2017年03月06日

『君の名は。』の舞台!四谷 須賀神社

2017年(平成29年)2月4日 参詣
東京都新宿区須賀町5 鎮座

アニメ映画『君の名は。』その舞台モデルとなった四谷の須賀神社
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「君の名は。」ラストシーンに出てくる四谷須賀神社へ続く階段

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鳥居

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手水舎

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狛犬
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拝殿

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本殿


須賀神社は、四谷稲荷神社とされていたそうですが、明治元年に須賀神社と改称されたとのことです。
須賀神社の名前は、須佐之男命が、八頭の大蛇を打ち取った後、「心須賀し、須賀し」と宣った故事に由来したと言われています。

階段や坂に囲まれた高台の上にあり、神社の北側に2ケ所の階段が利用できます。
社殿は、文政2年に建立された後、老朽化に伴い、平成元年に大改修が行われ、現在の華麗な神社に生まれ変わりました。

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社殿の横のある冠木門形式の鳥居

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拝殿脇の社務所へ続く通路を守る狛犬

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社務所内に「友愛」鳩山一郎

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御朱印

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2017年02月07日

「有事人生」四谷於岩稲荷田宮神社(新宿区)

2017年(平成29年)2月4日参詣
東京都新宿区左門町17 鎮座

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鳥居

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扁額

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手水舎

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アイビーが這い、なかなか雰囲気があります

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手水舎の隣には小さなお稲荷さんもありました

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おいなりさん

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拝殿
幕は美の巨匠かづきれいこさんから奉納



この神社は、江戸時代御先手同心であった田宮の家の邸内にあった屋敷社で、初代田宮又左衛門の娘であったお岩さんが信仰して、婿養子の伊右衛門とともにこの社を信仰することで家運が上昇し、「お岩さんの稲荷」として土地の住民の信仰の対象となったといわれています。

歌舞伎狂言作者である四代目鶴屋南北が田宮家ゆかりの女性の失踪を、貞女であったお岩さんに置き換えて脚本とした「東海道四谷怪談(通称 四谷怪談)」が文政8年(1820年)に歌舞伎狂言として初演されるとさらに信仰を集めましたが、明治12年(1879年)に火事で焼失し、中央区新川に初代市川左団次の勧めで移転して於岩稲荷田宮神社が再建されました。
ここ四谷の土地は田宮家がその後も管理していて昭和27年(1952年)に再建したものです。
この地は昭和6年(1931年)に東京都指定旧跡となっています。

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こちらの拝殿にはお言葉守りがたくさん置いてあります

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その日の気分に合った言葉を持ち帰ることが出来ます(無料です!)

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我がファミリーが頂いた言葉守り

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神社脇の宮司さん宅

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お岩さんの子孫「田宮」家

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田宮神社の御朱印

「有事人生」事有るが人生
田宮家の11代目の宮司さんから、ありがたい説法がありました。
人間は身分関係なく人生にはいろいろな事がある。
東京電力の社長や天皇陛下、どんな人にでも、悪いことは起こる。
「どんな事があっても乗り越える力をわたしにください」 とお願いをしなさいと。
家紋「陰陽勾玉巴」は田宮家のみのものだと。


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2017年01月04日

蛍雪天神(神楽坂赤城神社境内末社)

蛍雪天神(けいせつてんじん)
2016年11月13日参詣
東京都新宿区赤城元町1-10 鎮座

神楽坂の赤城神社の境内にある末社になります。

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七五三の写真撮影舞台になっていました

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江戸中期、学問の神として崇められている菅原道真公を祀り、横寺町に鎮座して北野神社又は朝日天満宮と称されていたが、氏子、信徒なく、明治九年三月当境内に遷座。
その後、戦災により焼失したものを、平成十七年十月、現在横寺町にある、旺文社の御寄付により、全国の受験生への合格祈願の守護神「螢雪天神」として復興したものである(境内掲示より)。

名称は旺文社の大学受験生向けの月刊雑誌『螢雪時代』に由来し、受験生の合格を祈願する。

『天満宮御伝記略』の御内府及び御内府近辺二十五天神に「牛込横寺町」と記載のある一社で、いわゆる江戸二十五天神の一社。


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御朱印は神楽坂赤城神社の社務所にて


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2017年01月01日

靖国神社を再訪(千代田区)

2017年(平成29年)あけましておめでとうございます

靖国神社
2016年11月13日参詣
東京都千代田区九段北3ー1ー1鎮座

前回の参拝は2014年11月1日、靖国神社(千代田区)

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靖国神社へ向かう途中の裏門にて、監視カメラに有刺鉄線と物々しい

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南門から入りました
ここは、境内唯一の青銅製の狛犬出迎えてくれます。

