神奈川県座間市座間1丁目3437 鎮座
社号標
表参道入り口の一の鳥居
二の鳥居
社殿前の急階段に建つ三の鳥居
手水舎
拝殿
扁額
本殿
創建年代は諸説あるのだが、社伝によると、欽明天皇の御代(539年-571年)に創建と伝えられている。
欽明天皇の御代(539年-571年)、座間郷に悪疫が流行。
その時、白衣の老人(飯綱権現の化身)が現れ、山裾から湧き出る清水を使うと良いと告げたため、村人がそのお告げに従って、湧水を飲んだところ悪疫も治まり、感謝した村人達が飯綱大権現としてお祀りしたのが始まりとしている。
一方で、天保年間(1830年-1844年)に編纂された『新編相模国風土記稿』には、正和二年(1313年)に「飯綱権現社」を勧請されたと記されている。
座間市入谷にある座間郷総鎮守「鈴鹿明神社」の縁起では、当社は「鈴鹿明神社」の末社であったと記されていて、明治までは末社という扱いで崇敬を集めていた。
その「鈴鹿明神社」が欽明天皇の御代(539年-571年)に創建と伝えられているので、当社の社伝もそうした年代を採用しているのと思われます
鐘楼
神仏習合の名残
座間宿村の「飯綱權現社」として記されているのが当社。上述したように正和二年(1313年)に勧請と記されている。
明治になり神仏分離
1869年(明治二年)、「飯綱権現社」は神仏習合の色合いが強いため、「飯綱神社」に改称
1871年(明治四年)、天神原(現・キャンプ座間付近)にあった当社を座間宿村の村有林(現在の鎮座地)に移設遷座
1876年(明治九年)、「座間神社」に改称し、座間宿村の鎭守として村社に列した
境内社の「伊奴寝子神社」(いぬねこじんじゃ)
境内の裏手からキャンプ座間沿いに社殿の左手に鎮座
案内板では蚕神社の別名を当社としている
元々は畜産や養蚕が盛んだった事、蚕や家畜などを疫病から守護する蚕神社が今も右手側に一緒に鎮座
「犬」「猫」像を手の平でさすると願いが叶えられるという
雑誌にも取り上げられています
平成24年(2012年)8月に創建された全国でも珍しいペットたちのための神社
授与所にて御朱印を頂きました
御朱印




