎藁宝殿などなど
境内は結構広く、高低差もありました。


この大井神社と地名の飯富町のいわれがよく言われており
建借馬の出であるとされる肥の国(九州)の意富臣(おふのおみ)から、この神社は意冨比(おほひ)神社と言った。
それが転じて意冨比(おほひ)→おおい→大井となり、地名も意冨→飫冨→飯富と変じたといわれています。


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御朱印は鳥居脇の宮司宅にて頂きました


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2016年11月29日

成田のうなぎ専門店 川豊本店

「成田山 新勝寺」がある成田参道は、うなぎ料理を提供する店が約60店舗並ぶ関東有数のうなぎの町で、比較的リーズナブルに老舗の味が楽しめちゃいます。

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新勝寺参拝時には「川豊」でランチを食べたいと思っていました。
川豊 本店
営業時間:10:00〜17:00(L.O) 月曜日(月曜日が祝日の場合は翌火曜日が休み)
千葉県成田市仲町386
JR成田駅、京成成田駅から徒歩11分
0476-22-2711

整理券はお店の左側に2台有り、整理券が無いと入れません。でもHPで何番迄OKとか見れるので、近くで散策していられます。

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入り口ではうなぎをどんどん裂いて、どんどん焼いています。

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鰻は肉厚で表面が適度な焦げ目、若干甘さ抑え目のさっぱり味の秘伝のタレで、フワッと柔らかく香ばしい味が特徴。

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利根川はうなぎの産地で、その利根川と同じくうなぎの産地である印旗沼にはさまれる位置に成田山があります。そのため、成田では一年を通してうなぎが獲れる環境にありました。江戸時代になると、江戸から3〜4日で行ける手軽な行楽地として栄え、旅の疲れを癒してもらおうと、精の付くうなぎ料理を出す旅館や料理店が増えていったのだそうです。

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2016年11月28日

子ノ権現 天龍寺(飯能)

大鱗山 雲洞院 天龍寺(通称・子ノ権現)ねのごんげん
2016年11月26日参詣
埼玉県飯能市南461 鎮座

武蔵野三十三観音 第三十二札所
関東百八地蔵尊 第十番札所

足腰に不安がある方は、お車での参拝をお勧めします。西武池袋線の飯能駅、または、西武秩父線の東飯能駅から、タクシーで約40分です。足腰が丈夫な方は、西武秩父線の吾野駅か西吾野駅から、ハイキング道を徒歩で約90分です。

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茶店の並ぶ参道の奥に、赤い鳥居が立つ。

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鳥居を抜けると黒門が見えてきます

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黒門
子ノ聖は、出羽三山を始め、諸国で修行し、当地に至った。
山に入るときに、悪鬼に邪魔をされ、火を放たれたが、十一面観音が天龍の姿となって現れて雨を降らし、火を消した。
このことにより、子の山山頂に至った子ノ聖は、十一面観音を祀って、寺の名を天の龍の寺、「天龍寺」としたそうです。

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露座の仁王像は稀有な存在

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本堂

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角大師や豆大師の護符で親しまれる「厄除元三大師」・十一面観音・不動明王様等が合祀

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本尊様へ履物を奉納し、各自の願をかける慣しがあります

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重さ2tの鉄のワラジ
子ノ聖が、「我、魔火のために腰より下に傷を負い悩めることあり、よって、腰より下に病ある者、誠の心で我を念ずれば、必ず霊験を授けん。」と言い遺していることから、足腰に験あらたかであるとされ、願いを立てるにあたっては、本堂に履物を供えるのが倣いとなった。そのシンボルとも言うべき存在が、この鉄の草鞋です。

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本坊
茅と杉皮で葺かれた屋根は圧巻。
大黒柱は楓の大木が使われているらしいです。
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天長9年(832)の子の年、子の月、子の日、子の時刻に生まれ7歳で仏門に帰依した子ノ聖が、延喜11年(911)に創建した。
その後、弟子の恵聖上人が子ノ聖を大権現と崇め、子ノ聖大権現社を建立されました。


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御朱印は、本坊にある授与所にて頂きました


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2016年11月27日

神仏習合の遺構 竹寺(飯能)

医王山薬寿院八王寺(通称・竹寺)
奥武蔵俳句寺とも
2016年11月26日参詣
埼玉県飯能市南704 鎮座

武蔵野三十三観音霊場の33番札所

車一台が通り抜けるのがやっとの狭い道が、くねくねとカーブを描きながら、急斜面を登って行く。対向車が来たらどうなるだろうか? 超集中しながら竹寺に無事に到着

お寺の略縁起によれば、天安元年(857)、「最澄」の弟子、慈覚大師「円仁」が東国巡修のおりに、疫病の流行を憐れみ、当山を道場として大護摩の秘法を修し、仏像を彫り残した。以後、山岳信仰の道場として歴史を刻んでいる。(従って天台宗になります)


