2019年01月09日

人生一生、酒一升

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浅草に鎮座する、敬覚寺の掲示板に「人生一生 酒一升 あるかと思えば もう空か」という心に刺さる言葉


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2018年09月30日

浅草寺(東京都台東区)

金龍山 浅草寺(せんそうじ)
2018年(平成30年)4月29日参詣
東京都台東区浅草2-3-1 鎮座

言わずと知れた日本有数の観光名所

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「雷門」の正式名称は「風雷神門」。
天慶5(942)年、駒形付近に創建されましたが、鎌倉時代以降に現在の地へ移築されました。現在の門は慶応元(1865)年12月12日の田原町大火で消失したものを、昭和35(1960)年に、かの松下電器(現パナソニック株式会社)創始者・松下幸之助氏の寄進により復興再建されたものだとか。雷門と書かれた大提灯もパナソニックさんが寄進しているそうです

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社号標

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「雷門」から境内まで伸びる参道「仲見世」から漂ってくる江戸の風情とワクワク感は、活気あふれる下町・浅草ならでは

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浅草寺の山門「宝蔵門」をくぐって境内へ

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お水舎の外観

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お水舎の内

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空を見上げると、東京スカイツリーが見えました

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本堂

ご参拝の際には「南無観世音菩薩(なむかんぜおんぼさつ)」と唱えるといいそうですよ

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扁額

推古天皇36(628)年3月18日未明のことでした。今の隅田川に投網漁をしていた漁師の檜前浜成(ひのくまのはまなり)、竹成(たけなり)兄弟の網に一体の仏像がかかりました。それを豪族の土師真中知(はじのまなかち)は、尊い観音像であることを知り、深く帰依して自宅を寺とし、その観音像を奉安し、礼拝供養に勤めました。これが浅草寺のはじまりです。
 
大化元(645)年、勝海上人がこの地に留まり観音堂を建立、また夢告によりご本尊は秘仏と定められ武蔵国の観音信仰の中心地となりました。

現在の本堂再建工事にあたって出土した数々の遺物から、金龍山浅草寺は少なくとも平安期には大寺の伽藍をここ武蔵野の一漁村に構えていたことが判りました。
 
平安期はじめ、慈覚大師の巡拝により伽藍の整備が行われ、その後一層信者の層も厚くなりました。以来、慈覚大師を中興開山と呼んでおります

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御朱印は本堂内にていただきました

ご本尊である聖観世音菩薩は、秘仏であるため内陣の中央にある御宮殿内に安置されており、そのお顔を拝見することはできません。
すべてに慈悲の心をもつという観音さまに手を合わせお祈りすることで、その温かい心を持つことが叶い、日々を安泰に過ごせることに繋がるのだそうです。

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聖観世音菩薩の御朱印



「浅草名所七福神」のうち大黒天を祀る
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「影向堂(ようごうどう)」

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大黒天の御朱印


posted by かめ忍者 at 15:23| 栃木 ☁| Comment(0) | 卍東京の寺院 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月08日

円光院(東京都世田谷区)

大悲山 円光院 明王寺(だいひざんえんこういんみょうおうじ)
2018年(平成30年)3月3日参詣
東京都 世田谷区世田谷4丁目7番の12号 鎮座

東急世田谷線は三軒茶屋と京王線の下高井戸を結ぶ鉄道路線
始発の三軒茶屋から5つ目、世田谷駅で下車

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寺標

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本堂

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本堂の扁額は「大悲山」


円光院は天正年間(1573年〜1591年)に当時の世田谷城主吉良頼康により吉良家の祈願寺として透けんしたと伝えられています。
(一説には本能寺の変のあった天正10年創建とも)
吉良家の主家である北条氏の滅亡後、荒廃したが明治26年に再興されました。
盛尊和尚開山後400年以上の歴史がある寺院です。


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梅の花が満開でした

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庫裡

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玉川八十八箇所の御朱印
「本尊 不動明王」 ありがたくいただきました。


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2018年05月13日

用賀観音の無量寺(東京都世田谷区)

祟鎮山 観音院 無量寺(むりょうじ)
2018年(平成30年)2月4日参詣
東京都世田谷区用賀4-20-1 鎮座

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社号標と山門

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東急田園都市線用賀駅すぐそばの無量寺

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全景

無量寺には江戸時代に品川で漁師の網にかかった観音像が納められており、「用賀の観音様」として多くの人が参拝し賑わっていたそうです。

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説明板

浄土宗に属し、芝の西応寺の末寺で、祟鎮山観音院と称する
寺史については明らかではないが、文政9年(1826)の「新編武蔵国風土記稿」には「開山光運社明誉寿広和尚、文禄3年(1594)8月18日示寂ス」と記されている。
本堂左の観音堂には、天正年間に品川の浜で漁師の網に揚げられ、用賀の住人橋六右衛門尉直住が観音様のお告げにより当寺に納めたものと言い伝えられている観音像が安置されており、12年に1回午の年に御開張が行われる。この他にもかつて当寺においては「観音様の御巡行」「お十夜」などの観音にゆかりの行事が盛んに行われ大変な賑わいを見せていたという。
現在の観音堂は文政13年(天保元年、1830)の棟札があることから、その草創はおそくとも江戸時代の前半期までさかのぼるものと考えられる。

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手水舎

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観音堂
用賀観音の十一面観音像が祀られています
実際のところ、この十一面観音は行基の作といわれています

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本堂

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扁額

無量寺は浄土宗に属し、芝の西応寺の末寺で、名前の由来は浄土三部経の中に阿弥陀経があり、その無量寿仏から名づけられたそうです。

歴史に関してははっきりしませんが、開山は光蓮社明誉寿広和尚で、「文禄三年(1594年)八月十六日示寂ス」と、新編武蔵国風土記稿に記されているそうです。

本尊は約45cmほどの三尊阿弥陀如来坐像で、製作者は春日といわれています。


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埋庫にて御朱印をいただきました

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埋庫玄関


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御朱印


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2017年02月09日

於岩稲荷 陽運寺(新宿区)

2017年(平成29年)2月4日参詣
東京都新宿区左門町18 鎮座

長照山 陽運寺は山梨県身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗の寺院です。

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山門

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小さな稲荷

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手水舎

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花が添えてあり、お洒落
境内は狭いけど緑が多くとても可愛い作りで女性好みですね、まるで京都の小さなお寺みたいです。

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再建記念碑

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田宮家の井戸かもしれない井戸は新宿区の文化財で、湧き水はお清めに使われているそうです。

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水掛け福寿菩薩様
お題目を唱えながら、こちらの菩薩様にお水を掛け邪気払いました。

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阿の狛犬

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吽も狛犬

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可愛らしいミニ盆栽がありました

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本堂


水戸久昌寺の蓮牙院日建上人が昭和初期に創建しました。
鶴屋南北の東海道四谷怪談で有名な於岩がゆかりのある地であり、於岩稲荷を祀っており、道路向かいには四谷於岩稲荷田宮神社があります。


境内掲示による陽運寺の縁起では
由来の事
江戸時代、文政8年7月歌舞伎戯作者四世鶴屋南北作「東海道四谷怪談」が世に喧伝され、於岩様庶民の畏敬を受け当山その由縁の所として現在に至ったが、戦災に遇い協議の上本堂を栃木下野から薬師堂を移築再建した。棟札には宝暦7年とある。於岩様の戒名は得證院妙念日正大姉、墓は元鮫ヶ橋にあったが、現在は移転し巣鴨新庚申塚(妙行寺)にある。当堂内には於岩様御尊像奉祀され参拝者祈願の対象となり境内には由縁の井戸、再建記念碑等がある。(境内掲示より)




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受付所

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日蓮宗なので御首題ですが
「御朱印をお願いします」といつも通り寺院用の帳面を開いて御朱印をいただきました。

posted by かめ忍者 at 22:16| 栃木 ☔| Comment(0) | 卍東京の寺院 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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