2017年04月13日

都が138年ぶりに増上寺に返還、芝の大門やっと修復へ

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増上寺大門改修工事中の写真

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改修前の芝の大門

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明治時代の「大門」、先には「三解脱門」が見えています。

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改修後の綺麗な芝の大門

東京・芝のランドマーク「大門」の所有権が今春、都から増上寺に百三十八年ぶりに返還された。
都の財産目録から記載が抜け落ちて四十年以上。所有者不明の状態が続き、深刻な老朽化にも手がつけられなかった。都は「ここ数年、内部資料を精査し、都の所有と確認した」と事務手続きのミスを認め、返還に応じた。 

増上寺の東側区道に立つ大門(港区芝公園)は、一六〇五(慶長十)年に徳川家康が寺を大改修した際、江戸城の大手門を移築して建てられた。明治維新後の一八七八年、幕府の庇護(ひご)を失い、困窮した寺が当時の東京府(東京都の前身)に寄付。その後、芝公園の一部として東京市が管理していた。一九二三年の関東大震災で損傷したため、三七年に鉄筋コンクリート造りに建て替えられた。当時の工事発注者は東京市だった。

寺は七四年、本堂の新築に合わせて大門の修復を計画。都に返してもらおうと、譲渡を打診したところ、財産目録に記載がないことが判明したという。「目録にないものは譲渡できない、とかたくなだった」と寺の佐々木励綱(れいこう)施設部長(63)。それ以降も折に触れ、都に譲渡を打診したが、進展はなかった。東日本大震災で瓦の一部が落下した際は寺が費用を負担し、取りあえず補修した。

しかし、一転、都が譲渡に応じ、都と寺は今年三月末、無償の譲渡契約を結んだ。佐々木部長は、二〇一二年三月三日に本紙が夕刊で報じた記事「港区増上寺 芝『大門』持ち主不明」が状況を変えたとみる。「注目が集まり、都を動かすきっかけになったのではないか」。ただ、財産目録の記載が抹消された理由は分からない。都公園課は「古い話で原因究明のための調査はしていない」という。

佐々木部長は「長年の要望がかない、安堵(あんど)している。地域住民と協力して管理する」。寺は耐震補強と外観の化粧直しを施し、来年四月の法要でお披露目する方針だ。

大門の通りは二〇二〇年東京五輪のマラソンコースになる可能性もある。地元組織、大門振興会の佐久間克文(よしふみ)会長(52)は「疑問は残るが、落ち着くべきところに落ち着いた。今後は未来志向で、大門を次代に残す努力をしていく」と話した。


<芝の大門> 徳川家の菩提寺だった増上寺の総門。大門が立つ寺領が明治政府による1871年の上知令で没収されたため、大門も78年、当時の東京府に寄付された。第2次大戦中の空襲で周囲は焼け野原となったが、鉄筋コンクリート造りだったため、奇跡的に残った。
(東京新聞より)



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2017年04月12日

安房国一之宮 洲崎神社(千葉県館山市)

社号について
資料によっては「すのさき」「すさき」とあり、地名は「すのさき」だが、由緒にある通り、元の名は洲神(「すさき」のかみ)であったらしい
2017年(平成29年)3月6日 参詣
千葉県館山市洲崎1697 鎮座

館山市の西の端、千葉県の先端。まさしく洲の崎という場所です。
場所的に簡単にこれる所じゃないのと、普通に雨が降っていたので参拝者は私1人

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社号標

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旧 社号標

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道から少し入ったところに鳥居があり、道路を走っていると見逃してしまうかもしれない

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手水舎

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隋身門

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厄祓坂と呼ばれる108段の石段

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長い階段を上り終え 上からの眺め

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拝殿

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扁額は奥州白河藩主老中松平定信が参詣し奉納した扁額のレプリカで、本物は社務所で大切に保管されいるそうです。


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本殿
祭神 天比理乃当ス
相殿神が天太玉命(あめのふとだまのみこと)と天富命(あめのとみのみこと)です。

