神奈川県伊勢原市伊勢原3丁目8−1 鎮座

社号標

鳥居

阿の狛犬

吽の狛犬

狛犬の説明板

神社の説明板
大山詣りに来た伊勢の人がこの地に住み開墾を始め、努力の甲斐あってだんだん栄えてきたそうです。
そこでこの地の守り神として故郷の伊勢神宮の神様を勧請したとのこと。
以来、伊勢の神様が鎮座するこの地を”伊勢原”と呼ぶようになったそうです。
伊勢原の伊勢は伊勢神宮の伊勢だったんですね

手水舎

外宮、内宮と2つの拝殿

外宮拝殿
ご祭神 豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)
参拝方法ですが、伊勢神宮と同じで、まずは外宮からお参りし続いて内宮。

内宮拝殿
ご祭神 天照皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)

外宮側から両拝殿を撮影
内宮から外宮は繋がってます。

外宮、本殿
神社の創建は、江戸時代初期の元和年間(1615〜1624)のことであると伝えられております。
元和六年(1620)伊勢の国の人・山田曾右衛門と鎌倉の人・湯浅清左衛門は、大山参詣の途中、千手原という松原に一夜の宿を求めたところ、水音を聞いて開墾可能であることを悟り、当時このあたりを支配していた中原代官成瀬五左衛門の許可を得て、開墾に着手したのです。そこにだんだんと粕屋あたりより人が集まり現在の伊勢原市街の基礎が形成されました。曾右衛門は、この新しい開拓地の鎮守として、故郷である伊勢の神宮の神様を勧請し、奉祭することにいたしました。
こうして創建された当神社の御祭神に由来して当地は伊勢原と呼ばれるようになりました。
伊勢の神宮では、天照皇大御神が内宮に、豊受姫大神が外宮に、それぞれ奉祭されています。当神社もこれにならい両宮が別々に奉祭されています。全国でも珍しい社殿構造は、江戸時代に編纂された「新編相模風土記稿」にもみられ、創建以来の伝統として現在も受け継がれております。

この大神宮のシンボルマークは丸と四角・赤と白・人と自然をイメージしてデザイン化された“紅白のたまご”で内宮と外宮を表現しているそうです

授与所

御朱印