箱根関所
2019年(令和元年)5月11日に見学
江戸時代、東海道を監視するために設置された箱根関所。
260年の役目を終え明治の初めに取り壊されて、長い間語り伝えられるだけの存在になっていました。
それが昭和58年(1983年)になり、江戸時代末期に行われた箱根関所解体修理の詳細な報告書が発見されたことから、当時の箱根関所の全貌が明らかになりました。
そこで箱根関所復元整備の一大プロジェクトが始動。
発掘調査を行い、江戸時代の建築技術にのっとって当時の建物や石垣を復元、2007年、およそ140年の時を経て再びその姿を現したという訳です。
260年の役目を終え明治の初めに取り壊されて、長い間語り伝えられるだけの存在になっていました。
それが昭和58年(1983年)になり、江戸時代末期に行われた箱根関所解体修理の詳細な報告書が発見されたことから、当時の箱根関所の全貌が明らかになりました。
そこで箱根関所復元整備の一大プロジェクトが始動。
発掘調査を行い、江戸時代の建築技術にのっとって当時の建物や石垣を復元、2007年、およそ140年の時を経て再びその姿を現したという訳です。
写真は「京口御門」
京都側の門ということ、ここから入ります。
門も塀も渋墨(しぶすみ)というのが塗ってあるそうで、まっ黒です。
京都側の門ということ、ここから入ります。
門も塀も渋墨(しぶすみ)というのが塗ってあるそうで、まっ黒です。
一般に関所の役割と言えば「入り鉄砲と出女」を取り締まることですが、箱根関所はそのうち出女(人質として江戸に居住させている大名の妻子などが国許へ逃亡すること)を取り締まったそうです。
「面番所」
ここが旅人の通行改めを行った場所です。
小田原藩から出向してきた番士(ばんし)や、それを補佐する定番人(じょうばんにん)などが審査や記録をしています。
ここが旅人の通行改めを行った場所です。
小田原藩から出向してきた番士(ばんし)や、それを補佐する定番人(じょうばんにん)などが審査や記録をしています。
面番所の前の縁側では人見女(ひとみおんな)と呼ばれる女性が出女の髪を解いたりして取り調べを行っていました。
関所破りをした罪人などを一時的に拘置する「獄屋(ごくや)」
箱根関所の全景
黒々した重厚な建物群です。
芦ノ湖をバックに、美しい!!
黒々した重厚な建物群です。
芦ノ湖をバックに、美しい!!
箱根関所が芦ノ湖と山の斜面に挟まれた自然の要害に建っていることがわかります。
地の利を生かしてこの地に建てられたのですね。
関所破りはたやすくありません。
地の利を生かしてこの地に建てられたのですね。
関所破りはたやすくありません。
「箱根の山は天下の険」と歌われていますが、「箱根の山」ってどこにあるのかということ。
調べてみると、箱根山という山はなく、この辺りの火山体の総称なのだそうです。
旧箱根街道は標高800メートルを超える山越えになったうえ、石畳が整備される以前は路面も悪く、旅の難所とされていたのだそうです。
調べてみると、箱根山という山はなく、この辺りの火山体の総称なのだそうです。
旧箱根街道は標高800メートルを超える山越えになったうえ、石畳が整備される以前は路面も悪く、旅の難所とされていたのだそうです。