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本殿
社伝『洲崎大明神由緒旧記』によれば、初代神武天皇の治世、天富命が祖母神の天比理乃当スが持っていた鏡を御神体として、美多良洲山(御手洗山)に祀ったのが当社の始まりであるという。


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当社近く、波左間海中公園内の海底に、水難事故・水難事件防止を祈願するために御分霊を勧請して海底神社を創建している。


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稲荷神社

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本殿脇には金比羅神社

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隋身門下のこの机に書置き御朱印がありました。セルフサービス

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神門の下に説明書きが置かれていた
書置きの御朱印は置かれていましたが、御朱印帳への記入希望の場合は宮司さん宅までとの事

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私は御朱印帳への記入希望のために電話連絡をしてアポをとり宮司さん宅にお邪魔しました。
(東京方面に車で30分位)

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御朱印


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2017年04月09日

お釈迦様の生誕祝う花祭り

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川崎大師の花御堂

今回、川崎大師を訪れ 花祭りが行われていました。
私は寺付属の幼稚園だったので花祭りを行った記憶が薄っすらありました。
講堂でお釈迦様に甘茶をかけた後、その甘茶を頂きとても美味だったのを覚えています。


【4月8日花祭り】お釈迦様のお誕生日。
「花祭り」は、第二次世界大戦後に広まった呼び方で、もともとは
「灌仏会(かんぶつえ)」
「仏生会(ぶっしょうえ)」
「浴仏会(よくぶつえ)」
「降誕会(こうたんえ)」
「竜華会(りゅうげえ)」などと呼ばれていました。

様々な草花で飾った花御堂(はなみどう)を作り、その中に灌仏桶を置いて、甘茶を満たします。灌仏桶の中央には”天上天下唯独尊”のポーズをとった誕生仏の像を置き、柄杓でお釈迦様の像に甘茶をかけて皆で祝います。
近年では、新暦四月八日にお祝いすることが多いそうで、それも四月八日前後だったりしています
※花御堂は、桜・木蓮・れんぎょうなどの花で飾られた小さなお堂です


お釈迦様、誕生のお話
シャーシャ族のマーヤー(摩耶)夫人は、神聖な白象が胎内に宿る夢を見ます。そのマーヤー夫人が臨月になり、出産のために故郷であるデーヴァダッハへ帰る途中、ルンビニー村で休息をとります。

そこには、美しいサーラ(沙羅)の樹がありました。その美しさに思わず枝に手を伸ばしたところマーヤー夫人の右脇からブッダが誕生します。

数多の神や人々から散華供養をうけるなか、ブッダはすっくと立ち上がり、東西南北にそれぞれ七歩ずつ歩いたあとに右手を上に挙げ、左手を下に指しながら『天上天下唯我独尊』に始まる誕生偈(げ)を唱えたということです。


誕生したとき、九頭の竜が天から芳しい甘露を吐いて産湯を満たしたという伝承がもとになっています。江戸時代までは、甘茶ではなく五色水と呼ばれる香水が使われていたようですが、しだいに甘茶を甘露に見立てて用いるようになったといわれています。

ちなみに、甘茶(あまちゃ)は、ユキノシタ科の落葉低木ガクアジサイの変種であるアマチャの、若い葉っぱから作られます。本来漢方薬の原料だとかで、アレルギーとか歯槽膿漏に効果があるのだそうです。

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2017年04月08日

山田家の人形焼(錦糸町)

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錦糸町にある人形焼専門店「山田家」さんです。人形焼のお店は東京に数多くありますが、その中でも美味しいお店

人形焼は1個80円程度。お土産用だと箱代もかかり少し割高となります。
2日ほど保存は出来るので、お土産にも喜ばれます。下町にはいろんな人形焼きが売っていますが、ここは間違いなく美味いです。オススメし狸がカワイイ!

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宮尾しげを氏による本所七不思議の包装紙。


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鶏卵・食品問屋の山七食品を母体とする「山田家」の創業は昭和26年。鶏卵を生かせる商売として始めた人形焼が、今ではここ東京・錦糸町の名物になっています。

山田屋 本店
東京都 墨田区 江東橋 3−8−11 
03-3634-5599

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2017年04月07日

安房國一之宮 安房神社(千葉県館山市)

安房(あわ)神社
2017年(平成29年)3月6日 参詣
千葉県館山市大神宮589 鎮座

安房国の一宮で延喜式名神大社
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社号標

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一の鳥居

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二の鳥居

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手水舎

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説明板(由緒)
由緒
房総半島の南端神戸郷に鎮り坐す旧官幣大社安房神社は、天太玉命を主祭神に天比理刀唐配祀として奉斎し、摂社下の宮には天富命を祀る。
延喜の制には大社に列せられ、名神祭に預る安房国唯一の由緒深き名社である。
本社の祭神天太玉命は中臣氏の祖神天児屋根命と相並んで天照皇大神の側近に奉仕し祭祀を司どられた重要な神に坐します。
天照皇大神が天石窟に御幽居あらせられた時には、天太玉命は天児屋根命と共に大神の出御を祷り遂に再び大御神の天日の如き御威徳を仰ぎ奉られたのである。
安房開拓の神として当社の下の宮に祀らるる天富命は、天太玉命の御孫にあたらせられる。天富命は四国の阿波国忌部族の一部を割いて関東地方に大移動を起し、最初に占拠されたのが房総半島の南端、即ち現在の安房神社の鎮座地であって茲に本拠を定めて祖神天太玉命の社を立てた後、次第に内地の方に進みこの半島に麻穀を繁殖しその産業地域を拡められたのである。
安房神社の御祭神は日本産業の総祖神として崇められ更に現在では家内安全、交通安全守護神、厄除開運等、関東地方随一の神社として信仰が厚い。


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拝殿

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扁額

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本殿(上の宮)
主祭神
天太玉命 (アメノフトダマノミコト) 日本の全ての産業創始の神。

下の宮には天太玉命の孫神である天富命(あめのとみのみこと)と兄弟神である天忍日命(あめのおしひのみこと)が祀られています。


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本殿 横から


安房神社の創始は、神武天皇が初代の天皇として御即位になられた皇紀元年(西暦紀元前660年)と伝えられております。神武天皇の御命令を受けられた天富命(下の宮御祭神)は、肥沃な土地を求められ、最初は阿波国(現徳島県)に上陸、そこに麻や穀(カジ=紙などの原料)を植えられ、開拓を進められました。

その後、天富命御一行は更に肥沃な土地を求めて、阿波国に住む忌部氏の一部を引き連れて海路黒潮に乗り、房総半島南端に上陸され、ここにも麻や穀を植えられました。  この時、天富命は上陸地である布良浜の男神山・女神山という二つの山に、御自身の御先祖にあたる天太玉命と天比理刀当スをお祭りされており、これが現在の安房神社の起源となります。



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御神水
後ろの吾谷山(あづちやま)から湧き出ているそうです。お水取りをするには受付で申込が必要とのことです。

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授与所

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オリジナル御朱印帳

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御朱印
匠総祖神の朱印が押されています。

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2017年04月04日

ふさのくに神社御朱印めぐり 御朱印帳

千葉県
ふさのくに神社御朱印めぐり

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最初の神社で御朱印帳(200円)を購入して願い事を書き、各神社をめぐって御朱印(300円)を受けます。参拝順序は各人自由で、安房、上総、下総の各々の国の御朱印を全て集めると「満願」、県内37社すべてを集めると「大満願」となり達成した神社に特製絵馬を奉納できます。なお達成期限はありません。
【開催期限】:達成期限はありません
【開催場所】:県内各所37の神社
【料  金】:御朱印帳代 200円
      :御朱印代  300円(1回)
【お問合せ】:TEL 0475-(42)-2711 (房総神社振興委員会/玉前神社内)

■ 御朱印めぐりの心得
一、おかげさまの感謝の気持ちをもって、心穏やかに巡拝しましょう。
一、御朱印は大切に扱いましょう。
一、御朱印をいただく際は神社の神さまに必ずお参りしましょう。
一、昼間にお参りしましょう。(目安は朝9時〜夕方4時です)
一、神主がいない日もあります。不安な場合は事前に連絡しましょう。
一、神社への道順は各神社に尋ねましょう。神社を探すのもまた楽しいものです。
一、道中は安全に気をつけましょう。
一、御朱印帳には必ず氏名を記しましょう。

■ 御朱印めぐりの仕方
一、37の神社を参拝して札所などで御朱印をいただきましょう。
* 参拝する神社の順番は問いません。
* 交通手段は問いません。鉄道やバス、自動車、自転車、徒歩、なんでも可。
二、最初の神社で特製の御朱印帳を手に入れましょう。御朱印帳代として200円をお納めください。
三、御朱印帳を手に入れたら、巻頭の絵馬に願いごとを記しましょう。
四、御朱印は各神社300円です。
五、安房國、上総國、下総國各国の神社の御朱印を集めると満願。37社すべての神社の御朱印を集めると大満願となります。達成した神社で特製絵馬をいただき、改めて願いごとを記してお納めください。後日、神社にて願いがかなうようにご祈祷いたします。

■ ふさのくに神社御朱印めぐりについて
この御朱印めぐりは、平成22年正月に「外房開運波乗り神社御朱印めぐり」として、外房地区14の神社によりスタートし、さらに平成23年正月には内房地区の神社も参加し、内房・外房地区22の神社によって「房州開運波乗り神社御朱印めぐり」として再スタートしました。
御朱印を集めながら各神社を巡拝することで、神社により親しんでいただき、あわせて神社の振興、さらには地域の活性化を図ろうと始められましたが、おかげさまで多くの方々が参加され、大いに盛り上がりました。
そして、範囲を千葉県全域に広げ、安房國、上総國、下総國の旧国の括りのもと、37の神社で「ふさのくに神社御朱印めぐり」を平成26年2月(立春)より開始することとなりました。 会の名称も「房州神社振興委員会」から「房総神社振興委員会」に改称しました。
日出ずる国の日出ずる処に鎮座する神社を巡拝し御朱印をいただき、さまざまなおかげに感謝しながら、神々の気をいただかれてください。

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神社の紹介

●安房國
安房神社
鶴谷八幡宮
岩井神社
高家神社
莫越山神社
天津神明宮

●上総國
玉前神社
遠見岬神社
瀧口神社
春日神社
玉ア神社
國吉神社
白子神社
縣神社
五所神社
金刀比羅神社
瀧神社
大宮神社(五井)
大宮神社(草刈)
島穴神社
八劔八幡神社
人見神社

●下総國
香取神宮
側神社
海上八幡宮
猿田神社
玉ア神社
水神社
熊野神社
埴生神社
麻賀多神社
寒川神社
千葉縣護國神社
二宮神社
櫻木神社
意富比神社
葛飾八幡宮

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2017年04月03日

莫越山神社(千葉県南房総市)

莫越山神社 (なこしやまじんじゃ )
2017年(平成29年)3月6日 参詣
千葉県南房総市沓見241 鎮座

『延喜式神名帳』にある「莫越山神社(安房国・朝夷郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社

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一の鳥居

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社号標

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二の鳥居
これより参道は直角に曲がり石段を登る。

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説明板

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手水舎

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吽の狛犬

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阿の狛犬

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三の鳥居と拝殿
簡素な桧皮葺きである拝殿、 前面に「すだ椎」の古木が立ち、背面には楠の大木が茂っている。

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本殿


社記によれば、初代神武天皇元年、天富命が忌部の諸氏を率いて、安房国に来臨し、東方開拓を進めた時、随神の天小民命が祖神である忌部の神、手置帆負命・彦狭知命を祀ったのが創祀。

大化の制においては国司の祭祀に預かったとされ、『延喜式神名帳』を経て、鎌倉時代初期の治承年間(1177年-1181年)に源頼朝が祈願、神田20町を寄進したという。

戦国時代、里見氏が領主の際も3石の寄進があり、江戸時代以降も3石の寄進があったという。代々領主の祈願所だった。

享保9年(1724年)、社殿造営の時に新宮に山中4ヶ所に祀られていた彦火火出見尊・豊玉姫命・鸕鷀草葺不合尊を合祭し、天保年間(1831年-1845年)に相殿とした。

彦火火出見尊は梅大御神、豊玉姫命は子安大神、鸕鷀草葺不合尊は間子大御神と称され、敷物の祖神・安産育児の神・海猟海上安全の神として崇敬された。

明治6年(1873年)に郷社に列し、明治25年(1892年)12月、小松大将宮彰仁親王から社号額字の真筆が下賜され、現在拝殿正面に奉掲されている。




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宮司さん宅にて御朱印を頂きました
あいにくの雨天での参拝でしたが暖かく迎えていただき感謝です

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御朱印

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2017年04月01日

天津神明宮(千葉県鴨川市)

天津神明宮(あまつしんめいぐう)
2017年(平成29年)3月5日 参詣
千葉県鴨川市天津2954 鎮座

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社号標

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一の鳥居

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二の鳥居

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三の鳥居

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狛犬

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説明板

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手水舎

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拝殿

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扁額

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本殿

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神代の昔、天孫降臨に当って国譲りした事代主神が海路当地に移り、東方鎮護の神として鎮座し、これを庤明神と崇敬したことが当社の始まりと伝えられている。

平安時代末期の治承4年(1180年)、石橋山の戦いに敗れ安房に逃れた源頼朝が、源氏の再興を伊勢の神宮(伊勢神宮)に祈願し、御厨一処の寄進を祈誓したという。

また、寿永元年(1182年)に、頼朝の妻である北条政子の安産祈願の祈祷のため、奉幣使として三浦義村が当社へ遣わされた。

頼朝は一ノ谷の戦いの後、寿永3年(1184年)、安房国に東条御厨(白浜御厨、阿摩津御厨)を設け、伊勢より神霊を勧請し、以前より鎮座の庤明神とともに祀った。

文治元年(1185年)には生倫神主が参籠したところ、霊夢の奇端があったので、頼朝から飛龍と号する馬が奉納され、以降も関東武家の崇敬を受け、「房州伊勢の宮」と仰がれた。

小湊に誕生した日蓮も当社を深く尊崇し、修行地清澄への道程には、必ず当社を参拝したと伝わる。当社について、「日本第二のみくりやや今は日本第一なり」としたという。

また、日蓮は開宗後、妙法弘通を当社に祈願、その時奉納されたと伝えられる「川向の御曼陀羅(布本尊)」が宝物として所蔵している。

現在までに御祭神は、天照皇大神・豊受大神・八重事代主神(えびす様)で、大山祇大神ほか7柱を合祀している。例祭は10月16日で、その前日の15日が宵宮で献燈祭。


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まるばちしゃの木
中国大陸南部や海南島、台湾などに生育している亜熱帯性の落葉喬木で、その北限として価値が高く、県の天然記念物に指定されている。
「なんじゃもんじゃ」の呼称伝説もある神木

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戦没者慰霊碑

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境内東側の山にはすぐれた極相林があり、「神明神社の林」として市の天然記念物に指定され、山頂には伊邪那岐大神・伊邪那美大神を祀る諾冉神社が鎮座する。


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御朱印、伊勢神宮と同じ形式で印だけです。
「その代りと言ってはなんですが、私の落書きですよ。」
と言ってくれたのが、別の和紙に書かれた「神人和楽」

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「神人和楽」
神、そして人、和み、楽しむ

posted by かめ忍者 at 01:00| 栃木 ☀| Comment(0) | 千葉の神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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