2017年03月01日

伊勢崎神社(群馬)

2017年(平成29年)1月14日 参詣
群馬県伊勢崎市本町21-1 鎮座

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鳥居と社号標

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手水舎

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狛犬
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拝殿

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拝殿正面入口の上部には、戦時中、中島飛行機(富士重工業の前身)の社員が奉納した木製のプロペラがあります。飛行機が戦争から無事に帰ってくる様にと、渡航安全・航空安全を祈願したものです。

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本殿

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本殿、真裏より撮影

1213年(建保元年)に三浦義澄によって創建されたと伝えられている。旧称は飯福神社、通称「いいふくさま」。江戸時代には伊勢崎藩の神社だった(伊勢崎陣屋は伊勢崎神社から見て北西約500メートルほどの場所に立地)。
1926年(大正15年)に、近郷の神社を合祀し、伊勢崎神社に改名。また、1941年(昭和16年)には県社に列せられる。現在の社殿は1848年(嘉永元年)の建築。
また、「伊勢崎」の地名は、元亀年間(1570年 - 1573年)に伊勢神宮を勧請したことから名づけられたと言い伝えられている。

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境内脇のとり

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芭蕉句碑

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社務所

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御朱印

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2016年11月17日

茂呂 飯福神社(伊勢崎市)

2016年8月17日参詣
群馬県伊勢崎市大字茂呂3412 鎮座

飯福(いいふく)「良い福」を授かる神社だそうです^^

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創建年代は明らかではないが、伝承によれば、建武年間(1334〜36)に宗良親王が父君後醍醐天皇の命を受け征東将軍となって東国に赴いたが、御子の尹良親王薨去後は新田一族を率いて王事を尽していた。
その宗良・尹良両親王の御息所にちなんで、ここに「位々登美」の御神霊を奉祀した事が始まりとされている。その後は那波氏によって再興されたが、正親町天皇の御代の永禄五年(1562)、北條氏の兵乱に遭って社殿は悉く破損した。しかし、由良氏によって修理がなされ、天正年間(1573〜92)には、竹姫公の采邑となった。江戸時代に至ると、伊勢崎城主酒井日向守忠能によって修理が加えられ、明治維新以来は氏子の経営するところとなった。明治七年(1874)、村社に列せられ、同四十年(1907)九月十七日、境内末社の愛宕神社・秋葉神社・菅原神社、字堤の飯福神社・同境内末社の琴平神社・八幡神社、及び字宮上の秋葉神社、字白山の白山神社・同境内末社の菅原神社・疱瘡社を合祀して今に至る。
 
境内には、大正十四年(1925)建立の「古銭発見碑」があり、以前は桜の名所でもあった境内地を氏子達は「カミノヤマ」(上之山)と称している。

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「愛嬌のある」狛犬は、立て看板によると「いい福を授けてくれますので願いを込めて撫でてください」とありました。もはや原形が分からないほど顔がすり減っていました。

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宮司さんは常駐ではないですが運よく頂けました。冷たい缶のお茶まで頂き感謝です。

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2016年11月15日

大國神社 (伊勢崎市)

2016年8月17日参詣
群馬県伊勢崎市境下渕名2827 鎮座(旧境町)

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『延喜式神名帳』にある「大国神社(上野国・佐位郡)」に比定される式内社(小社)。上野国十二社の一社。近代社格では郷社。

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社伝(明和年間(1764年-1772年)の大国五護宮縁起)・『伊勢崎風土記』によると、第11代垂仁天皇9年に風雨不順によって人々が苦しめられていたため、天皇は諸国の神々に、その救済を祈った。
垂仁天皇は百済車臨を東国に派遣した。
その百済の車臨が、当地に来た時、御手洗池で手を洗っている白髪の老人と出会い、名前を尋ねると、「大国主命」であると告げる。
そこで車臨が人々の救済を願うと、老人の姿は消え疫病もなくなったという。
そこで、垂仁天皇は、車臨を賞賛し、当地を与えたという。

その後、丹後国穴太郷より五媛の宮を奉遷して合祀したので、当社を「五護宮」又は「五后宮」、「第五姫大明神」とも称されていたという。
丹波道主王命の子(渟葉田瓊入媛命、竹野媛命、日葉酢媛命、垂仁天皇后真砥野姫命、筋瓊入媛命)

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神社は比較的大きいのですが、宮司さんは常駐ではありません。
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2016年11月11日

国定赤城神社(伊勢崎市)

2016年8月17日参詣
群馬県伊勢崎市国定町2-1528
旧東村の赤城神社はJR両毛線と早川が交差する地点の西側にあります。大通りに接しておらず、地理的にちょっと分かりにくい場所にあります。

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当社の創建は不詳ながら、文治二年(1186)源頼朝の家臣で上野守護の安達藤九郎が、国土開拓の神である大己貴命と豊城入彦命の御神徳を尊び、再建したと伝えられている。
永禄年間(1558〜70)には国定越中守により改修が加えられ天正十八年(1590)の北条氏滅亡後は、国定村の鎮守神として村人達に信仰されてきた。
享保年間には前橋城主の酒井雅楽頭の奉幣を受け、以後毎年幣帛を納め祭事を行い、明治を迎える。
現在の社殿は、昭和四年(1929)に国定字古屋敷より現在地(旧菅原神社鎮座地)に移転改築されたものだそうです。

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この神社に伝わる獅子舞は遠く戦国時代より行われていたものであり、栃木県日光市今市で起こった文挟(ふばさみ)流の獅子舞と伝えられています。

舞の様式は日挟流神懸かり一人立ち三人連れ(牝獅子一、雄獅子二)というもので、関東地方で一般に舞われているものとほぼ同じですが、雄獅子のうち片方は鳳凰元(ほうおうがん)と言って角が1本の大変めずらしいものです。
笛は六穴の真笛他数名で演奏され、唄い方も二名以上で唄われます。歌は「立唄」「鳥居誉」等三十種類以上あり、中には国定領の由来を入れたものもあります。
舞い手は腰太鼓を打ち、「五穀豊穣」「厄病災難除け」「雨乞い」等を祈願しながら次の九種類の舞を舞います。

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2016年11月09日

旗本久永氏陣屋跡 大東神社(伊勢崎市)

大東神社(だいとうじんじゃ)
2016年8月18日参詣
群馬県伊勢崎市東小保方町3297-2 鎮座 (旧東村)

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大東神社の創建に関する由緒は不明であるが、豊城入彦命の東征に際して、その武臣が先駆して来て、神社を創建したのが始まりと伝わる。

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大東神社境内は、東小保方村を支配した旗本久永氏陣屋跡である。陣屋は東西75メートル、南北120メートルで、周囲に濠を巡らし、郭部分は外側より2.5メートルほど高く、枡形陣屋として近世陣屋の特徴を良く残している。
明治維新後は廃され、一時期小保方小学校として使用されていたが、大正5年(1916年)には周辺の神社を合祀した大東神社がおかれ今日に至っているものです。


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国定赤城神社にて墨書きを頂きました。御朱印は赤城神社のものです。

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2016年11月05日

小泉稲荷神社(伊勢崎市)

2016年8月18日参詣
群馬県伊勢崎市小泉町265 鎮座

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旧佐波郡東村、現伊勢崎市の小泉稲荷神社に参拝しました。
まずはかなり遠くから姿が見える大鳥居を目指して進みますほんとに畑しかない中にその大鳥居はそびえ立っていましたなかなかの迫力です!! 周りは見渡す限り畑で神社の姿は全くみえません。

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小泉稲荷神社は、人皇十二代崇神天皇の御代に豊城入彦命が東夷征討の際、案内の武臣が勅命によって山城国伏見稲荷大明神の御分霊を奉紀し住民の安穏と五穀豊穣を祈願し崇敬の道を教えるため創建されたと伝えられています。
その後、慶長五年(1600年)この地の領主久永源兵衛は崇敬の念が篤く社殿を修理し敬神の範を示したために領民からは氏神としたと云われています。特に江戸時代末期の祭礼日には近郷近在の参詣人で非常に賑わったと云われています。
明治、大正時代を経て昭和の御代に入り社殿も老朽化した事から社殿造営の奉賛会を組織し崇敬者の多数の御協賛により、昭和36年(1961年)4月に現在の社殿を造営しました。
稲荷大明神様の御神威益々輝き、霊験あらたかな御神徳を仰ぎ幸福を願う崇敬者は現在数十万人にも及ぶ賑はしさになり、崇敬者の稲荷大明神への大願成就の奉賽は奉納金、又は鳥居の奉納によって行われております。
現に社前には百数十基にも及ぶ鳥居が献進されておりますが、崇敬者の真心を顕現し小泉稲荷神社の神域の基礎と神威の象徴を明らかにするために、大鳥居の建設が計画され昭和53年(1978年)11月大鳥居建設奉賛会を組織し、万余人に及ぶ崇敬者の御協賛をいただき、昭和56年(1981年)4月15日に総工費1億円の大鳥居を竣工しました。(小泉稲荷神社由来書より)


入口には大量の鳥居が林立していて、その密度に度肝を抜かれました
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白狐納所
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御朱印を頂くため社務所へ行くと神職には見えない先輩のお姉さんが出てきた。
話を伺うと、地元の住民が交代で管理をしているらしい

しかも印はセルフで押すとのこと
人生初体験です。半紙を頂き練習させてもらい、いざ本番・・・うまく押せませんでした
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勿論、日付も自分で書き入れです。

