2017年02月27日

天狗山 雷電神社(栃木)

2017年(平成29年)1月22日 参詣
栃木県下野市薬師寺1509
薬師寺八幡宮参道入り口 鎮座

2017年1月22日の薬師寺八幡宮と一緒に参拝


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鎮守薬師寺八幡宮入り口に鎮座し右の鳥居が雷電神社

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鳥居

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拝殿

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扁額

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賽銭箱

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拝殿内

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社殿、本殿側より撮影

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本殿
御祭神 賀茂別雷大神(カモワケイカヅチノオオカミ)
祭典日 4月27日 11月17日
由緒略記 
創建年不詳であるが往古より鎮守薬師寺八幡宮入り口に鎮座すと伝へ、雷の雷電宮として鎮座していた。
災害に苦しんでいた村人たちを雷神が天狗の姿になって助けたことから天狗山雷電神社と名称を改め崇敬されてきました。
1969年(昭和44年)、氏子の願いかなって鎮守八幡宮に合祀されていた雷電神社を分祀、独立再建した。

伝 説
その昔、薬師寺八幡宮境内の鬱蒼とした森の中に雷電神社があった。「いかづちの雷電宮」と呼ばれ大切にお祀りされていた。ある時うち続く雹や雨の災害に困り果てた農夫が、「いかづちの雷電宮」に 一心に祈りを捧げていると、天狗に姿を変えて顕れた雷神様が「おまえは感心なやつだ。自分だ けでなく、みんなのためにお祈りをしている。此よりは、この薬師寺地域には雹、雨等の災害を起 こさないようにしよう。」と言って消えた。それ以来此の薬師寺地域には嵐等のひどい災害も無く、 農作物も順調に獲れ豊かな処に変わったという。農民たちは、いかづちの雷電宮を天狗山雷電神 社と呼び改め大切にお祭りしたと言う。(下野民話百選より)

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新築記念碑

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御朱印

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2017年02月26日

ご利益散歩in真壁のひな祭り 和の風 第15章

真壁のひな祭り 和の風 第15章
2017年(平成29年)2月4日〜3月3日まで

2月25日(土)に足を運びました
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筑波山麓にある真壁町

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なかなかの人出でした

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なかなか個性的なひな人形

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靴屋さんもひな人形がディスプレイ

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真壁町のゆるキャラ いしおさんのひな人形

見世倉・土蔵などが軒を連ねる風情豊かな町並みの真壁町に、約180軒の家がひな人形を飾る一大イベントです。
町の各地に展示しているひな飾りは、数百年前の由緒あるひな人形や現代作家の作品、はたまた石で作られた変わり種まで。愛らしいひな人形と歴史ある町並みが楽しめます。


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懐かしいタバコ屋さん

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子供時代に良く親しんだ風景

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宮本精肉店、コロッケを買い求めるお客さんの列
2010年放送の『ちい散歩』でコロッケ大好きな地井武男さんが訪れたお店

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元真壁町郵便局

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ひょうたんのダルマ

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懐かしい ホンダ モトコンポ

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(旧)真壁町のマンホール、町の花だったヤマユリが描かれています。
(現在は合併して桜川市となっています)

真壁のひな祭り 和の風 第15章
来月の3月3日まで開催されています。足を運んでみては如何でしょうか^^

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2017年02月25日

相模國一之宮 寒川神社(神奈川)

2017年2月24日 参詣
神奈川県高座郡寒川町宮山3916 鎮座

寒川神社は相模国の一之宮と称される神社で、古くより関東の守り神として、また江戸の正裏鬼門を守護する神社として全国でも珍しい、方位除・八方除の守護神として信仰されています。
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一の鳥居と社号標

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二の鳥居

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三の鳥居

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参道、神職さんが歩いていました

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手水舎

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神門

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神門前の狛犬

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拝殿

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本殿の近くへは立ち入り禁止でした


古代、相模川沿いは相模国造がおり、有力な豪族のいずれかが造営したと推定される。雄略天皇の時期に奉幣、神亀4年(727年)に社殿建立の記録があるが、公式には『続日本後紀』にて承和13年(846年)に仁明天皇から従五位下を授る記録がある。

『延喜式神名帳』では「相模国高座郡 寒川神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。また、鎌倉時代の『吾妻鏡』には「一宮佐河大神」と記載があり、相模国の一宮とされたことがわかる。戦国時代には武田信玄が行軍中に当社を参拝し、自身の纏っていた兜と太刀を安全祈願に奉納。
また源頼朝、小田原北条氏、徳川家康など多くの武家の崇敬を集めた。

古くから関八州の守り神として民間の信仰も集め、今も全国から地相、家相、方位、日柄などの災いを事前によける八方除祈願の参拝者が絶えない

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ご神木

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御神徳
全国唯一の八方除の神さまが祀られていて その八方を示す方位盤が拝殿右にあります。

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御朱印は社務所にていただきました

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御朱印
初穂料、お気持ち

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2017年02月24日

CO-OP、はごろもフーズ「シーチキンを食べて当てようキャンペーン」当選

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CO-OP×はごろもフーズ「シーチキンを食べて当てようキャンペーン」当選しました
キッチングッズ
ボールが中、小サイズ
計量カップ 5つ

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ご利益散歩のおかげですかね〜

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2017年02月23日

東ハト Sweets キャンペーン当選

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2016「東ハト Sweets キャンペーン」

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Cコース 「東ハト お菓子の詰め合わせ」当選しました

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2017年2月2日に我が家に^^b

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段ボールにお菓子がいっぱい詰まっていました
キャラメルコーン45周年!!

