2016年11月21日

天武忌(奈良 薬師寺)

息子の受験勉強のさなか・・・大怪人!なる響きが?
「だいかいじん」じゃねえよ!大海人皇子(おおあまのおうじ)じゃね
そんな話題から備忘録として打ち込みました。
奈良の薬師寺へは高校の修学旅行以来足が遠のいています。そのうちにまた足を運びたい思いです。


奈良大本山 薬師寺
奈良県奈良市西ノ京町457 鎮座

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「古事記」は奈良の都で完成しました。今に伝わる日本最古の書物には、いにしえの人の姿が時には大らかに、時には情感たっぷりに描かれています。編纂を命じたのは天武天皇。「壬申の乱」に勝利し新たな国造りを推進した第40代天皇ゆかりの寺、薬師寺


天武天皇がまだ大海人皇子(おおあまのおうじ)だった時から苦楽を共にしてきた鵜野讃良(うのさらら)皇后(のちの持統天皇)が680年病に倒れました。天皇は皇后の病気平癒を願い、薬師如来を本尊とする薬師寺の建立を着手。まもなく皇后は回復しますが、天皇は寺の完成を見ぬまま686年に崩御しました。
薬師寺の東塔の銘文「東塔檫銘(とうとうさつめい)」には、天武天皇の発願から持統天皇が天武天皇の意思を継いで寺を完成させたことなどが記されています。

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(万燈会では大講堂に献燈をお供えし、白鳳伽藍を荘厳します。 献燈 1燈 1,000円)

持統天皇2年(688年)、薬師寺にて無遮大会(むしゃだいえ)という行事が行われたことが『書紀』に見え、この頃までにはある程度伽藍が整っていたものと思われる。『続日本紀』によれば、文武天皇2年(698年)には寺の造営がほぼ完成し、僧を住まわせている。この創建薬師寺は、藤原京の右京八条三坊の地にあった。大和三山の畝傍山と香久山の中間にあたる橿原市城殿町に寺跡が残り、「本薬師寺跡」として特別史跡に指定されている。

その後、和銅3年(710年)の平城京への遷都に際して、薬師寺は飛鳥から平城京の六条大路に面した右京六条二坊(現在地)に移転した。


天武忌(てんむき)
薬師寺創建を発願された第40代天武天皇は朱鳥[あけみどり]元年(686)9月9日、56歳で崩御されました。例年、薬師寺一山僧侶挙げて、10月9日(旧9月9日)午前9時に、明日香檜隈大内陵[あすかひのくまおおうちのみささぎ]にお参り致します。

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薬師寺では、小倉遊亀画伯にご奉納頂いた天武天皇・持統天皇・大津皇子の御絵像を白鳳伽藍大講堂内にお祀りして、日本の礎を築かれた天武天皇のご遺徳を偲び天武忌の法要と奉納行事を厳修致します。[天武天皇・持統天皇・大津皇子の御絵像は大講堂にて8日より10日まで(予定)ご参拝頂けるそうです。

時間があれば行きたいな〜

posted by かめ忍者 at 05:00| 栃木 ☁| Comment(0) | 由来・伝説・いわれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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