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2016年09月21日

中之嶽大国神社(群馬県)

中之嶽大国神社(なかのたけおおくにじんじゃ)
2016年4月29日参詣
群馬県甘楽郡下仁田町上小坂1248 鎮座

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妙義山中之嶽神社の境内には中之嶽大国神社(なかのたけおおくにじんじゃ)があり、金色の日本一大きい大黒天が鎮座しています。
大黒天は小槌持っているのが一般的ですが、ここの大黒天は剣を持っている珍しい姿です。

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何故剣を持っているかは、不動明王と大黒天が習合した姿と言われる説、中之嶽神社の神宝が剣であることから、剣を持ってという説があります。

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高校野球球児の聖地甲子園球場。
甲子の年(1924年・大正13年)に完成した為、甲子園球場と名付けられました。

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そして、大黒天の縁日が甲子(きのえね)の日ということで甲子大国神社(きのえねおおくにじんじゃ)ともいい、特に甲子の日にお参りすると、御利益があるといわれております。

その甲子繋がりということで中之嶽大国神社は野球の神様としても有名なのです。
ご利益巡りの原点の1つ 息子の野球での活躍! かねてから、行ってみたいと思っていた神社でありました。

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2016年09月20日

妙義山 中之嶽神社

中之嶽神社(なかのたけじんじゃ)
2016年4月29日参詣
群馬県甘楽郡下仁田町上小坂1248 鎮座

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妙義山の昔は有料道路であった山岳ルートを走り、最高地点に近いところに神社はあります。 森林公園のさくらの里に隣接していて、里が満開を過ぎた頃、やや遅めの開花を迎えていました。

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社殿は長く急勾配の階段の上に建立され背後にある轟岩を御神体とする為、拝殿(明治時代再建、入母屋、銅板葺、桁行3間、梁間2間、正面1間向拝)と幣殿のみの社殿形式になっていて古代からの巨石(岩)信仰の名残が見られます。

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日本武尊が東征の際、妙義山に登嶽したことにちなみ、第29代欽明天皇の時代に妙形氏によって創建されたと伝わる。江戸時代には小幡藩の鎮守社とされた。

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奇岩がいたるところに見られる妙義山の中でも中之嶽の景色は、日本屈指の山岳美と讃えられている。

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2016年09月17日

妙義神社(富岡市)

2016年4月29日参詣
群馬県富岡市妙義町妙義6番地 鎮座
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鎮座する妙義山は上毛三山(赤城山:赤城神社・榛名山:榛名神社・妙義山:妙義神社)の1つで、後に日本三大奇勝、日本百景に数えられる程、特異な景観で古くから山岳信仰や自然崇拝的な信仰の対象として広く知られる存在でした。

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妙義神社の創建は537年と言われています。妙義山の古名が「波己曾(はこそ)山」で、昔は「波己曾神社」と呼ばれ、その頃のご祭神は「波己曾大神」。もともとは社はなく現在の本社の北側にある「影向(ようごう)岩」がその磐座であったといわれます。しかし「波己曾大神」から「妙義大権現」になった経緯など、はっきりとしたことはわかっていません。

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時代とともに山の呼び名は変わりました。そして「権現」とは仏が神の姿をして現れたもの。そこから推測すると、神仏習合による変化とも考えることができます。

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神仏習合であった証として、明治初期までは「石塔寺」と称するお寺があり、神仏分離令により廃寺となりましたが、現在もその名残が見られます。165段の急な階段の先に赤い随神門がありますが、その先が旧神域。手前までが旧石塔寺の領域です。

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2016年09月12日

上野國一宮「一之宮貫前神社」

一之宮貫前神社(いちのみやぬきさきじんじゃ)
2016年4月29日参詣
群馬県富岡市一ノ宮1535 鎮座

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参道を下った低地に社殿がある全国的に珍しい構造で、本殿・拝殿・楼門は寛永12年(1635)3代将軍徳川家光の再建、5代将軍綱吉による大がかりな修理を経て今日に至ります。本殿・拝殿・楼門は国指定重要文化財。
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延喜式神名帳の名神大社として名前が残っており、社格は明治四年に国幣中社に列格された。
戦後の社格制度の廃止に伴って、社号を『一之宮貫前神社』と改称。
(もともと抜鉾神社と貫前神社の2つの名称が古書にあった。2つの名称がある理由は「同じ神社を指す」と「別の神社を指す」という2説がある)
現在は神社本庁包括の別表神社になっている。

社伝によると、安閑天皇元年(531年)に物部姓磯部氏が氏神の経津主神を奉斎したのが始まり。
天武天皇白鳳二年(674年)には最初の奉幣が行われた。
※奉幣というのは、天皇の命により神社に幣帛という捧げ物をお納めする事

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