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ご利益散歩のおかげですかね〜

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2017年02月22日

薬師寺八幡宮、再訪(栃木県下野市)

2017年1月22日 参詣
栃木県下野市薬師寺1509 鎮座

前回の参拝は
2014年10月13日の時です。


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一の鳥居

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社号標

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参道

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二の鳥居

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手水舎

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手水舎には「水掛」「銭洗い」の神として「夢福神」が祀られていました

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阿の狛犬

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吽の狛犬

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拝殿
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本殿と拝殿は、寛文2年(1662年)に領主・佐竹義宣の奉献で造営されたもので、栃木県の文化財に指定されています。
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本殿
社伝によれば、貞観17年(875年)に清和天皇の勅定により京都・石清水八幡宮から勧請されたのが始まりとされている。一説には、下野薬師寺の鎮守神として天平宝字元年(749年)に大分・宇佐神宮から勧請されたのが創祀ともいう。


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社務所

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御朱印



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2017年02月19日

豪徳寺「招福猫児」福を呼んで!

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長男が世田谷での1人暮らし、次男の寮生活、家にそれぞれ1つづつ

去る2015年10月31日に
世田谷区の豪徳寺
を参拝した時に購入した、豆サイズの招き猫

豪徳寺では、「 招福猫児(まねぎねこ)」と呼んでいるそうです。

『大渓山 豪徳寺』彦根藩井伊家の墓所として有名なお寺です。

もともと、この地には、奥州吉良氏により築かれた世田谷城がありました。
文明12年(1480)、城主であった吉良政忠は、叔母である弘徳院のために敷地内に「弘徳院」創建しました。豪徳寺の前身です。
現在の豪徳寺2丁目を中心に、世田谷は城下町として栄えていました。
しかし、天正18年(1590)小田原征伐の際、世田谷城が廃城となり、弘徳院もだんだんと寂しくなっていきます。

時は江戸に入り、辺りは彦根藩井伊家の所領となります。
当時、弘徳院の第4代ご住職は、タマという真っ白なネコを我が子のようにとても可愛がっていました。
ご住職は、「汝、我が愛育の恩を知らば 何か果報を招来せよ」とタマにお話していました。


ある日のこと、門前が騒がしいので外へ出てみると、鷹狩りの帰りと見られる武士が5〜6人、暫し休憩をさせてもらえないか?と訪ねてきました。
聞けば、門前を通りかかると、白いネコがうずくまりこちらを見て頻りに手招きをしている、気になった一行は馬を降り、ネコに誘われるように境内へ訪ね入った、とのことでした。
快く客人を招き入れ、お茶を振る舞おうとしたとたん、にわかに空が曇りだし、雷とともに激しい夕立が降り始めます。
激しい雷雨の中、ご住職は心静かに武士達へ説法をします。
すると、客人は、自身が彦根藩2代藩主 井伊直孝であると名を告げ、「ネコに招き入れられ雨をしのぐことができ、しかもご住職のありがたいお話に預かることができた、これも仏さまの因果でしょう」と、大変よろこび帰っていきました。
この当時、お寺はお茶を振る舞うことも苦労するほどに貧窮していたといわれます。

後日、井伊直孝はこのお寺を整備するために伽藍を寄進し、井伊家の菩提寺とします。直孝の戒名から『豪徳寺』とされお寺は盛り返したのです。

時が経ち、福を招いてくれたタマが亡くなると、ご住職は、お墓を建て冥福を祈り、弔います。
タマが右手を上げて招いている姿形を招福猫児(まねぎねこ)と称し、境内に「招猫殿」をつくり、招猫観音を祀りました。
以降、富や人の縁、幸福を招いてくれると、人々はその吉運にあやかり祈念するようになりました。

これが、「タマ伝説」招き猫のはじまりとされています。


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2017年02月18日

「日本における最も驚くべき、最も赤裸々な絵馬の宝庫」水使神社(栃木県足利市)

水使(みずし)神社 通称:みずっさま
2017年(平成29年)1月14日参詣
栃木県足利市五十部町1235 鎮座

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一の鳥居

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説明板

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狭く急な石階段

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二の鳥居

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手水舎

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拝殿

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扁額

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本殿
栃木県神社誌によると、南北朝時代の観応2年(1351年)の創建で、水の神「水波能売命(みずはのめのみこと)」を祭る。昔、地元の豪族・五十部小太郎の下女で、近くの淵で入水自殺したイソの霊を祭ったともいわれ、花柳界の女性らから婦人病に霊験があると信仰された。


