2016年2月11日参詣
栃木県那須郡那珂川町馬頭114 鎮座

乾徳寺の創建は明応8年(1499)当時の武茂城城主武茂兼綱が開基となり常陸耕山寺住職舜芳和尚が開山したのが始まりと伝えられています。
以来、武茂(むも)家代々の菩提寺となり社殿の造営や寺領の寄進など庇護されていましたが、守綱の代で佐竹氏に従属するようになり、豊綱の代の文禄3年(1594)に太閤検地で那須氏内応の噂が流れ常陸の久慈郡大賀村に知行替えになりました。
関ヶ原の合戦では佐竹氏は東西中立の立場を取った為、秋田に移封となり武茂氏はこれに家臣として随行しました。乾徳寺は庇護者を失い一時衰退しますが江戸時代に入ると幕府から庇護され27石の朱印状を受け取っています。
明治36年に火災により多くの堂宇、寺宝、記録などが焼失しその後再建しています。山門は武茂城の大手門を移築したものと伝わる門で門の両側に武茂家の家紋が刻まれ、棟札には安永2年(1773)に改修したことが記されています。