祟鎮山 観音院 無量寺(むりょうじ)
2018年(平成30年)2月4日参詣
東京都世田谷区用賀4-20-1 鎮座
社号標と山門
東急田園都市線用賀駅すぐそばの無量寺
全景
無量寺には江戸時代に品川で漁師の網にかかった観音像が納められており、「用賀の観音様」として多くの人が参拝し賑わっていたそうです。
説明板
浄土宗に属し、芝の西応寺の末寺で、祟鎮山観音院と称する
寺史については明らかではないが、文政9年(1826)の「新編武蔵国風土記稿」には「開山光運社明誉寿広和尚、文禄3年(1594)8月18日示寂ス」と記されている。
本堂左の観音堂には、天正年間に品川の浜で漁師の網に揚げられ、用賀の住人橋六右衛門尉直住が観音様のお告げにより当寺に納めたものと言い伝えられている観音像が安置されており、12年に1回午の年に御開張が行われる。この他にもかつて当寺においては「観音様の御巡行」「お十夜」などの観音にゆかりの行事が盛んに行われ大変な賑わいを見せていたという。
現在の観音堂は文政13年(天保元年、1830)の棟札があることから、その草創はおそくとも江戸時代の前半期までさかのぼるものと考えられる。
手水舎
観音堂
用賀観音の十一面観音像が祀られています
実際のところ、この十一面観音は行基の作といわれています
本堂
扁額
無量寺は浄土宗に属し、芝の西応寺の末寺で、名前の由来は浄土三部経の中に阿弥陀経があり、その無量寿仏から名づけられたそうです。
歴史に関してははっきりしませんが、開山は光蓮社明誉寿広和尚で、「文禄三年(1594年)八月十六日示寂ス」と、新編武蔵国風土記稿に記されているそうです。
本尊は約45cmほどの三尊阿弥陀如来坐像で、製作者は春日といわれています。
埋庫にて御朱印をいただきました
埋庫玄関
御朱印
2018年05月13日
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