2017年02月09日

於岩稲荷 陽運寺(新宿区)

2017年(平成29年)2月4日参詣
東京都新宿区左門町18 鎮座

長照山 陽運寺は山梨県身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗の寺院です。

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山門

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小さな稲荷

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手水舎

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花が添えてあり、お洒落
境内は狭いけど緑が多くとても可愛い作りで女性好みですね、まるで京都の小さなお寺みたいです。

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再建記念碑

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田宮家の井戸かもしれない井戸は新宿区の文化財で、湧き水はお清めに使われているそうです。

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水掛け福寿菩薩様
お題目を唱えながら、こちらの菩薩様にお水を掛け邪気払いました。

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阿の狛犬

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吽も狛犬

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可愛らしいミニ盆栽がありました

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本堂


水戸久昌寺の蓮牙院日建上人が昭和初期に創建しました。
鶴屋南北の東海道四谷怪談で有名な於岩がゆかりのある地であり、於岩稲荷を祀っており、道路向かいには四谷於岩稲荷田宮神社があります。


境内掲示による陽運寺の縁起では
由来の事
江戸時代、文政8年7月歌舞伎戯作者四世鶴屋南北作「東海道四谷怪談」が世に喧伝され、於岩様庶民の畏敬を受け当山その由縁の所として現在に至ったが、戦災に遇い協議の上本堂を栃木下野から薬師堂を移築再建した。棟札には宝暦7年とある。於岩様の戒名は得證院妙念日正大姉、墓は元鮫ヶ橋にあったが、現在は移転し巣鴨新庚申塚(妙行寺)にある。当堂内には於岩様御尊像奉祀され参拝者祈願の対象となり境内には由縁の井戸、再建記念碑等がある。(境内掲示より)




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受付所

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日蓮宗なので御首題ですが
「御朱印をお願いします」といつも通り寺院用の帳面を開いて御朱印をいただきました。

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2017年01月15日

神楽坂聖天 安養寺(東京)

醫光山 長寿院 安養寺
2016年11月13日参詣
東京都新宿区神楽坂6-2 鎮座

「安養寺」は別名、「神楽坂聖天」とも呼ばれています。

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正面にあるのは本堂ではなく聖天堂

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聖天堂には、「大聖歓喜天(聖天様)」が祭られています。
「聖天様」と一緒に祭られているのが「11面観音」で、「江戸三十三観音十六番札所」の本尊になります。

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参拝で敷地内に入ったら、お寺のおばちゃんが声を掛けてくれまして、2階にある薬師瑠璃光如来(黄金の神楽坂大仏)の部屋(本堂)へ案内してくれました。

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大仏様は「薬師如来」様で、かなり古いもののようです。高さ2mちょっとです。
東京大空襲で、このお寺も焼けてしまいますが、大仏様は、お顔、お手、薬壺が奇跡的に残りました。
これを当時、日本一とされた京都の仏師によって、復元されたのが今のこのお姿だそうです。



開設は平安時代に遡り、開基は天正19年(1591年)、慈覚大師円仁によります。
天正19年(1591年)、徳川家康が江戸城築城の際、城内川口より田安へ換地、その後天和3年(1683年)今の神楽坂の地に移転してきました。
ご本尊は「薬師瑠璃光如来」です。

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2017年01月14日

神楽坂 圓福寺(東京)

日蓮宗 妙徳山 圓福寺
2016年11月13日参詣
東京都新宿区横寺町15 鎮座

文禄5年(1596年)9月3日、加藤清正公により創建され、江戸三祖師の一つである厄除開運祖師や、江戸城から奉安された夜光鬼子母神を拝むことができます。

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神楽坂タイムスリップ ウォークラリーのスタンプポイントになっていました

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扁額

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福を呼ぶ福朗ちゃん

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懺悔(さんげ)ができる寺として知られ「懺悔守り」が人気を呼んでいる。
懺悔はキリスト教では「ざんげ」、仏教では「さんげ」と読むらしいです。
懺悔内容を記入し寺に奉納する種類のお守り。「過去の行いにより今があり、今の行いにより未来が決まる」という考えの下、過去の罪を心からわび、懺悔が健康運・仕事運(金運)・良縁という3つの事柄に変化をもたらすこと、つまり三化(さんげ)を祈念する。
懺悔の概念をより多くの人に知ってもらいたいと始めると、いろいろなメディアで取り上げられるようになり、全国からの問い合わせが多くなったと言う事です。
同寺ホームページ内に「神楽坂圓福寺お守り受付所」を開設。
懺悔守りは1枚500円。ネットで購入した場合は、懺悔内容を記入後、同寺まで返送する。



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江戸三大祖師
厄除け開運のお祖師さまの御首題

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2017年01月11日

毘沙門天 善國寺(神楽坂)

日蓮宗「鎮護山善國寺」
2016年11月13日参詣
東京都新宿区神楽坂5-36 鎮座

毘沙門天善國寺は神楽坂下と神楽坂上の間に位置し、神楽坂を神楽坂下から神楽坂上に歩けば左側に見えます。朱色の門、朱色の本堂ですから直ぐ分かります。

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神楽坂の街をめぐるスタンプラリー
が開催されていて混雑していました

