2023年07月29日

ポルシェ・クレストの歴史と由来

1948年6月8日にポルシェ最初の車である『ポルシェ 356 ロードスター』のシャシー番号「356-001」が登録された
まず、ポルシェにそんなに興味がない方からすると「ポルシェのクレスト」と言われても、何がいったい「クレスト」なのかわからないかもしれませんよね


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クレストというのはいわゆる『紋章』であり、1度はどこかで見たことがあるのではないかと思われる、こちらのポルシェのマークのことを指します ⬆

※ポルシェクレストの始まり等にはいくつかの説が語られることがあるようですが、今回ここで書くのはポルシェAG公式サイトが出された記事に書かれていた内容で書いています。
オリジナルのポルシェクレストでは、ポルシェ(PORSCHE)という文字のロゴはゴールドのベースカラーに、ワイドな文字を使用。

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シュトゥットガルト(Stuttgart)の文字は凹んだ背景にエンボス加工されています。高くあげられた肩関節(前足)と、なびく尻尾を持つ馬(Stuttgart Rössle)はとてもパワフル。

もともとの最初に出来たポルシェのクレストは、強い赤オレンジの色が特徴であり、そのクレストの歴史は初代ポルシェ911(1964〜1973年)にまでさかのぼります。

ポルシェのロゴ(PORSCHEという文字のロゴ)は、1948年の時点ですでにポルシェブランドの車両に最初からつけられていたそうですが、ポルシェの紋章であるクレストは、実は1952年になるまで作られていなかったそうです。

ポルシェは1951年3月に自社のロゴを作る為、ドイツの芸術学校に対し合計1,000ドイツマルクをオファーしてコンペティションを実施。(※その時代のレートで換算しても1,000ドイツマルクってそんなに高額ではない気がするのですが、私のレート換算が間違ってるのかな…。)

でも、どのデザインも経営陣にとって納得のできるものではなかったそう。

1951年の終わり頃、フェリーポルシェがNYを訪れた際にアメリカの輸入業者であるマックスホフマンから、ポルシェのロゴが欲しいと言われ、その結果としてまたロゴの作成がポルシェ社内でスタート。

1952年の初めに、Franz Xaver Reimspieß氏がポルシェのクレストを作成。この彼、1936年にフォルクスワーゲンのロゴを作った方でもあるそうです。

凄い、フォルクスワーゲンのロゴと、ポルシェクレストをデザインした人って同じ人だったのですね。


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彼が作成したポルシェクレストは、ポルシェという会社のルーツを象徴しているのと同時に、その製品の品質とダイナミクスを表していて、かつ、金色の盾の中央にいる馬はシュトゥットガルトの街の紋章からとられたもの。

上部に描かれたシュトゥットガルトの名前の文字は、ポルシェが自社がある街にコミットしていることを示し、その周りにある赤と黒の色は、それぞれヴュルテンベルク=ホーエンツォレルン州(Württemberg-Hohenzollern)の伝統的な紋章からとられたものだそうです。

マツゲのようにみえるデザインは、antler (雄ジカの枝角)。

そしてこのすべてのデザインの上部に、アーチを描くようにPORSCHEというロゴが描かれ、すべてのデザインをプロテクトしているとのこと

ポルシェのクレストは1952年の終わりにドイツの特許庁に登録されたのち、ポルシェのホーンボタン(ステアリングの中央)に登場。

その後、1954年11月にはポルシェ356スピードスターの特徴的なボンネットにもつけられ、1959年には、ポルシェ・スポーツカーのホイールのセンターキャップにもつけられるように

それ以来、ポルシェはそのポルシェの品質を証明するポルシェクレストをすべてのポルシェモデルのボンネットにつけるようになったそうです。

ちなみにこちらのポルシェクレストは、著作権で保護されており、世界で最も有名な商標の1つ。ポルシェ本社の許可がない限り、商業的に使用することは出来ないものです。


posted by かめ忍者 at 16:32| 栃木 ☀| Comment(0) | トリヴィア (trivia) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年07月18日

タンパク質、摂りすぎるとどうなる?過剰摂取のライン[医師解説]

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厚生労働省が発表している日本人の食事摂取基準(2022年版)によると、『現時点ではたんぱく質の耐容上限量を設定し得る明確な根拠となる報告は十分ではない』と記載されています。

これはつまり結論わからないということで、まだ結論は出ていません。

ただ、十分な根拠はありませんが、それでも現在あるデータから推測して、1日の総摂取エネルギーの20%までにしておくことが国内の基準となっています。

では、どのくらいが飲みすぎということになるのでしょうか。摂取量に関しての論文をいくつか参考にしながら解説していきます。

論文1 約2.0〜2.5g/kg/日以上の摂取はNG

身体的な必要性、体重管理、タンパク質の毒性回避に基づいて算出した最大タンパク質摂取量の上限に関しては、約2.0〜2.5g/kg/日(例:体重50kgであれば100〜125g/日)、摂取エネルギーの約25%と報告されています。

これ以上の過剰なタンパク質の摂取は、消化管が食事性タンパク質からアミノ酸を吸収できる速度(1.3〜10 g / h)やタンパク質を脱アミノ化して尿素を生成し、過剰な窒素を排出する肝臓の能力を超えてしまい、高アミノ酸血症、高アンモニア血症、高インスリン血症、嘔気、下痢などを起こしうるとしています。

こちらの論文では摂取エネルギーの35%を超えるとこのような症状が出現し得ると推定しています(*1)。

論文2 2.0g/kg体重/日は安全だが、それ以上の長期摂取は望ましくない

続いての論文では、2.0g/kg体重/日の長期摂取は安全(例:体重50kgであれば100g/日)、3.5g/kg体重/日が許容上限(例:体重50kgであれば175g/日)、2g/kg体重/日を超える慢性的な摂取は避けるべきとしています。

つまり、運動あるいは病気により体力を消耗しているようなときは、一時的に上限3.5g/kg体重/日のタンパク質を摂取することは許容できますが、漫然と2.0g/kg体重/日を超えるタンパク質摂取を継続することは好ましくないと報告されています。

論文3 4.4g/kg体重/日でも健康上のトラブルはなかった

最後に極端な例ですが、20人の男女(男性11人、女性9人、25.2±6.3歳、身長170.0±8.9cm、体重71.8±12.2kg、週に平均8.5±3.3時間ほどの筋トレをしている人たち)が8週間、4.4g/kg体重/日のタンパク質を摂取しました。平均307±69g/日です。

こちらは極めて多い1日のタンパク質摂取量ですが、顕著な健康上のトラブルは生じませんでした。また、体脂肪も増加することはありませんでした。


しかし、長期間での安全性は報告されていないので、一概にタンパク質摂取量の上限がないとも言えません。

たんぱく質摂取量の上限を決める根拠となる報告はまだない

以上まとめると、現時点ではたんぱく質摂取量の上限を設定し得る明確な根拠となる報告はありません。

既存の情報を整理すると、日常的に摂取するタンパク質の量としては以下の範囲内に収めるとよさそうです。

負荷の低い運動習慣のある方、運動習慣のない方

〜2.0 g/kg/日  (体重50kgなら100g/日)
摂取エネルギーの20〜25%
※長期的なリスクは少ないと考えられます

運動の強度が高い方、病気により体力を消耗しているとき

〜3.5g/kg体重/日  (体重50kgなら〜175g/日)
※許容できますが、漫然と継続することは推奨できません

posted by かめ忍者 at 21:39| 栃木 ☁| Comment(0) | 筋肉活動(muscle) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年07月13日

Jacquet ジャケ ソフトミニチョコレートチップブラウニー

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ジャケ ソフトミニチョコレートチップブラウニーを頂きました


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フランス国内のパン売り場ではジャケの製品がかなり占めており、フランスでは誰もが知る有名なブランドだそうです

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食べきりサイズのブラウニーが5個入っています。

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ソフトな口当たりのチョコレート生地に口どけの良いダークチョコフィリングとチョコチップが入っていて美味しいです

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ジャケ
1885年創業のパリの小さなベーカリー屋からスタートしたブランドです。 現在ではフランス、ベルギー、ブラジルに9つの生産拠点を持ち、原料にもこだわった多種多様な製品を製造しています。世界55ヶ国以上の人々に親しまれています。

posted by かめ忍者 at 20:16| 栃木 ☁| Comment(0) | 甘味処・スイーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年07月09日

デッドリフトは難しい種目か?




デッドリフトで使用される筋肉の
メインは「脊柱起立筋群」で背中の中央を走る背骨にそって左右についている筋肉です。
姿勢維持に使用される筋肉で、デッドリフトでは重量に負けて上体が折れ曲がってしまうのを防いでくれます。


ビッグ3の中でデッドリフトが一番難しい種目という印象を多くのトレーニーが持っているのではないでしょうか?
なぜそのような印象を持ってしまうかというと、自己流で行った場合一番怪我をしやすい種目だからだと思います。

その主な理由ですが、デッドリフトという種目は少し特殊な種目で、初心者がデッドリフトを取り入れる場合、ある程度適当なフォームでいい加減に引いた方が正しいフォームで行うよりも高重量を持ち上げられることが多い種目だからです。

ただし、そのフォームで重量を積んでいけば当然ですが、ある程度の重量で怪我という壁に高確率でぶち当たります。

そして怪我をした場合、正しいフォームに修正しようとするのですが、そうすると今まで扱っていた重量が全く引けなくなるので、重量を下げたくないという葛藤からフォーム修正が非常に難しい種目となるのです。

また、もともと身体の強度が丈夫な人にとっては、かなりの高重量までは苦労なく持ち上げることが出来る種目でもあります。そのような人のフォームを参考にしてしまうと一般的な身体の強度の人はやはり怪我の可能性が高まってしまうのです。

身体の強度が高くて怪我をしにくい人でも悪いフォームのままでは当然ある所で伸び悩みます。そこを超えるためには更にフォームをワンランク上の精度に高めていかなければならないのですが、先ほども述べたように将来的に伸びるためにとフォームを修正すると最初は今まで挙がっていた重量が挙がらなくなるのでやはり重量との葛藤でフォーム修正を断念してしまう場合が多々あります。

デッドリフトは伸び悩んだ時にしっかりとフォーム修正しないと、後々大怪我をしたり、記録がずっと止まったままになってしまう可能性が高いので、早い段階で一旦使用重量が下がっても良いからフォームをしっかりと作り直す必要があります。

そして、デッドリフトで正しいフォームを習得すると将来的に扱う重量が伸びるばかりではなく、身体にかかる負担も非常に軽減されるので、いつもならデッドリフトを行った後は、数日間腰痛に悩まされていた人が、正しいフォームを習得したら全く痛くなくなったという事も起きてきます。

デッドリフトは決して身体に悪い種目ではありません。フォームが悪いから腰などを痛めるのです。私の経験としてはスクワットのほうがデッドリフトよりも突発的に腰を痛める危険性は高いと思っています。
身体に負担が来なくて将来的に更に伸びしろが見えるようにしっかりとフォーム修正してデッドリフトを快適に出来るようしていきたいものです。

posted by かめ忍者 at 13:55| 栃木 🌁| Comment(0) | 筋肉活動(muscle) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年07月06日

Nikeのロゴの歴史

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NIKE(ナイキ)を知らないという人は、世界的に見てもほとんどいないでしょう。

シンプルなNikeのロゴマークは、誰でも必ず一度は目にしたことがあるはずです。Nikeのロゴは、ブランド確立にビジュアル要素が重要な役目を果たすという、良い事例のひとつです。

そんなNikeのロゴマークですが、 「スウッシュ(swoosh)」という名が付いています。このロゴは1971年、グラフィックデザイナーであるキャロライン・デイビッドソンによって生み出されました。

「当時の報酬はたったの35ドルだった」というのは有名な話。1972年には、初めてこのロゴが靴にプリントされました。

Nikeの歴史は、オレゴン大学の陸上選手だったフィリップ・ナイトと、そのコーチのビル・バウアーマンの出会いからはじまりました。

バウアーマンは1964年に『Blue Ribbon Sports』というブランドを立ち上げ、現在はアシックスとして知られるオニツカタイガーに靴を卸していました。このとき使われたロゴは、ブランド名のイニシャルを組み合わせたもの(BRS)でした。

その後、バウアーマンとナイトがタッグを組み、選手用シューズのデザインに取り組み始めます。そしてBlue Ribbon Sportsは、1978年にNikeとして生まれ変わりました。

現在は世界で44,000人もの従業員を抱えるNike。150億ドル相当の巨大な資産をかかえる、世界のトップ企業となりました。


Nikeという名前は、古代ギリシャ神話における戦いを司る女神ニケから来ています。

ギリシャの民間伝承によると、女神ニケは戦士たちに勇気とやる気を与え、戦争に勝つたびに戦士たちは「ニケ」と唱えていたそうです。

そして女神ニケの翼は「スウッシュ」と呼ばれていました。これこそが、Nikeのロゴマークの原点とされています。

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ポートランド州立大学でグラフィックデザインを勉強していたキャロライン・デイビッドソンは、1969年にフィリップ・ナイトと出会いました。

アスリート用シューズの側面につける「何かしらのマーク」が欲しかったフィリップ・ナイトは、彼女を時給2ドルで雇い、ロゴマークのデザインを依頼しました。ギリシャの女神の翼を彷彿とさせるお馴染みのロゴの原型は、ここで生まれたのです。

最初は難色を示したナイトでしたが、最終的にこのロゴマークを使用することに同意します。

時給2ドルで17.5時間。つまり35ドルで作られたロゴは、その後大きな成功を納めます

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なおデイビッドソンはその後4年間Nikeで働き、最終的には100万ドル相当のNikeの株券と、スウォッシュデザインの金とダイヤモンドのリングをプレゼントされました。

ここはあまり知られていない事実かもしれませんね。


posted by かめ忍者 at 22:04| 栃木 ☁| Comment(0) | トリヴィア (trivia) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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