2016年12月31日

神楽坂 赤城神社(新宿区)

2016年11月13日参詣
東京都新宿区赤城元町1-10 鎮座

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鳥居
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参道

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七五三で賑わう中、拝殿が見える

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建築家・隈研吾さんの監修により、2010年に大幅にリニューアルされ、ガラス張りのモダンな社殿に生まれ変わりました。
隈研吾さんは2020年東京五輪の主会場となる新国立競技場、東京駅丸の内のJPタワー(KITTE)や、歌舞伎座と歌舞伎座タワー(GINZA KABUKIZA)、六本木サントリー美術館等を手掛けた事で有名ですよね。



伝承によれば、正安2年(1300年)、後伏見天皇の創祀に際して、群馬県赤城山麓の大胡の豪族であった大胡彦太郎重治が牛込に移住した時に、本国の鎮守であった赤城神社の御分霊をお祀りしたのが始まりと伝えられています。

その後、牛込早稲田の田島村(今の早稲田鶴巻町 元赤城神社の所在地)に鎮座していたお社を寛正元年(1460年)に太田道潅が神威を尊んで、牛込台(今の牛込見付附近)に遷し、さらに弘治元年(1555年)に、大胡宮内少輔(牛込氏)が現在の場所に遷したといわれています。
この牛込氏は、大胡氏の後裔にあたります。

天和3年(1683年)、徳川幕府は江戸大社の列に加え牛込の総鎮守と崇め、日枝神社、神田明神と並ぶ江戸の三社と称され、この周辺は門前町として栄えました。
とくに岡場所(私営の遊郭のこと。江戸時代、公営の遊郭である吉原に対して私設の遊郭として岡場所が各地に作られた。)が有名だったという。

神楽坂ではこの界隈の岡場所で遊ぶことを「金銀山猫」と称していました。
これは何のことかというと、赤城神社の境内とその周りで遊ぶには金一分(25000円)、そして行元寺の周りで遊ぶのは銀七匁五分(12500円)だったそうです。「山猫」とは「山の手で寝る子」という意味だったらしいです。
これが高いのか安いのか分かりませんが、ただ言えるのが当時吉原で遊ぶ人にはお大尽といって、一晩十両(100万円以上)を使う人がざらにいたらしいです。
まあそれに比べれば岡場所で遊ぶのは安直だったと言えます。その後時代は明治へと移るにつれ、この遊興地は花柳界へと発展していきます。

江戸時代までは赤城大明神と称されていたが、明治に入り現社号に改称。

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授与所にて、初穂料300円

posted by かめ忍者 at 04:00| 栃木 ☀| Comment(0) | ⛩東京の神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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