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夏目漱石の『坊ちゃん』でも縁日のエピソードが出てきます。
「それから神楽坂の毘沙門の縁日で八寸許りの鯉を針で引っかけて、しめたと思ったらぽちゃりと落して仕舞ったが是は今考えても惜しいと云ったら、赤シャツは顎を前の方へ突き出してホホホ……と笑った」 

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善國寺虎石像 狛犬ならぬ狛虎が睨みをきかせています
善國寺毘沙門天は、またの名を多聞天ともいい、天の四方を守護する四天王の一つであり、北方または東北方を守護する軍神である。ゆえに人々の願いを多く聞き、ご利益を与えることを誓願とする天の神といわれている。善國寺の虎石像は、毘沙門天が寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻に降臨したことに由来する。

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本堂
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善国寺(ぜんこくじ)は、安土桃山時代の文禄4年(1595年)、池上本門寺第12代貫主である日惺上人により創建された、日蓮宗の寺院です。
本尊の毘沙門天は江戸時代より「神楽坂の毘沙門さま」として信仰を集め、芝正伝寺・浅草正法寺とともに江戸三毘沙門と呼ばれました。
現在は新宿山ノ手七福神の一つに数えられています。

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いただいた御朱印の中央の印には「長完功名」(長く功名を全うす)の文字
 
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2016年10月19日

顔だけの「上野大仏」

2016年6月5日参詣
東京都台東区上野公園7-47(上野恩賜公園 寛永寺)鎮座

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上野精養軒に隣接する、大仏山というちいさな丘の上にあるパゴダ薬師堂には、お隣に釈迦如来の大きなお顔が祀られています。
数々の災難を生き抜いてきたということで縁起のよい「合格大仏」として多くの受験生の皆さんのシンボルとしても知られています。

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人と比較すると大きさが分かりますね

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この場所に最初に大仏が建ったのは寛永8年(1631年)、粘土に漆喰塗りの釈迦如来坐像だった。
その後、万治年間 (1660年) に青銅製の釈迦像となり、元禄11年 (1698年)には大仏殿も建立された。
その後、1647年の地震、1841年の火災、1855年の地震などの災難に見舞われ、首や顔などの部分が破損。その都度修復作業が行われました。
しかし、1923(大正12)年の関東大震災で4度目の崩壊、頭部が落下。
その後、胴体の部分は戦争の軍需資源として使用されたため、顔のみが残り この地から消えてしまいました。
しかし、昭和42年(1967年)関東大震災の50回忌にあたり上野観光連盟が願主となってパゴダ薬師堂を建立。
昭和47年(1972年)寛永寺に保管されていた顔面部がレリーフとして安置され現在のお姿となった

もうこれ以上落ちない上野大仏の悲しい歴史

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御朱印は清水観音堂でいただきました。

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2016年10月18日

パゴダ薬師堂(上野恩賜公園 寛永寺)

2016年6月5日参詣
東京都台東区上野公園7-47 (上野恩賜公園 寛永寺)鎮座

パゴダ(pagoda)とは仏教用語で「仏塔」のことを指します。一般的には仏様の遺骨あるいは経文などを御安置する神聖な塔です。

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御本尊 薬師瑠璃光如来
御脇侍 日光・月光ニ菩薩
      (旧上野東照宮薬師堂ご本尊)
沿革
寛永8年(1631)堀丹後守直寄公が釈迦如来尊像を当山に建立せられ、1660年頃青銅の大仏に改鋳され。
大正12年(1923)、大震災で破損のため撤去する。

パゴダ建立
発願者 上野観光連盟
寄進者 大成建設株式会社
昭和42年(1967)7月吉日竣工  東叡山 寛永寺

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解説も付いていました
当病平癒(心と身の病を癒す)祈願成就のお参り

薬師如来は大医王仏とも称され、人々の病苦を救う仏様です。

先、薬師如来絵馬を受付にて授かり、願意と名前を記入します。絵馬を合掌にはさみ、正面で一礼して時計回りに薬師如来のご真言「オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ」を唱えながらパゴダの周りを歩きます。
正面に戻ってきたら再度一礼して絵馬掛けにかけて祈願完了です。
  ※一周する間に7回ご真言を唱えてください。

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御朱印は清水観音堂でいただきました。
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2016年10月12日

不忍池辯天堂(上野公園)

東叡山寛永寺弁天堂
東京都台東区上野公園2-1 鎮座
2016年6月5日参詣

弁天堂に祀られている弁財天は、谷中七福神の弁財天、上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場30番札所です。

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竹生島という琵琶湖北部に浮かぶ小島をご存知でしょうか。能の演目にもなっている竹生島は、琵琶湖八景のひとつとして古くから愛される名勝地。寛永寺造営の折、不忍池を琵琶湖に見立てて、池の中に竹生島を模した小島を築かせただけでなく、竹生島にある宝厳寺の弁財天を勧請して、弁天堂を建立させたのが創建の由来です。
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弁天堂へは石橋を渡っていきますが、たもとには一年を通じて出店もチラホラ。焼き鳥やもつ煮などを食べることができます。

弁天堂の周りのは 面白い石碑がありました

めがねの碑
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ふぐ供養碑
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スッポン感謝の碑
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包丁塚
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鳥塚 私達に食べられた鳥の供養碑
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2016年10月09日

歌川広重が描いた「月の松」がある 寛永寺 清水観音堂

東叡山 寛永寺 清水観音堂
2016年6月5日参詣
東京都台東区上野公園1-29 鎮座

江戸三十三観音霊場6番札所
東京三十三観音霊場30番札所

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清水観音堂は寛永8年(1631年)に天台宗寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正によって建立されました。
京都五条坂清水寺と同じ舞台造りで、初めは擂鉢山(東京分か会館西側の岡)に建てられましたが、元禄7年(1694年)9月に現在の地に移されました。
上野の山に現存する創建年次の明確な最古の建造物です。

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ご本尊の千手観音像は恵心僧都の作と言われ、京都の清水寺より迎えられた秘仏とされています。

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清水観音堂は、江戸時代から庶民に親しまれる名所となりました。
好奇心の強い江戸っ子が上野寛永清水堂に自然にできた松の丸い枝をほおっておくわけはなく、その様子が満月のようだということで、つけた名前が「月のまつ」。

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歌川広重「上野山内月のまつ」(国立国会図書館蔵)

その珍しさが人気を呼び、上野の名所となり、広重が「名所江戸百景」において「上野清水堂不忍ノ池」そして「上野山内月のまつ」として浮世絵に描いたものだからさらに人気をよんだ。

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歌川広重「上野清水堂不忍ノ池」(国立国会図書館蔵)

しかし、明治初期の台風により倒壊して忘れ去られていたが、有志の努力と、足立区の植木職人の協力により「月のまつ」が150年ぶりに復活し、2013年1月にお披露目された。
復活させた人達が目論んだ観光的人気は現在起きてはいないが浮世絵師「歌川広重」は草葉の陰で喜んでいると思います。

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2016年06月27日

増上寺(港区芝公園)

三縁山 広度院 増上寺
2016年1月24日参詣
東京都港区芝公園四丁目7番35号 鎮座

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増上寺は浄土宗の七大本山の一つ。
明徳四年(1393年)、酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)上人によって江戸貝塚の地に、浄土宗正統根本念仏道場として創建されたのが始まりと言われています。
江戸時代には、徳川家康の帰依を受けて徳川家の菩提寺として発展を遂げました。忠臣蔵のきっかけとなった殿中刃傷の引き金になったのは実は増上寺の参詣に関するトラブルからという様に、様々な物語や歴史の舞台にもなっています。
長く徳川家の庇護を受けてきた歴史を持ち、境内には二代秀忠、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の、六人の将軍の墓所がもうけられています。江戸幕府の歴史の長さと、その重みを知ることが出来ます。

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三縁山増上寺参門眺望之図(さんえんざんぞうじょうじ さんもんちょうぼうのず)

増上寺は東京の守り神とも言われています。それはなぜかというと、増上寺は戦災で大きなダメージを受けたにも関わらず、江戸時代から続く立派な建造物がしっかりと残っているからです。
(徳川家の将軍やその一族の御廟は焼失した。焼失をのがれた三門・経蔵・御成門などを含む境内は、昭和四十九年(1974)完成の大本堂とともに、近代的に整備された)

徳川家の菩提寺だけありますね。本堂にある「阿弥陀様」は家康公が、尊崇して、その加護によって災難を除け、戦勝を得たという仏様と言われています。

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勝運を招く黒本尊(くろほんぞん)も祀られていますので、スポーツの試合といった勝負どころに祈願しに参拝するのも良いです。

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2016年05月22日

東京23区内唯一の自然渓谷と等々力不動尊

瀧轟山 明王院
2015年11月1日参詣
東京都世田谷区等々力1-22-47 鎮座

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等々力不動尊明王院は、瀧轟山と号し、等々力満願寺の別院です。
等々力不動尊明王院は、根来寺の興教大師が当地に不動堂を建立したと伝えられます。
玉川八十八ヶ所霊場33番
関東三十六不動霊場17番

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等々力渓谷は東京都指定名所のひとつで、東京23区内唯一の自然渓谷。
武蔵野台地を谷沢川が浸食してできた全長約1kmの渓谷で、渓谷沿いの崖では地層の断面を観察することもできる。渓谷内には「不動の滝」のほか、30カ所以上の湧き水がある。
滝の上部には平安時代に役の行者の霊場とされた「等々力不動尊」があり、かつては滝に打たれて行をする修行僧が各地から訪れたという。そんな等々力渓谷および等々力不動産の湧き水は、2003年1月に「東京の名湧水57選」にも選ばれている。

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posted by かめ忍者 at 21:50| 栃木 ☀| Comment(0) | 卍東京の寺院 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする