2017年06月11日

下吉田 椋神社(埼玉県秩父市)

椋神社(むくじんじゃ)
2017年(平成29年)4月29日 参詣
埼玉県秩父市下吉田7377 鎮座

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社号標

延喜式内社(小社)であり、旧社格は県社。

秩父には「椋神社」の社号をもつ神社が5社存在し、「椋神社」の名は延喜式神名帳にも記載されているいわゆる式内社である。
論社という扱いになるのだろうが、明治政府はいずれの神社にも式内社と称することを許したという。

その中でも当社は、最も知名度の高い神社ではないだろうか。
特に当社の10月の例祭である「龍勢祭」は有名。

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社殿の脇、大鳥居

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一の鳥居

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二の鳥居

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二の鳥居脇を固める細身の狛犬

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手水舎

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拝殿

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扁額

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本殿

社伝によると、第12代景行天皇の時代、日本武尊による東征の際、甲斐国酒折宮から武蔵国諸郡を経て、当地を通りがかった時、霧が深くて進めなかった。

軍神である事勝長狭神(猿田彦大神)に神慮を請い、鉾を立てたところ、光を放って飛翔したという。それが井泉の椋の木の下に止まり、そこに老翁が現れた。

その老翁が、日本武尊を戦勝に導いたという。日本武尊が神恩に感謝して祠を建て、祀ったのが創祀。当社の例祭には、龍勢花火が奉納される。いわゆる龍勢祭り・龍勢まつりで、この創祀伝承がモデル。

また、平将門討伐の際、俵藤太が当社に詣で、祈願したことにより討伐に成功したため、俵藤太によって春日四神が合祭され、井椋五社明神、あるいは井椋五所明神と称されるようになったという。

神社としては和銅3年(710年)に社殿が造営されたのを始まりとしている。


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10月の例祭である「龍勢祭」で使うやぐら
龍勢は、下吉田・椋神社の神賑行事として行われるもので、農村部に伝わるロケット製作技術として注目されている。
龍勢の製造は、松材の丸太を2つ割りにして中をくり抜き、竹たがで締めて筒にする。これに火薬を詰め長い青竹に括りつける。火薬の調合や導火線の付け方等で、各流派を生み出している。龍勢は高さ20mぐらいの櫓に掛け、空中高く発射させている。
※公開日:10月第2日曜

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社務所 兼 授与所にて御朱印を頂きました

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龍勢の印が特徴的です


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2017年06月09日

秩父今宮神社(埼玉県秩父市)

秩父今宮神社(ちちぶいまみやじんじゃ)
八大龍王宮(はちだいりゅうおうぐう)
2017年(平成29年)4月29日 参詣
埼玉県秩父市中町16-10 鎮座

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注連縄柱・社号標

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龍神池

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龍上観音・龍神観音
「秩父霊場発祥の地」を名乗っており、神仏習合を色濃く残した神社

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由緒板

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手水舎

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境内には樹齢推定千年以上とされる「龍神木」があり、この樹洞の中に八大龍王が祀られている。

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社殿前鳥居

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本殿

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古来より霊泉の地として伊邪那岐大神・伊邪那美大神が祀られていたところで、そこへ大宝年間(701年 - 704年)に、役小角が神仏混淆の考えに基づいて八大龍王を祀る『八大宮』を建立したとされる。さらに天長2年(825年)に当所を訪れた弘法大師が大日如来を宮中八神と結びつけたことにより仏教寺院としての性格を強め、『大宮山満光寺』『長岳山正覚院金剛寺』と呼ばれていた時代もある。天文4年(1535年)、流行する疫病への対策として京都の今宮神社から須佐之男命を勧請して今宮神社を創建、永禄13年には全体を『長岳山今宮坊』と称するようになった。明治に入って神仏判然令に従って仏教寺院として今宮観音堂を切り離し、今宮神社となった。


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馬頭観音

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清龍の滝
環境省指定、平成の名水百選。今宮神社には古来より武甲山の伏流水が湧き出ており、四月四日の水分(みくまり)祭ではこの伏流水の御神徳が秩父神社に授与され、秩父神社では今宮神社の水幣(みずぬさ)を持って御田植祭が斎行されています。平成十五年この清流の滝が昔ながらの姿に復元され、環境浄化の象徴として、又お浄めの冷水として珍重されています

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今宮弁財天社

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秩父霊場開祖役行者をお祀りしたお堂

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御朱印は授与所でいただきました。御朱印は五種類あります。御朱印の初穂料は各300円を納めました

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今宮神社

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龍の御姿

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役尊神祠

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八大龍王宮

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修験道の開祖とされている役小角

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2017年06月02日

秩父神社(埼玉県秩父市)

2017年(平成29年)4月29日 参詣
埼玉県秩父市番場町1−3 鎮座

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社号標

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鳥居

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狛犬

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神門

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手水舎

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拝殿

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扁額

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本殿

秩父神社のご創建は、平安初期の典籍『先代旧事紀−国造本紀−』によれば、第十代崇神天皇の御代に知知夫国の初代国造に任命された八意思兼命の十世の子孫である知知夫彦命が、祖神をお祀りしたことに始まるとされており、武蔵国成立以前より栄えた知知夫国の総鎮守として現在に至っています。

元慶2年(878年)には神階正四位下に進み、延長5年(927年)に編算された『延喜式』にも掲載されるなど、関東でも屈指の古社のひとつに数えられています。また、中世以降は関東武士団の源流、平良文を祖とする秩父平氏が奉じる妙見信仰と習合し、長く秩父妙見宮として隆盛を極めましたが、明治の神仏判然令により秩父神社の旧社名に復しました。

現存するご社殿は、天正20年(1592年)に徳川家康公が寄進されたもので、江戸時代初期の建築様式をよく留めていることなどから、埼玉県の有形文化財に指定されています。また、毎年12月3日に行われる例祭は、「秩父夜祭」として国の重要無形民俗文化財に指定され、京都の祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭のひとつに数えられています。


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平成殿(社務所)

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御由緒案内板

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境内案内板

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柞の禊川
水占みくじは、白紙のおみくじを神門の側に流れる小川の水に浸すと、紙に文字が浮き上がってくるというものです。神社の神様が水を司っていたことに由来しているそうです。

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迫力の絵馬
秩父神社には つなぎの龍の絵馬の他にも色々なタイプがあります。元気三猿が彫られたものや、北辰の梟や子育ての虎が描かれたものも、などなど どれもとても素敵な絵馬です。

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乳銀杏(秩父宮勢津子妃殿下御手植)

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授与所

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御朱印を頂きました

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御朱印

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2017年05月30日

「銭神様」聖神社(埼玉県秩父市)

聖神社(ひじりじんじゃ)
2017年(平成29年)4月29日 参詣
埼玉県秩父市黒谷字菅仁田2191 鎮座

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社号標

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「銭神様」ご利益 説明板
秩父聖神社は別名「銭神様」と呼ばれるほど、金運にご利益のある神社です。秩父聖神社で祈願すると一生お金に不自由しないと言われています。一度、テレビで紹介されてからは金運や開運のご利益をいただこうと、全国から参拝者が集う神社になりました。

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手水舎

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狛犬

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拝殿

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拝殿内

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本殿

秩父聖神社の歴史は銅貨の歴史でもあります。「続日本紀」によると、元明天皇の時代である708年に武蔵国秩父郡から和銅という天然の銅塊が発見され、朝廷に献上されたことを祝い、年号が和銅に改元されたと記されています。朝廷は勅使に雌雄一対の和銅製蜈蚣を持たせ、和銅が発見された和銅山前の祝山に和銅と和銅製ムカデを御神体とした神籬を建て祝典を挙げました。

祝典ののち、神籬を現在の地へ遷し、秩父聖神社として神鎮められたのが秩父聖神社の始まりと伝えられています。これ以来、ムカデは秩父聖神社の神の使いとして大切にされています。秩父聖神社の「聖」とは、「何をお願いしてもよく聞いてくれお願いを叶えてくれる」神様がいらっしゃるという意味でもあるそうです。

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旧社殿の境内社 和銅出雲神社
現在の社殿は秩父市中町の今宮神社から昭和39年(1964年)に移築されたもので、建築は江戸時代中期。秩父市の有形文化財に指定されています。


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大きな銅貨のオブジェ「和同開珎」

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授与品

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金運上昇の長財布
パートナーはこれを自分用とお土産で4つも買いました@@

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オリジナル御朱印帳
金運アップの神社にピッタリな黄色地をベースに、金文字で社名が入っていて、更に和同開珎と社殿の絵も金色です。そこに水色のムカデが存在感をアピールしています。まさに金ピカな御朱印帳なのです。

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御朱印は拝殿内で宮司さんが書いてくださいました

秩父聖神社で御朱印をいただくには、実際に御朱印帳に書いてもらうのは難しく 直に書いてもらいたいというこだわりがある人には残念という情報を得てましたので今回は宮司さんが居られて幸運でした。

書置きの御朱印は「聖」の文字が特徴的で遊び心がある文字で可愛らしかったですが、直書きもまた味があります。


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御朱印

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2017年05月28日

寶登山神社 奥宮へ参拝(埼玉県長瀞町)

宝登山神社(ほどさんじんじゃ)
2017年(平成29年)4月29日 参詣
埼玉県秩父郡長瀞町長瀞1828 鎮座

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登山道途中に社号標

●宝登山神社 奥宮への行き方
以下のどちらか です。
・宝登山神社 駐車場 近くから出ている ロープウェイで 5分
  (大人:片道券 460円、往復券800円)
・宝登山神社 駐車場 近くから 登山道を歩いて約 1時間

