2017年02月13日

峯ヶ岡八幡神社(埼玉県川口市)

2016年(平成28年)12月29日参詣
埼玉県川口市峯1304 鎮座

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鳥居

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拝殿

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横から見た拝殿と本殿

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本殿
本殿に祀られているのは、応神天皇、神宮皇后、仲哀天皇である。興味深いのは、神体として安置されている応神天皇の霊と言われている「八幡神」が菩薩の姿で表されていることだ。そのため、八幡大菩薩とも呼ばれている。

平安時代の天慶年間(938〜947)に源経基の創建と伝えられ、かつては足立群谷古田領三カ村(川口市新郷、安行の一部、草加市の一部)総鎮守に列せられた由緒ある神社です。

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推定樹齢600年の大きな銀杏の古木
この大銀杏は、参詣した若狭の八百比丘尼がひと休みした後に置き忘れていった杖が根付いて成長したと伝えられています。
新羅三郎義光が東北遠征の途中に先勝祈願した際、白い鳩がこの木にとまり、義光を加護したという伝説が伝わっている。そのため、現在でも神木として注連縄(しめなわ)を巡らせて崇敬されている。

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拝殿と大銀杏

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社務所

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御朱印

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2017年02月04日

九重神社(埼玉県川口市)迫力ある御神木

2016年12月29日参詣
埼玉県川口市安行原2048 鎮座

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社号標、二の鳥居、神社の看板

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この間まで、一の鳥居がありましたが老朽化のため2016年11月25日に撤去されたそうです
@kokonoe_jinja さんより その時の写真

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鳥居 ⛩

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鳥居の扁額越しに拝殿を望む

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拝殿

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本殿、御祭神:素戔嗚尊

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御由緒の説明板

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年末の参詣だったので、新しい注連縄作成、お正月の準備中でした

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御神木、樹齢500年を超えるスダジイ

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本殿裏手にある御嶽山、頂上は九重神社周辺で一番標高が高く見晴らしがいい

かつて、平将門が砦を築いたと言う言い伝えが残っているそうです

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迫力ある御神木、手入れも怠りないようです


九重神社は、密蔵院の中興第一六世法印栄尊が享保年間(1716〜36年)武蔵一宮氷川神社を勧請して創建したといいます。
明治時代には村社に列格、その後近隣の村社八社(領家の神明社・慈林の氷川稲荷合社・藤八の菅原社・吉蔵の八幡社・北谷の稲荷社・花粟の稲荷社・苗塚の稲荷社・小山の氷川社)を合計九社合併したことにより、
たことから、社号を氷川社から九重神社と改称したといいます。

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社務所

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御神木御朱印(初穂料600円)

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2017年02月01日

鳩ヶ谷氷川神社(川口市)

鳩ケ谷総鎮守 氷川神社
2016年12月29日参詣
埼玉県川口市鳩ヶ谷本町1丁目6−2 鎮座

前回の参拝は
2016年12月23日おかめ市
の時で、早々の6日後の参詣

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社号標

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一の鳥居

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二の鳥居

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三の鳥居

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神門

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拝殿側から見た神門

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拝殿の斜めよりのアングル
賽銭箱の周りに柵を作り 初詣の混雑を見越した準備

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拝殿

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本殿

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神水が湧き出る井戸


日光御成街道から少し西に入った旧鳩ヶ谷宿の中心の高台に位置しています。1394年に創建されたと伝えられています。
慶長五年(1600年)に徳川家康が奥州出陣の途中に鳩ヶ谷氷川神社境内で休息を取ったという記録があるそうです。

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社務所(お正月の準備万端、門松が飾られていました)

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初穂料¥300

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2017年01月25日

三ツ和氷川神社(埼玉県川口市)

2016年12月29日 参詣
埼玉県川口市三ツ和3-22-2 鎮座

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鳥居と社号標

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参道から拝殿を望む
地元の方々が清掃活動を行っていました

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注連縄交換作業

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清掃途中の拝殿、そんな中 合間を縫って参拝させて頂きました



(境内の掲示より)
三ツ和は、明治十年に中居・上新田・小渕の三か村が合併したことによって誕生した新しい村である。
当社は、この三か村の鎮守として創建されたと伝えられ、古くは中居村の本社と呼ばれているところに鎮座していたという。『風土記稿』小渕村の項に「氷川社 村の鎮守なり、当社は古中居村にありし社なり、本地十一面観音を安ず、源永寺の持」とあるのも、そうした由来を伝えるものである。ちなみに当社が、中居村から小渕村に移った時期は、吉田勉家所蔵の「小渕村濫觴記」によれば、文明年中(1469-87)のことという。また、「宗源宣旨写」によれば、享保七年(1722)に神祇官領吉田家から正一位の神位を拝受している。
いつのころにか、中居村に八幡神社が、上新田に稲荷神社が創建されたことから、当社は小渕村だけの鎮守となり、神仏分離を経て、明治六年には小渕村の村社となった。明治元年十二月付の「神職相転願」によれば、大宮氷川神社の岩井家に入門した河原采男を当社の神職として奉仕させ、併せて同家の家内一同が神葬祭に改めたい旨が記されており、連署の中には源永寺秀鎫・氏子檀中惣代武右衛門・役人惣代名主七左衛門らの名が見える。

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九重神社にて御朱印は頂きました


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2017年01月21日

高麗神社末社「水天宮」(埼玉県日高市)

2016年(平成28年)11月26日参詣
埼玉県日高市新堀833 鎮座

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高麗神社参道の脇にある、水天宮の遙拝所

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説明書き

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遥拝所わきの参道を登って行きます。

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鳥居

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御祭神    安徳天皇
高麗神社境内の山頂に祀られている水天宮は、江戸時代末期の建立と言われ、江戸の人形町の水天宮御分霊を勧請したものと思われます。
水難除けなど水に関する御神徳があるとされ、水天宮は江戸時代庶民から篤く信仰されました。さらに水の「流しだす」という作用から、無事生み出す「安産」体内から病を排出する「病気平癒」の御神徳があるといわれています。


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高麗神社参集殿受付で水天宮の御朱印を頂きました

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2017年01月20日

高麗神社(埼玉県日高市)

2016年11月26日参詣
埼玉県日高市新堀833 鎮座

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一の鳥居と社号標

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二の鳥居

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手水舎

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神門

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外拝殿


祭神は高麗王若光、猿田彦命、武内宿禰の3柱。
社伝には、716年(霊亀2)当地に移住した渡来人(高句麗人)の首長が『続日本紀』巻7にいう高麗王若光で、郡中の繁栄を祈って、彼が日ごろ崇敬する猿田彦命と武内宿禰を祀って白鬚明神としたのが創祀と伝える。
のち若光が高麗明神とされ、両神を合祀して高麗大明神となる。旧県社。
神奈川県大磯(おおいそ)町の旧郷社、高来神社(通称高麗神社)と関連する伝承もある。渡来人の王を祭神とするため、いまも在日韓国・朝鮮人たちの氏神的存在としても崇敬を集めている。

この神社では濱口雄幸、若槻禮次郎、斎藤実、小磯国昭、幣原喜重郎、鳩山一郎らが参拝後に総理大臣となったことから「出世明神」とも呼ばれているそうです。

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紅葉の季節の社殿と流鏑馬神事の様子がデザインされた御朱印帳

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高麗神社の御朱印には、季節ごとに異なる印を押してくれます。
参拝したのは11月、紅葉の印を押していただきました。

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2016年12月23日

おかめ市限定御朱印 鳩ケ谷氷川神社

鳩ケ谷総鎮守 氷川神社
2016年12月23日参詣
埼玉県川口市鳩ヶ谷本町1丁目6−2 鎮座

師走の風物詩として親しまれてる鳩ヶ谷氷川神社で行われるおかめ市が、12月23日(金)に行われました。

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午前中に行ったので、まだ人や出店はまばらでした。

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扁額

旧鳩ヶ谷宿の中心地で、日光御成街道からやや西に入った高台に鎮座し、 ご創立は1394年(応永元年)と伝えられております。


午後3時から数量限定で「ミニ福しゃもじ」を頒布するという事なので、また足を運んでしまいました。

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午後からは熊手を販売する露店や屋台で賑やかに

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数量限定「ミニ福しゃもじ」、並んでいるとき数えたら64個(後から出てきたかは定かでありません)


今回は恵比寿社祭・おかめ市が行われている際の参拝
鳩ヶ谷のおかめ市が始まったのは明治の末、日露戦争後の不景気で江戸時代から続いていた三・八市も次第に寂れ、何とか賑わいを復興させたいとの思いから、鳩ヶ谷の香具師〔こうぐし〕で元締めの長井弥五郎が商売繁盛の縁起物の熊手を買いに来る人が集まる酉の市を開く事を考え出しました。
第1回は明治43年と決まりましたが、台風や明治天皇崩御などで遅延となり、大正2年12月5日ようやく鳩ヶ谷のおかめ市が盛大に開かれました。その後鳩ヶ谷のおかめ市は25日となり、年末最後の酉の市とあって、熊手やお正月用品を買い求めに都内からも多くの人が集まり、県内でも屈指の賑わいをみせるようになりました。
現在、鳩ヶ谷のおかめ市は、毎年12月23日の天皇誕生日に開かれています。露店の数は熊手商を含め250店以上立ち並び、神社では神社境内の福を掻き込みながら自宅に帰ってもらう「カッコメ」という熊手を頒布(はんぷ)しています。

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黒鳩の御朱印帳が頒布開始

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おかめ市限定御朱印、書置きのみです
1/1〜1/9の期間も書置き対応。
御朱印の書き手・神職3名おられ、鳩文字希望の場合は当日電話対応で書き手の時間確認してほしいとのこと。

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2016年09月10日

箭弓稲荷神社(埼玉県)

2016年4月27日参詣
埼玉県東松山市箭弓町2-5-14 鎮座


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ご利益巡りの原点の1つ 息子の野球での活躍
かねてから、行ってみたいと思っていた東松山市の箭弓稲荷神社参拝に行ってきました。箭弓(やきゅう)稲荷の語呂から野球にも関係のある神社です。
箭弓稲荷⇒野球稲荷ということで全国から野球の好きな人々も参拝に訪れます。
なんと野球絵馬まで、私はバット型の絵馬を奉納してきました。
上達したい野球青少年や、草野球のお父さん、プロ野球選手までが訪れるそうです。
特に、埼玉県所沢市に本拠地を置く西武ライオンズの選手が頻繁に訪れ、「野球の神様」と言われている。
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創建は、和銅五年(712年)と伝へられ当時は、単なる小さな祠でしかなかったが
長元3年(1030年)、下総国の城主・平忠常の討伐に出かけた源頼信が、この周辺に一泊し、近くにあった野久稲荷神社に詣でて、太刀一振と馬一頭を奉納したところ、その夜に白羽の矢のような形をした雲が敵陣の方へ飛んでいくのを目撃する。これは神のお告げだと確信し、直ちに敵陣に攻め込んだ頼信は見事に快勝し、当地に、立派な社殿を建造し「箭弓稲荷大明神」と称えられ、その後も松山城主や川越城主の庇護を受け、現在に至る。


参拝時にぼたん祭りが開催されていました。毎年4月中旬〜5月上旬にぼたん祭りが開催されているそうです。
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このぼたん祭りは大正12年に東武鉄道の初代社長根津嘉一郎が、箭弓稲荷神社にぼたんを奉納したことから始まりました。ぼたん祭りでは1300株以上のぼたんが咲き乱れ、園内には他にもつつじや藤など、見ごたえのある花が咲きそろいます。

林家三平(初代)やその子の林家正蔵(9代目)で有名な、海老名家が信奉している神社でもある。
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2011年5月30日、AKB48の前田敦子が、6月4日公開前の初主演映画『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(略して『もしドラ』)の共演者の瀬戸康史、川口春奈と共に大ヒット祈願を行った。祝詞、おはらいなどの儀式の後に、箭弓稲荷神社ならではのホームベース型の絵馬に、大ヒットへの願いを書き込んだそうです。
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2016年09月08日

竹乃子浅間神社(埼玉県北本市)

2016年4月27日参詣
埼玉県北本市荒井2丁目東原公会堂 鎮座

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「荒井の富士塚」は、富士信仰に基づいて造られた人工の築山です。
築造が18世紀初めと古いことが評価され、市指定文化財となりました。
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塚は、荒井2丁目の通称「竹の子浅間」境内にあり、東西約28m、南北約27m、高さ5mの規模で頂きに社殿が建てられております。

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御朱印は高尾氷川神社にて頂きました

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2016年09月07日

原馬室愛宕神社(埼玉県鴻巣市)

原馬室愛宕神社(はらまむろ あたごじ んじゃ)
2016年4月27日参詣
埼玉県鴻巣市原馬室2825 鎮座

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長治二年(1105)の創立と伝えられる当社は、原馬室の鎮守として祀られてきた神社である。 その由緒は、江戸時代初期に、別当妙楽寺の法印日誉が写した「原馬室愛宕神社愛宕山記」に、次のように語られている。
当社は、勝軍地蔵を祀るがゆえに、愛宕山と称する。 武蔵少掾藤井元国は常に将軍地蔵の教化を願い、その霊地を訪ねていたが、ある夕、馬室郷を過ぎると、遥かに火の光が見えたので、その庵に泊めてもらうことにした。
この庵主は老尼であったが、「汝は久しく勝軍地蔵を信じるゆえ、今、姿を現すのだ」と言い、地蔵に身を変え、光を広野に放ち、十界平等印と令法久住印を元国に授けた。
元国は、その後、長治二年三月に山城国(現京都府)愛宕山を拝し、その神霊を彼の勝軍地蔵が出現した地に社殿を造営して祀った。 更に、正応二年(1333)に新田義貞が挙兵した際には、その臣の世良田利長が社頭に利剣を納めて戦勝を祈願し、貞和四年(1348)には武蔵権大目となった藤井行久が社殿を修め、神田を寄進した。
このような経緯をたどり、当社は現在のような形を整え、地元原馬室の人々から村の鎮守として信仰されるようになった。 『風土記稿』原馬室村の項に「愛宕社 村内の鎮守なり、妙楽寺の持」と記されているのは、そうした状況を記したものである。

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御朱印は高尾氷川神社で頂きました。
posted by かめ忍者 at 20:00| 栃木 ☁| Comment(0) | 埼玉の神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする