2019年05月02日

笠石神社(栃木県大田原市)

笠石神社
2019年4月29日 奉拝
栃木県大田原市湯津上430 鎮座

かれこれ3回目の参拝
国宝「那須国造碑」があり、その国宝の碑が御神体です。江戸期に碑が発見され、徳川光圀公が創建したそうです。
御神体が国宝の碑なんて珍しいですね
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鳥居

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手水舎

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説明板
笠石神社に祀られている石碑で、碑文を刻まれた石碑のうえに笠状の石が載せられていることから「笠石(かさいし)」とも呼ばれています。西暦700年、当時の那須国(郡)を治めていた那須直韋提(なすのあたいいで)笠石神社に祀られている石碑で、碑文を刻まれた石碑のうえに笠状の石が載せられていることから「笠石(かさいし)」とも呼ばれています。西暦700年、当時の那須国(郡)を治めていた那須直韋提(なすのあたいいで)の没後、その子、意斯麻呂(おしまろ)等が韋提の遺徳を偲んで建碑したものです。それから約1000年後、水戸黄門の名で知られる水戸藩主徳川光圀が、倒れて草に埋れているこの石碑に堂をつくり安置しました。

碑文は、全文8行、19字詰め、152字で六朝風の書体で書かれており、宮城県の多賀城碑や群馬県の多胡碑と並び、日本三古碑の一つに数えられています。昭和27年には国宝に指定されました。
没後、その子、意斯麻呂(おしまろ)等が韋提の遺徳を偲んで建碑したものです。それから約1000年後、水戸黄門の名で知られる水戸藩主徳川光圀が、倒れて草に埋れているこの石碑に堂をつくり安置しました。
碑文は、全文8行、19字詰め、152字で六朝風の書体で書かれており、宮城県の多賀城碑や群馬県の多胡碑と並び、日本三古碑の一つに数えられています。昭和27年には国宝に指定されました。

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社務所

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御朱印が入っていた袋

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御朱印


posted by かめ忍者 at 11:39| 栃木 ☀| Comment(0) | 栃木の神社・寺院(南東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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