東京都世田谷区若林4-35-1 鎮座


松陰神社は、明治15年に長州藩士吉田松陰の旧藩士門弟らが中心となって、吉田松陰の墓のあった当地に堂を建てて創建しました。
松陰神社がある場所は昔、毛利家がもっていました。毛利家は吉田松陰の故郷の長州藩の殿様の家です。松陰先生のお墓をたてるとき、松陰先生の弟子(生徒)達が毛利家から場所をもらい、この場所に松陰先生のお墓を建てました。そのため松陰神社が世田谷のこの場所にあるのです。

松陰神社は、お墓があるここ世田谷区と、生誕の地である山口県萩市にもあり、どちらも学問の神としてたたえられています。
安政5年には、井伊直弼が大老となり、日米修好通商条約を結ぶなどして、海外との幅を広げようとしていました。
(領事裁判権、関税自主権を持たない、片務的最恵国待遇など日本に不利益で、しかも条約を結ぶ際に朝廷の許しを得なかった)
吉田松陰らはそのことに強く反対しました。
反対したことによって井伊直弼に目をつけられてしまい、松下村塾は閉塾せざるを得なくなり、松陰は投獄されてしまいます。その後、わずか30歳の若さで処刑、これが安政の大獄です。
その井伊直弼が同じ世田谷の豪徳寺にお墓があるとは、因縁を感じます。