2017年(平成29年)3月6日 参詣
千葉県南房総市沓見241 鎮座
『延喜式神名帳』にある「莫越山神社(安房国・朝夷郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社
一の鳥居
社号標
二の鳥居
これより参道は直角に曲がり石段を登る。
説明板
手水舎
吽の狛犬
阿の狛犬
三の鳥居と拝殿
簡素な桧皮葺きである拝殿、 前面に「すだ椎」の古木が立ち、背面には楠の大木が茂っている。
本殿
社記によれば、初代神武天皇元年、天富命が忌部の諸氏を率いて、安房国に来臨し、東方開拓を進めた時、随神の天小民命が祖神である忌部の神、手置帆負命・彦狭知命を祀ったのが創祀。
大化の制においては国司の祭祀に預かったとされ、『延喜式神名帳』を経て、鎌倉時代初期の治承年間(1177年-1181年)に源頼朝が祈願、神田20町を寄進したという。
戦国時代、里見氏が領主の際も3石の寄進があり、江戸時代以降も3石の寄進があったという。代々領主の祈願所だった。
享保9年(1724年)、社殿造営の時に新宮に山中4ヶ所に祀られていた彦火火出見尊・豊玉姫命・鸕鷀草葺不合尊を合祭し、天保年間(1831年-1845年)に相殿とした。
彦火火出見尊は梅大御神、豊玉姫命は子安大神、鸕鷀草葺不合尊は間子大御神と称され、敷物の祖神・安産育児の神・海猟海上安全の神として崇敬された。
明治6年(1873年)に郷社に列し、明治25年(1892年)12月、小松大将宮彰仁親王から社号額字の真筆が下賜され、現在拝殿正面に奉掲されている。
宮司さん宅にて御朱印を頂きました
あいにくの雨天での参拝でしたが暖かく迎えていただき感謝です
御朱印