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私はロープウェイを選択しました<(_ _)>

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宝登山は千古の霊場、と書かれています

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大鳥居

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境内内
この空間、本当に気持ちがイイです

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手水舎、水は張られたませんでした

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細身の狛犬

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宝登山神社 奥宮

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宝登山神社創立ゆかりの地、宝登山山頂付近に鎮座しています

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扁額

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由緒掲示板

今からおよそ千九百年前、第十二代景行天皇の御代のこと、日本武尊とその軍勢が東国地方平定の折、宝登山に登って神霊を拝しました。日本武尊が兵を従えて宝登山の麓へと進んで行くと森の中に岩に囲まれた清らかな泉がありました。日本武尊も兵もこの泉で「みそぎ」をして身を清めました。

一隊は、頂上へ向かって登り始めました。しばらくすると山火事がおこりあっという間に、あたりは火の波に変わりました。一隊は日の渦に巻き込まれ脱出する事ができません。その時、突然現れた沢山の白犬、黒犬が風を切って猛火の中に飛び込んで行きます。犬たちは荒れ狂う炎の中で火を止めようと大活躍し、すっかり火は消えました。火を消した犬たちは日本武尊一隊を頂上へと導いて、頂上へ着くといつの間にか影のように消えていました。
犬たちは山の神のお使いに違いないと日本武尊は神様に感謝し、心からお礼を申し上げました。

日本武尊はこの山を「火止山(ほどやま)」と名付けられ、”神をお祀りするのにふさわしい、立派なお山"とされて、『神籬』(ひもろぎ)(御神霊をお迎えするための憑り代)をお建てになり、神武天皇、山の御神霊、火の御神霊の三柱をお祀りになりました。

これが、当社の御鎮座の起源「宝登山神社の始まりです。その後「火止山」は霊場として栄え、弘仁年中に「宝珠の玉が光り輝きながら山上に飛翔する」という神変が起こり、山の名と神社の名はこの吉兆時により「宝登山」と改めて今に至りました。(宝登山神社参拝の栞より)


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授与所 兼 お土産売り場にて御朱印を頂きました

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御朱印

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おかみさんが書いてくださいました

posted by かめ忍者 at 20:57| 栃木 ☀| Comment(0) | ⛩埼玉の神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月27日

寶登山神社(埼玉県長瀞町)

宝登山神社(ほどさんじんじゃ)
2017年(平成29年)4月29日 参詣
埼玉県秩父郡長瀞町長瀞1828 鎮座

「秩父神社」「三峯神社」と共に「秩父三社」のうちの一社とされている。
宝登山山麓には今回紹介する本社が、宝登山山頂には奥宮が鎮座する。
*平成23年に「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」にて一つ星の評価を埼玉で初めて得ました。

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秩父鉄道長瀞駅から、国道140号線方向に向かうと道路に面して大きな一の鳥居がすぐ見える

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二の鳥居

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手水舎

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階段を上り社殿へ

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狛犬

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拝殿

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社殿は江戸時代末から明治初頭に造り替えられた本殿、幣殿、拝殿より成る権現造り

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扁額

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社殿に彫られた彫刻
儒教の教えである【二十四孝】のお話が彫り込まれている

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【二十四孝】解説板

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本殿

社伝によれば、景行天皇41年(111年)、天皇の皇子・日本武尊による東征の際、尊が遥拝しようと山頂に向っていると巨犬が出てきて道案内をした。その途中、東北方より猛火の燃えて来るのに遭い、尊の進むことも退くこともできない状態になってしまった。すると巨犬が猛然と火中に跳入り火を消し止め、尊は無事頂上へ登り遥拝することができた。尊は巨犬に大いに感謝したところ、忽然と姿を消した。

このことから「火止山」の名が起き、のちに「宝登山」となったという。また巨犬は大山祇神の神犬であった事を知り、防火守護のため火産霊神を拝し、その後山麓に社殿を建て三神を鎮祭した。これが当社の起源であるとされる。


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御朱印は授与所で拝受

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御朱印

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2017年02月13日

峯ヶ岡八幡神社(埼玉県川口市)

2016年(平成28年)12月29日参詣
埼玉県川口市峯1304 鎮座

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鳥居

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拝殿

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横から見た拝殿と本殿

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本殿
本殿に祀られているのは、応神天皇、神宮皇后、仲哀天皇である。興味深いのは、神体として安置されている応神天皇の霊と言われている「八幡神」が菩薩の姿で表されていることだ。そのため、八幡大菩薩とも呼ばれている。

平安時代の天慶年間(938〜947)に源経基の創建と伝えられ、かつては足立群谷古田領三カ村(川口市新郷、安行の一部、草加市の一部)総鎮守に列せられた由緒ある神社です。

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推定樹齢600年の大きな銀杏の古木
この大銀杏は、参詣した若狭の八百比丘尼がひと休みした後に置き忘れていった杖が根付いて成長したと伝えられています。
新羅三郎義光が東北遠征の途中に先勝祈願した際、白い鳩がこの木にとまり、義光を加護したという伝説が伝わっている。そのため、現在でも神木として注連縄(しめなわ)を巡らせて崇敬されている。

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拝殿と大銀杏

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社務所

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御朱印

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2017年02月04日

九重神社(埼玉県川口市)迫力ある御神木

2016年12月29日参詣
埼玉県川口市安行原2048 鎮座

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社号標、二の鳥居、神社の看板

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この間まで、一の鳥居がありましたが老朽化のため2016年11月25日に撤去されたそうです
@kokonoe_jinja さんより その時の写真

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鳥居 ⛩

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鳥居の扁額越しに拝殿を望む

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拝殿

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本殿、御祭神:素戔嗚尊

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御由緒の説明板

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年末の参詣だったので、新しい注連縄作成、お正月の準備中でした

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御神木、樹齢500年を超えるスダジイ

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本殿裏手にある御嶽山、頂上は九重神社周辺で一番標高が高く見晴らしがいい

かつて、平将門が砦を築いたと言う言い伝えが残っているそうです

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迫力ある御神木、手入れも怠りないようです


九重神社は、密蔵院の中興第一六世法印栄尊が享保年間(1716〜36年)武蔵一宮氷川神社を勧請して創建したといいます。
明治時代には村社に列格、その後近隣の村社八社(領家の神明社・慈林の氷川稲荷合社・藤八の菅原社・吉蔵の八幡社・北谷の稲荷社・花粟の稲荷社・苗塚の稲荷社・小山の氷川社)を合計九社合併したことにより、
たことから、社号を氷川社から九重神社と改称したといいます。

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社務所

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御神木御朱印(初穂料600円)

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2017年02月01日

鳩ヶ谷氷川神社(川口市)

鳩ケ谷総鎮守 氷川神社
2016年12月29日参詣
埼玉県川口市鳩ヶ谷本町1丁目6−2 鎮座

前回の参拝は
2016年12月23日おかめ市
の時で、早々の6日後の参詣

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社号標

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一の鳥居

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二の鳥居

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三の鳥居

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神門

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拝殿側から見た神門

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拝殿の斜めよりのアングル
賽銭箱の周りに柵を作り 初詣の混雑を見越した準備

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拝殿

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本殿

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神水が湧き出る井戸


日光御成街道から少し西に入った旧鳩ヶ谷宿の中心の高台に位置しています。1394年に創建されたと伝えられています。
慶長五年(1600年)に徳川家康が奥州出陣の途中に鳩ヶ谷氷川神社境内で休息を取ったという記録があるそうです。

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社務所(お正月の準備万端、門松が飾られていました)

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初穂料¥300

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2017年01月25日

三ツ和氷川神社(埼玉県川口市)

2016年12月29日 参詣
埼玉県川口市三ツ和3-22-2 鎮座

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鳥居と社号標

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参道から拝殿を望む
地元の方々が清掃活動を行っていました

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注連縄交換作業

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清掃途中の拝殿、そんな中 合間を縫って参拝させて頂きました



(境内の掲示より)
三ツ和は、明治十年に中居・上新田・小渕の三か村が合併したことによって誕生した新しい村である。
当社は、この三か村の鎮守として創建されたと伝えられ、古くは中居村の本社と呼ばれているところに鎮座していたという。『風土記稿』小渕村の項に「氷川社 村の鎮守なり、当社は古中居村にありし社なり、本地十一面観音を安ず、源永寺の持」とあるのも、そうした由来を伝えるものである。ちなみに当社が、中居村から小渕村に移った時期は、吉田勉家所蔵の「小渕村濫觴記」によれば、文明年中(1469-87)のことという。また、「宗源宣旨写」によれば、享保七年(1722)に神祇官領吉田家から正一位の神位を拝受している。
いつのころにか、中居村に八幡神社が、上新田に稲荷神社が創建されたことから、当社は小渕村だけの鎮守となり、神仏分離を経て、明治六年には小渕村の村社となった。明治元年十二月付の「神職相転願」によれば、大宮氷川神社の岩井家に入門した河原采男を当社の神職として奉仕させ、併せて同家の家内一同が神葬祭に改めたい旨が記されており、連署の中には源永寺秀鎫・氏子檀中惣代武右衛門・役人惣代名主七左衛門らの名が見える。

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九重神社にて御朱印は頂きました


posted by かめ忍者 at 23:00| 栃木 ☀| Comment(0) | ⛩埼玉の神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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