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拝殿

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参拝へと並んでいるときの正面からの写真
この時警備員に注意されてしまいました^^; 正面からの写真は御遠慮くださいとのこと
「大変失礼いたしました<(_ _)>」
写真撮影は正面から外れれば大丈夫なので、横に移動して撮影するようにしましょう。
基本は他の神社の参拝方法と何ら変わらないと思います。

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時期的に七五三を祝う方が沢山いました

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本殿へは、そのままでは入ることができず参集殿で受け付けをする必要があります。
本殿のさらに奥には霊璽簿奉安殿があります

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参道

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大鳥居

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こちらは清朝の狛犬といい、日清戦争の後、朝鮮の三學寺の狛犬を山県有朋氏らが譲り受け、明治天皇に献上して、靖国神社に置かれるようになった、境内最古の狛犬です。

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社号標


当初は、戊辰戦争の官軍の戦死者を祀る神社だったが、東京招魂社は神社の格を上げるという意図のもとに「靖国神社」と改称される。靖国は、国を平和にするという意味。この改称と前後して、内戦の戦死者にとどまらず、国民的な対外戦争の犠牲者も合祀の対象になっていく。

靖国神社は国が管理していたが、その性格は戦後に大きく変わった。1945年12月にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が神道指令を発して、政教分離の原則と国家神道廃止を打ち出した。日本政府には宗教性を薄めて国の慰霊施設として残すか、国から切り離すかという2つの選択肢があったが、選んだのは後者だ。翌年に宗教法人令で靖国神社は民間の宗教法人となり、国のコントロール下から離れた。

1978年に当時の靖国神社の宮司によってA級戦犯が密かに合祀された。
(A級戦犯とは、日本を戦争に導いた指導者として東京裁判で罪に問われた人たちのこと)
米国、中国は、なぜ靖国参拝に抗議をするのか。基本としてA級戦犯合祀の問題があることは間違いないです。

靖国神社と首相参拝の歴史
【1869年】東京招魂社として創建。戊辰戦争の官軍戦死者を祀る。

【1879年】靖国神社に改称され、別格官幣社となる。

【1946年】改正宗教法人令で、民間の宗教法人に。
      宗教法人となった後も、総理の多くは参拝している
【1975年8月】三木総理が私的参拝。公私の区別が論点に。→参拝の「基準」がつくられた

【1975年11月】昭和天皇、戦後8回目かつ最後の靖国神社御参拝。

【1978年】松平永芳宮司が独断でA級戦犯を合祀。

【1985年】中曽根総理が公式参拝。中国が非難声明を発表。

【1987年】胡耀邦失脚。中国保守派の勢力が拡大。

【2001年】小泉総理が参拝。以来、毎年参拝。

【2005年】中国で反日デモ。日本側の対中感情も悪化。

【2013年】安倍総理が小泉総理以来7年ぶりの参拝。

▼靖国神社に合祀されているA級戦犯14名
[絞首刑]
東条英機(首相)/板垣征四郎(陸軍大将)/土肥原賢二(陸軍大将)/松井石根(陸軍大将)/木村兵太郎(陸軍大将)/武藤章(陸軍中将)/広田弘毅(首相)
[終身刑]
白鳥敏夫(駐イタリア大使)/平沼騏一郎(首相)/小磯国昭(陸軍大将)/梅津美治郎(陸軍大将)
[禁固20年]
東郷茂徳(外相)
[判決前に病死]
永野修身(海軍大将)/松岡洋右(外相)

国内の靖国問題で問われている本質とは、国家の命令で戦い亡くなった人をどうするのかということで、兵士の慰霊を行うことに関して異論はないはずだ。
ただ、そのやり方については、各立場で考え方の違いがある。ここは意見が分かれるところですね。

しかし、実現は容易ではない。というのも、靖国神社は民間の宗教法人であり、国が介入できないという建前があるからだ。仮に政府が分祀を望んでも、宮司が首を縦に振らなければ動かない。兵士の慰霊は国として取り組むべき重要な仕事なのに、一民間人が外交関係にまで影響している。
そこに靖国の問題の根深さがあります。


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御朱印は、拝殿に向かって右側奥にある参集殿の窓口で頂きます。朱印所・墨書所の案内板がでています

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2016年12月31日

神楽坂 赤城神社(新宿区)

2016年11月13日参詣
東京都新宿区赤城元町1-10 鎮座

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鳥居
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参道

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七五三で賑わう中、拝殿が見える

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建築家・隈研吾さんの監修により、2010年に大幅にリニューアルされ、ガラス張りのモダンな社殿に生まれ変わりました。
隈研吾さんは2020年東京五輪の主会場となる新国立競技場、東京駅丸の内のJPタワー(KITTE)や、歌舞伎座と歌舞伎座タワー(GINZA KABUKIZA)、六本木サントリー美術館等を手掛けた事で有名ですよね。



伝承によれば、正安2年(1300年)、後伏見天皇の創祀に際して、群馬県赤城山麓の大胡の豪族であった大胡彦太郎重治が牛込に移住した時に、本国の鎮守であった赤城神社の御分霊をお祀りしたのが始まりと伝えられています。

その後、牛込早稲田の田島村(今の早稲田鶴巻町 元赤城神社の所在地)に鎮座していたお社を寛正元年(1460年)に太田道潅が神威を尊んで、牛込台(今の牛込見付附近)に遷し、さらに弘治元年(1555年)に、大胡宮内少輔(牛込氏)が現在の場所に遷したといわれています。
この牛込氏は、大胡氏の後裔にあたります。

天和3年(1683年)、徳川幕府は江戸大社の列に加え牛込の総鎮守と崇め、日枝神社、神田明神と並ぶ江戸の三社と称され、この周辺は門前町として栄えました。
とくに岡場所(私営の遊郭のこと。江戸時代、公営の遊郭である吉原に対して私設の遊郭として岡場所が各地に作られた。)が有名だったという。

神楽坂ではこの界隈の岡場所で遊ぶことを「金銀山猫」と称していました。
これは何のことかというと、赤城神社の境内とその周りで遊ぶには金一分(25000円)、そして行元寺の周りで遊ぶのは銀七匁五分(12500円)だったそうです。「山猫」とは「山の手で寝る子」という意味だったらしいです。
これが高いのか安いのか分かりませんが、ただ言えるのが当時吉原で遊ぶ人にはお大尽といって、一晩十両(100万円以上)を使う人がざらにいたらしいです。
まあそれに比べれば岡場所で遊ぶのは安直だったと言えます。その後時代は明治へと移るにつれ、この遊興地は花柳界へと発展していきます。

江戸時代までは赤城大明神と称されていたが、明治に入り現社号に改称。

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授与所にて、初穂料300円

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2016年12月30日

神楽坂若宮八幡神社(東京)

2016年11月13日参詣
東京都新宿区若宮町18 鎮座

江戸時代は神楽坂の中心は若宮神社だったとも言われています。若宮神社の「神楽」の音が坂に響き渡っていたことから、「神楽坂」と言われるようになったと言われています。

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鳥居と社号標

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狛犬

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拝殿

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拝殿、本殿

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社務所 兼 自宅

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鎌倉時代の文治5年(1189年)秋、右大将、源頼朝公が奥州の藤原泰衡を征伐に向った時、当所で戦勝祈願を行い、鎌倉の若宮八幡宮(鶴岡八幡宮の若宮社)を勧請したとされる。
当初は仁徳天皇(若宮)を祀っていたが、後に応神天皇が祀られるようになったという。
文明年間(1469〜87)太田道灌によって再興された。別当は光明山普門院であったが、明治の神仏分離に際し、落飾して神職となった。

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文明年間頃までは大社で、神領などがあり美麗だといわれていました。『江戸名所図会』では巨大な若宮八幡宮が見られます。

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2016年12月29日

弘法大師開山 茶ノ木稲荷神社(新宿区市ヶ谷)

茶ノ木稲荷神社(ちゃのきいなりじんじゃ)
2016年11月13日参詣
東京都新宿区市谷八幡町15 鎮座

社伝によれば、弘法大師が東国に下向した際に創建したとされる。

市谷亀岡八幡宮の摂社
一摂社というよりも小規模な神社の体を成して現存するのは、やはりその御神威故からででしょうか

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社号標

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狐さんと奉納された赤いちょうちんが華やかに並んでいた。.

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拝殿

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本殿

元々は茶ノ木稲荷神社が古来よりあり、その敷地内に市谷亀岡八幡宮が移転してきたので、歴史としては茶ノ木神社の方が古くからこの場所にあると言うことになります。

眼病にご利益があるとして全国的にも有名です。
以下の伝説によるものです。
「昔から伝わるところにでは、昔この山に稲荷大神のお使いの白狐が居ましたが、ある時あやまって茶の木で目をつき、それ以来崇敬者は茶を忌み、正月の三ヶ日は茶を呑まない習俗がありました。
特に眼病の人は一七日、或は三七日二十一日の間茶をたって願えば霊験があらたかであったと言われており、その他様々な願いが成就したということです。」


幅広いご利益
茶ノ木稲荷神社縁起 市谷八幡神社の境内、石段左の方中段に御鎮座している茶木稲荷神社。

この山の地主の神でありまして古来この地を稲荷山【いなりやま】と呼んだのも、そのいわれによるものです。
御祭神は保食神【うけもちのかみ】、すなわち稲荷大神です。この大神は、食物衣服のことを司るのが主なる御神徳ですが、その他、家内屋敷の安全を始め、農業、工業、商業の繁昌、諸技藝の上達、交通旅行の安全等を護り、幅広いご利益を持っています。

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御朱印は市谷亀岡八幡宮の社務所にて

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2016年12月28日

市谷亀岡八幡宮(新宿区市ヶ谷)

市谷亀岡八幡宮(いちがや かめがおか はちまんぐう)
2016年11月13日参詣
東京都新宿区市谷八幡町15 鎮座

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社号標

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階段を登り終え眼下を望む

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愛嬌のある狛犬

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階段を登り終えると参道の先に拝殿

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犬も参拝に
ここは「大好きなペットといっしょに初詣に行きたい」「大切なペットにご祈願をお願いしたい」というオーナーさんの要望ではじまった『ペットと一緒の初詣』と『ペットの七五三』が出来ます。



創建は戦国時代である文明11年、太田道灌と言う武将により、鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を勧請し、祀ったのが始まりとされています。江戸城を築城する際に、西方の守護神として祀られました。鶴岡八幡宮の「鶴」に対して「亀」が付けられ、亀岡八幡宮と称されました。
亀岡鶴幡宮(かめおかつるまんぐう)と訳のわからない言い間違いをしていました方が若干1名いましたが(笑)

創建当時は現在の千代田区にありましたが、江戸時代になり、江戸城の外堀が出来たのを機に、現在の茶ノ木稲荷神社の敷地内に移転されました。江戸時代には「市谷八幡宮」と称されていました。

三代将軍徳川家光などの信仰を得て、再興されたと伝えられています。

第二次大戦で社殿が焼失してしまいましたが、昭和37年に再建され、現在に至ります。

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2016年12月27日

王子稲荷神社 東国三十三稲荷総司伝承

2016年10月19日参詣
東京都北区岸町1-12-26 鎮座

落語 「王子の狐」の舞台になったお稲荷さんです。
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鳥居

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キツネがお出迎え
ちなみに、境内では、多くの狐に出会うことができます。

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拝殿

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御祭神
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
宇気母智之神(うけもちのかみ)
和久産巣日神(わくむすびのかみ)

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いなり幼稚園も兼務

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江戸名所三十八景 王子稲荷社−広重


王子稲荷神社は、北区岸町にある神社で、岸稲荷と称していた(荒川の岸に鎮座していたことからといわれる)
元亨二年(1322年)領主豊島氏が紀州熊野神を勧請し王子神社を祀ったことから、王子という地名となり、当神社も王子稲荷神社と称するようになったと言われる
創建年代等は不詳ながら、治承4年(1180)以前の平安時代に創建
康平年間(1058~1065年)に征夷大将軍 源頼義により、関東稲荷総司の称号を与え崇敬していた。
※この関東とは陸奥国まで含む「東国三十三」である。昔の関東というと、今の東日本に相当

小田原北条氏は当社を深く尊崇し、朱印状を寄せており、江戸時代には、徳川将軍家の祈願所と定められて大層栄えました。


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2016年12月22日

王子神社(王子権現) 准勅祭社東京十社

2016年10月19日
東京都北区王子本町1丁目1−12 鎮座

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鳥居

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拝殿


社伝によると創建は不詳。
古くから土着の神があったようで、康平年中(1058-1065)源義家(八幡太郎)が奥州征伐(前九年の役)の時、当地で金輪仏頂の法を行い、凱旋の日に甲冑を奉納したと縁起にあるため、それ以前の勧請であると推測できる。

元亨二年(1322) 当地の領主豊島氏が社殿を再興。
豊島氏は熊野の方向を望む石神井川沿いの高台に、紀州熊野三社権現から王子大神を勧請している。
熊野新宮(新宮市)の「浜王子」より「若一王子宮」として奉斎したため「王子神社」と呼ばれるように。
江戸北部の熊野信仰の拠点として崇敬を集めた。

現在の「王子」の地名は当社がある事からきている。
王子村は古くは岸村といったが、同社が勧請されて王子村と改めたという。

豊島氏の後に領主となった小田原北条氏(後北条氏)からも寄進を受けている。
さらに徳川家康が江戸に入ると、徳川将軍家によって庇護され発展していく。

初代将軍・徳川家康は天正十九年(1591)に朱印地二百石を寄進。
これにより「王子権現」と呼ばれるようになった。

別当寺は「金輪寺」で、将軍家が日光社参や鷹狩の際に休息する御膳所となっていた。
そのため当社や同じく「金輪寺」を別当寺としていた「王子稲荷神社」も将軍家祈願所と定めらた。
明治に入ると神仏分離で別当寺と分離。
准勅祭社に指定されており、東京北方の守護とされ、現在は「東京十社」のうちの一社となっている。

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王子神社の御朱印を頂ける時間、9:30から16:30までとなっています。


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