2015年5月9日奉拝
埼玉県川越市連雀町7-1鎮座
開基は1549年。先の川越城主、上杉朝定を打ち破った北条側城主、大道寺駿河守政繁の母、蓮馨大姉が仏教をひろめ民衆にこころのより所を与えたいと考え建てた寺で、以後、庶民の寺として親しまれてきた。
1602年には浄土宗の関東十八檀林(増上寺を頂点とする学問所)のひとつとなり葵の紋所が許されたが、同寺の境内にあった浴場は、八つ(午後3時)の鐘を合図に庶民に開放されたといい、その鐘はいまも川越の町に時を告げている。元禄時代の梵鐘、水舎の欄間に彫られた唐獅子などが当時の面影を残している。
正面の呑龍堂には、呑龍上人(1556〜1623)がまつられています。