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寺院ではあるが、いきなり鳥居が現れる。標柱には「牛頭天王 参道」の文字が刻まれていました。
この竹寺は、神仏習合のお寺として知られています。
明治維新の際には、標高490メートルという奥武蔵の深山にあったことと、修験道が盛んで神仏習合に寛容だった土地柄であったこともあり、神仏分離を免れたのだと云います。

ここは”奥武蔵俳句寺”としても知られ、境内には俳人の句碑が多くのこされています。また境内には樹齢400年「太田道灌」が植えたといわれる高野槙(コウヤマキ)も茂っています。また竹寺といわれるだけあって周辺には竹が多く茂っています。

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トーテムポール

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牛頭明王の像。平成4年に中国の人達から寄贈されたもの
銘板には天王ではなく”明王”とされているのは仏教の関係ですね。

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観音堂
聖観世音が祀られており、武蔵野観音の三十三番結願寺

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弁天堂

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本地堂(瑠璃殿)

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竹の鳥居

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鳥居に茅の輪を潜って牛頭天王宮へ向かう
まさに神社の装い

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牛頭天王本殿

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本坊
予約すれば精進料理が味わえる。(予約はこちら→042-977-0108)
自然の恵みである薬草を素材とした薬膳ですが、春(3月〜6月)と秋(9月〜12月)、住職の法話をお聞きしながら楽しめるものです。
またぶらりと訪れた場合でも「蕎麦膳」を楽しむ事ができます。

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授与品の数々
この場所にて庶民将来の御守りと御朱印を賜りました。

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武蔵野三十三観音霊場の33番札所の御朱印


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御朱印にも神仏習合の文字


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2016年11月26日

神仏分離から逃れた寺 ハイキング(飯能市)

2日前に関東甲信で初雪
都心の11月の初雪は1962年以来54年ぶりで、平年より40日早い。
(統計史上、最も早い初雪は1900年11月17日)
都心では11月の積雪は1875年の統計開始以来初めてという事態

シャレンジングではありますが秩父連峰の東端、竹寺と子の権現を歩くコースを行き「蘇民将来」のお守りと御朱印を頂きにご利益散歩・・・じゃなくご利益ハイキングに出掛けてしまいました。

その背景には、蘇民将来のお守りが常時授与されているのかどうか竹寺へ電話して、話が弾んで道の雪の状態は大丈夫ですと住職さん。じゃあ行きますと言ってしまった手前の行動でした^^;

埼玉県人にはよく知られたハイキングコース(以前、埼玉県人だった事もある私)
関東ふれあいの道
〜奥武蔵の刹那を訪ねる道〜として整備された一般向きのコースの約9.5キロがメジャーコースらしいです。
西武池袋線の吾野駅から法光寺・子ノ権現・竹寺などの古刹を訪ね、名栗小殿バス停に至るまで(※バス亭から飯能駅まで約45分)
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目指すは竹寺へGO

私は竹寺まで自家用車で行き
竹寺 ⇄ 豆口峠 ⇄ 子ノ権現(往復約5.8キロ)という行動計画
電車・バス利用でも来ている方々を見かけましたし、竹寺の先輩奥様にもバスで来たんですか?と問われました。


段々近づくにつれ道が狭くなり峠道に・・・そして・・・雪が結構残ってる
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なんとこの看板を過ぎてまもなく・・・10頭以上の鹿の群れに遭遇しました。

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※こんな感じ^^ 鹿の群れ写真はイメージです

細い道になり、まったくすれ違う車がなかったのが幸いでした。
この場所に車で沢山の参拝客が訪れたら大変な事態になること必至です。

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何事もなく無地に到着しました

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蘇民将来のお守りも授かってまいりました。

蘇民将来については、
「牛頭天王」
の記事や
「守谷 八坂神社」
の記事にもちょろちょろ記しておりまして、そのうち備忘録として まとめて記しておきたいと考えてます。

御朱印は、また後日

しかし初積雪の2日後、山奥のお寺に参拝者などいないだろうと思っていましたが、意外とたくさんの人がいるのには驚きました。

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紅葉が綺麗で 落ち葉の絨毯がすこぶる綺麗でした。

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子ノ権現、仁王像の後ろ姿

子ノ権現 は、正式名称「大燐山天龍寺」で、天台宗のお寺です。
御本尊は、子ノ聖大権現で、武蔵野三十三観音霊場の第三十二番札所となっています。
なので、霊場巡りをするときは、こちらから竹寺に向かって歩くのが正解です。
参拝後、本坊にて御朱印をいただきました(こちらも御朱印は後日)


神仏習合が色濃く残る興味深い、ご利益ハイキングでした。


※今回訪れた竹寺(八王寺)名誉住職の亮雄大和尚さま、今年で御年99歳であられましたが平成28年4月26日遷化されました。ご冥福を祈ります。

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2016年11月23日

水戸 愛宕神社(愛宕町)

2016年8月19日参詣
茨城県水戸市愛宕町10-5 鎮座

水戸愛宕神社は那珂川西岸の河岸段丘上に位置し、標高約40メートルの愛宕山古墳の山頂に鎮座する神社です。
古墳は、発見された埴輪から6世紀初頭のものだそうで、当時那珂川両岸におかれた仲国の首長の墓だそうです。

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鳥居と社号標

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拝殿

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創建は朱雀天皇の天慶元年(938)に常陸大掾平国香(だいじょうたいらくにか)が、山城国(やましろのくに)愛宕郡(現在の京都市右京区愛宕町)愛宕神社より分霊をいただき、常陸国府中(今の石岡市)に勧請されたのがはじまりです。
その後、長和3年(1019)国香の子・大掾貞盛により旧水戸城内に遷座
元亀年間(1570-1573)、江戸道勝により場外三の丸に遷座
天正8年(1580)、江戸氏を滅ぼした佐竹義宣により現在地へと遷座

古墳の上に建てられた神社は 珍しいですね。

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2016年11月22日

常陸国三宮 吉田神社

2016年8月19日参詣
茨城県水戸市宮内町3193-2 鎮座

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日本武尊(やまとたけるのみこと)を祭神とし、「延喜式」では名神大社(神々の中で特に古来より霊験が著しいとされる神に対する称号)にも名を連ね、その上「常陸国第三宮」(鹿島神宮、静神社、吉田神社)にも数えられています。

創建のはっきりとした年代はわからないが、古文書によると正安4年(1301)は御創建以来800余年に当たるとあるそうで、逆算すると23代顕宗天皇・24代仁賢天皇・25代武烈天皇のあたり(450-506)かと思われます。

日本武尊が東征時にこの地(朝日山)にて休息した故事を持って、神社を創建し日本武尊を祀ったのだそうです。

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随神門もあり、邪悪なものが入り込まないように守護する二神の像があり、平常心を保て、安心して神社仏閣巡りができます。

縁結びスポットはと言えば、境内にある「縁結び笹」。拝殿前にあるこの笹の葉を結ぶと良縁に恵まれると昔から言い伝えられています。
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特にこの笹、利き手ではない方の片手で結ぶ事が出来たら恋愛成就!願い事がかなうということですよ。

その他水戸光圀公お手植えの「榊」や春に美しい花を咲かせる「しだれ桜」も見逃せない神社です。


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2016年11月21日

天武忌(奈良 薬師寺)

息子の受験勉強のさなか・・・大怪人!なる響きが?
「だいかいじん」じゃねえよ!大海人皇子(おおあまのおうじ)じゃね
そんな話題から備忘録として打ち込みました。
奈良の薬師寺へは高校の修学旅行以来足が遠のいています。そのうちにまた足を運びたい思いです。


奈良大本山 薬師寺
奈良県奈良市西ノ京町457 鎮座

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「古事記」は奈良の都で完成しました。今に伝わる日本最古の書物には、いにしえの人の姿が時には大らかに、時には情感たっぷりに描かれています。編纂を命じたのは天武天皇。「壬申の乱」に勝利し新たな国造りを推進した第40代天皇ゆかりの寺、薬師寺


天武天皇がまだ大海人皇子(おおあまのおうじ)だった時から苦楽を共にしてきた鵜野讃良(うのさらら)皇后(のちの持統天皇)が680年病に倒れました。天皇は皇后の病気平癒を願い、薬師如来を本尊とする薬師寺の建立を着手。まもなく皇后は回復しますが、天皇は寺の完成を見ぬまま686年に崩御しました。
薬師寺の東塔の銘文「東塔檫銘(とうとうさつめい)」には、天武天皇の発願から持統天皇が天武天皇の意思を継いで寺を完成させたことなどが記されています。

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(万燈会では大講堂に献燈をお供えし、白鳳伽藍を荘厳します。 献燈 1燈 1,000円)

持統天皇2年(688年)、薬師寺にて無遮大会(むしゃだいえ)という行事が行われたことが『書紀』に見え、この頃までにはある程度伽藍が整っていたものと思われる。『続日本紀』によれば、文武天皇2年(698年)には寺の造営がほぼ完成し、僧を住まわせている。この創建薬師寺は、藤原京の右京八条三坊の地にあった。大和三山の畝傍山と香久山の中間にあたる橿原市城殿町に寺跡が残り、「本薬師寺跡」として特別史跡に指定されている。

その後、和銅3年(710年)の平城京への遷都に際して、薬師寺は飛鳥から平城京の六条大路に面した右京六条二坊(現在地)に移転した。


天武忌(てんむき)
薬師寺創建を発願された第40代天武天皇は朱鳥[あけみどり]元年(686)9月9日、56歳で崩御されました。例年、薬師寺一山僧侶挙げて、10月9日(旧9月9日)午前9時に、明日香檜隈大内陵[あすかひのくまおおうちのみささぎ]にお参り致します。

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薬師寺では、小倉遊亀画伯にご奉納頂いた天武天皇・持統天皇・大津皇子の御絵像を白鳳伽藍大講堂内にお祀りして、日本の礎を築かれた天武天皇のご遺徳を偲び天武忌の法要と奉納行事を厳修致します。[天武天皇・持統天皇・大津皇子の御絵像は大講堂にて8日より10日まで(予定)ご参拝頂けるそうです。

時間があれば行きたいな〜

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2016年11月20日

淡島神社・電気神社・聖徳養蚕神社(別雷皇太神 境内社)

2016年8月19日参詣
茨城県水戸市元山町1-1-57 鎮座の別雷皇太神 境内社3社の備忘録


淡島神社(あわしまじんじゃ)
御祭神:少彦名命
御鎮座:水戸市元山町1-1-57 別雷皇太神境内社
縁結び,婦人病平癒,手芸上達の神です。
現在でも毎年2月8日に、豆腐に折れた針を刺す「針供養祭」の神事が続いています。
縫い物の上達を願う特殊神事

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右下の茶色の針刺し印が印象的


電気神社
御祭神:別雷命
鎮座:水戸市元山町1-1-57 別雷皇太神境内社
電気事業安全、電力安定供給、また通信守護の神という変わり種です

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薄いですが右下の黄金の建物と稲妻の印が印象的


聖徳養蠶神社(しょうとくこがいじんじゃ)
御祭神:和久産巣日神
鎮座:水戸市元山町1-1-57 別雷皇太神境内社
養蚕守護,学業成就,手芸上達の神です。
淡島神社の針供養にも繋がる養蚕の神を祀っていた神社なんですかね

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右下に緑の蚕の印が印象的

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2016年11月19日

別雷皇太神(水戸)

「別雷皇太神(べつらいこうたいじん)」
2016年8月19日参詣
茨城県水戸市元山町1-1-57 鎮座

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社名の通り、京都の上賀茂神社こと、賀茂別雷神社を本社としています。

此方は群馬県板倉の雷電神社、つくば市の金村別雷神社とともに関東三雷神の一社とされています

【由緒】
神亀元年(724)に、常陸守の藤原宇合(ふじわらのうまかい)が勅命で蝦夷征討に向かう際、東北地方鎮護の神として京都より賀茂別雷神社の御分祀を祀ったのが始まりとされているそうです。
現在の水戸地方第一の古社であり、佐竹氏や徳川氏の産土神として信仰されていき、「水戸の雷神さま」として関東一円に知られていきます。
大正十三年、関東大震災復興記念として開催された東京上野の「電気博覧会」では会場鎮護の神として当社の御分祀が祀られます。閉会後は東京電気局の守護神として祀られ、当時の市電、市バスの全車両に当社の御神札が奉斎されていたそうです。
太平洋戦争終戦直前の昭和二十年八月、水戸の大空襲で建造物、社宝、資料の全てを焼失してしまいます。戦後すぐに社殿等を再建しますが、昭和四十三年秋に本殿、幣殿、拝殿が新造されました。

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別雷皇太神の逸話に、江戸幕末の桜田門外の変に先立ち、水戸の浪士らが当社にて心願成就の祈願を込められたと伝えられているという。

茨城県東海村に国内発の原子力発電所ができた際に、その守護神として祀られた経緯から、別名「原子力の守護神」と一部謳われているといわれてます。

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境内には、蛙が飛び跳ねるごとく六つの福運が齎されますようにと六福六蛙(ろくふくむかえる)が据え設けられていました。
六福六蛙(ろくふくむかえる)
一、無事かえる(交通安全)
一、金かえる(金運上昇)
一、若がえる(健康長寿)
一、良く考える(知徳上昇)
一、体がもとにかえる(無病息災)
一、卵→オタマジャクシ→蛙(出世、開運)


この神社には、ハローキティの神社巡りご当地スタンプってものもありました。
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「ハローキティの神社めぐりスタンプ帳(東日本編)」こんな書籍があったんですね
ハローキティちゃんの好きな方は気になるんじゃないでしょうか😃

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posted by かめ忍者 at 09:47| 栃木 ☁| Comment(0) | 茨城の神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする