笠石神社
2019年4月29日 奉拝
栃木県大田原市湯津上430 鎮座
かれこれ3回目の参拝
国宝「那須国造碑」があり、その国宝の碑が御神体です。江戸期に碑が発見され、徳川光圀公が創建したそうです。
御神体が国宝の碑なんて珍しいですね
鳥居
手水舎
説明板
笠石神社に祀られている石碑で、碑文を刻まれた石碑のうえに笠状の石が載せられていることから「笠石(かさいし)」とも呼ばれています。西暦700年、当時の那須国(郡)を治めていた那須直韋提(なすのあたいいで)笠石神社に祀られている石碑で、碑文を刻まれた石碑のうえに笠状の石が載せられていることから「笠石(かさいし)」とも呼ばれています。西暦700年、当時の那須国(郡)を治めていた那須直韋提(なすのあたいいで)の没後、その子、意斯麻呂(おしまろ)等が韋提の遺徳を偲んで建碑したものです。それから約1000年後、水戸黄門の名で知られる水戸藩主徳川光圀が、倒れて草に埋れているこの石碑に堂をつくり安置しました。
碑文は、全文8行、19字詰め、152字で六朝風の書体で書かれており、宮城県の多賀城碑や群馬県の多胡碑と並び、日本三古碑の一つに数えられています。昭和27年には国宝に指定されました。没後、その子、意斯麻呂(おしまろ)等が韋提の遺徳を偲んで建碑したものです。それから約1000年後、水戸黄門の名で知られる水戸藩主徳川光圀が、倒れて草に埋れているこの石碑に堂をつくり安置しました。
碑文は、全文8行、19字詰め、152字で六朝風の書体で書かれており、宮城県の多賀城碑や群馬県の多胡碑と並び、日本三古碑の一つに数えられています。昭和27年には国宝に指定されました。
碑文は、全文8行、19字詰め、152字で六朝風の書体で書かれており、宮城県の多賀城碑や群馬県の多胡碑と並び、日本三古碑の一つに数えられています。昭和27年には国宝に指定されました。没後、その子、意斯麻呂(おしまろ)等が韋提の遺徳を偲んで建碑したものです。それから約1000年後、水戸黄門の名で知られる水戸藩主徳川光圀が、倒れて草に埋れているこの石碑に堂をつくり安置しました。
碑文は、全文8行、19字詰め、152字で六朝風の書体で書かれており、宮城県の多賀城碑や群馬県の多胡碑と並び、日本三古碑の一つに数えられています。昭和27年には国宝に指定されました。
社務所
御朱印が入っていた袋
御朱印