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賽銭箱や扉の周辺に絵馬、よだれ掛け、腰巻き風の赤い布が無数に掛けてある。
絵馬の図柄を見ると、和服姿の女性が拝む姿や赤い腰巻き姿の女性などが多く「子宝祈願」「婦人病が全快」祈願


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アメリカシカゴ大学人類学教授であるフレデリック・スタールが大正時代に同神社を訪れ、「日本における最も驚くべき、最も赤裸々な絵馬の宝庫」と学会報告。民俗学者ら研究者に注目され、日本全国に水使神社の名を轟かせるきっかけともなりました。

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「今でも全国から多くの女性がお参りに訪れます。参拝簿は半年で3冊分、埋まってしまいますから」と桜木宏紀宮司(76)は驚きを隠さない(産経新聞)


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御朱印


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2017年02月16日

木幡神社(栃木県矢板市)

2017年(平成29年)1月3日参詣
栃木県矢板市木幡1194-1 鎮座

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社号標

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大鳥居

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境内の西側にも笠木のない冠木門形式の鳥居(柱の上に屋根が付いています)
大鳥居の前に一の鳥居(撮影してこなかった(;゚Д゚)エエー)があり これと同型です。

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大鳥居をくぐり階段を上り楼門へ

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手水舎

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鉄灯篭
元和3年(1617)、土佐藩2代藩主山内忠義が徳川家康の一周忌に日光東照宮に寄進したもので何らかの経緯で木幡神社に移されています。

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拝殿前には茅の輪

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阿の子持ちの狛犬(昭和14年に奉献)
源頼朝が、ここ木幡神社で愛犬の無事を祈ったところ、たちまち元気になったらしいです。
犬神様としても信仰があるとか

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吽の毬を持った狛犬

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拝殿

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拝殿内

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本殿


木幡神社の創建は延暦年間(782〜806年)坂上田村麻呂が東夷東征の折、戦勝祈願をし見事念願成就した事から神意に感謝し許波多神社(京都府宇治市・祭神:天忍穂耳命)の分霊を勧請したことが始まりと伝えられています。

当初は峯村の地に鎮座していましたが大同2年(807)に現在地に遷座し田村麻呂縁の赤鶴の面が奉納されています。

天慶3年(940)、藤原秀郷が平将門の乱(承平天慶の乱)の際、当社で戦勝祈願をし将門を討ち取ると社領1000石が寄進され、永承6年(1051)には源頼義、義家父子が前九年合戦の戦勝祈願を行い宿願である安部貞任を討ち取っています。

文治2年(1186)、当時の領主塩谷惟頼が平家追討の戦勝祈願し念願が達成すると、領内の総鎮守と定め代々の崇敬社としました。又、建久4年(1193)、源頼朝が那須野の原で狩をしていた際、愛犬が狂犬病になった為、病気快癒の祈願を行うと忽ち平癒し以後病犬除けの御利益があるとして信仰されました。

文禄4年(1595)当時の当主塩谷義綱が改易になると、庇護者を失い衰退しましたが江戸時代に入ると幕府が庇護し社領200石が安堵され日光二荒山神社を相殿するなど日光東照宮とも関係を深くしています。
明治3年(1870)に郷社に列し、明治40年(1907)に神饌弊社帛料供進神社に指定されています。現在の本殿は室町時代中期に造営された建物で三間社流造、銅板葺、楼門(随神門・神社山門)も室町時代中期の建築で、一間一戸、入母屋、銅板葺き(旧茅葺)、四脚楼門で共に室町時代の建築の特色が見られるものとして昭和25年(1950)に国指定重要文化財に指定されています。


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社務所

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御朱印

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2017年02月13日

峯ヶ岡八幡神社(埼玉県川口市)

2016年(平成28年)12月29日参詣
埼玉県川口市峯1304 鎮座

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鳥居

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拝殿

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横から見た拝殿と本殿

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本殿
本殿に祀られているのは、応神天皇、神宮皇后、仲哀天皇である。興味深いのは、神体として安置されている応神天皇の霊と言われている「八幡神」が菩薩の姿で表されていることだ。そのため、八幡大菩薩とも呼ばれている。

平安時代の天慶年間(938〜947)に源経基の創建と伝えられ、かつては足立群谷古田領三カ村(川口市新郷、安行の一部、草加市の一部)総鎮守に列せられた由緒ある神社です。

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推定樹齢600年の大きな銀杏の古木
この大銀杏は、参詣した若狭の八百比丘尼がひと休みした後に置き忘れていった杖が根付いて成長したと伝えられています。
新羅三郎義光が東北遠征の途中に先勝祈願した際、白い鳩がこの木にとまり、義光を加護したという伝説が伝わっている。そのため、現在でも神木として注連縄(しめなわ)を巡らせて崇敬されている。

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拝殿と大銀杏

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社務所

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御朱印

posted by かめ忍者 at 22:34| 栃木 ☀| Comment(0) | ⛩埼玉の神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする