2017年09月19日

進雄神社(群馬県高崎市)

進雄神社(すさのおじんじゃ)
2017年(平成29年)7月22日参詣
群馬県高崎市柴崎町801 鎮座

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社号標

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一の鳥居は朱の大鳥居

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二の鳥居

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手水舎

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神橋

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社殿前、青銅の狛犬(吽形)

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狛犬(阿形)

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拝殿

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扁額
明治天皇の外祖父中山忠能公が染筆したものだそうです 

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本殿

須佐男・須佐之男・素盞雄
進雄でもスサノオとはちょっと読めなかった
祀ってある主祭神は、祇園祭で有名な京都八坂神社と同じ「須佐之男命(すさのおのみこと)」で、その他に稲田姫命様ほか二十四神が合祀されています

由緒書きより
進雄神社は、貞観十一年(869年)諸国に疫病蔓延の時に、清和天皇の勅掟により尾州津島神社を勧請して当地に創祀され以来千百数十年にわたり、皆様の健康と厄除を御護りし、広く崇敬されてまいりました。
天喜五年(1059年)源頼義公奥州征討の時に当神社を深く崇拝せられ武運長久を祈誓され、凱旋にあたり社殿を修造し神領を寄進されました。

戦国時代の武田、上杉、北条等の武将達の書状が今に伝えられ、戦勝祈祷文書や社家の安堵状等篤く崇拝された様子がしのばれます。
高崎藩主、箕輪城主より神領が寄進され奉幣の儀が度々行われ、寛永十一年に徳川家光公より御朱印三十石が寄進され、以来幕末まで続いておりました。

明治初年に神仏分離により、それまでの「天王宮」から雄大に進むを祈誓して大神様を社号とする「進雄神社」と改称され平成の御代に総檜、権現造の御社殿を新築造営すると共に神域を整厳しました。」



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御朱印は境内左手にある授与所で拝受
初穂料は300円

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御朱印


posted by かめ忍者 at 19:02| 栃木 ☁| Comment(0) | 群馬の神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月17日

倉賀野神社(群馬県高崎市)

倉賀野(くらがの)神社
2017年(平成29年)7月22日参詣
群馬県高崎市倉賀野町1263 鎮座

倉賀野町に鎮座、BOØWY氷室京介の地元ですね。参拝によく行かれていたとか
「彼の家は、高崎から1つ目の駅倉賀野にあった。噂話好きの優しい人たちと、静かな風景。そして大きな川と空っ風にふかれる豊かな四季のある街だった。」(大きなビートの木の下でより)
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社号標

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鳥居

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手水舎

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狛犬

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拝殿

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拝殿を斜めより撮影

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拝殿を見上げて見える彫刻は「飯玉縁起」の伝説を物語っています

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扁額

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本殿
御祭神
大国魂大神(おおくにたまのおおかみ)

第十代崇神(すじん)天皇48年、または大同2年(807年)に創始と伝えられ、倉賀野宿と近隣の七ヶ郷の総鎮守です。
旧社名は飯玉宮(いいだまぐう)、大国玉神社と呼ばれる時代を経て、明治43年(1910年)の神社合併により倉賀野神社となりました。



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説明版
歴史・沿革
第十代崇神天皇の御代、国中に疫病が広まり、帝は倭大国魂神に祈願して災厄を鎮めた。
やがて皇子の豊城入彦命は東国の平定を命ぜられる。そして、出立のとき帝から御愛石を授けられた。
社伝によると、豊城入彦命はこの御愛石を御魂代として祭祀された。この石は倭大国魂神の御分霊と伝わり「ご神体のクニタマさま」として今も御本殿に奉安される。
大同二年(807)坂上田村麻呂公が造営舞楽を奏上。
建長五年(1253)倉賀野三郎高俊(武州児玉党の余流で倉賀野氏の始祖)が社殿を造営。
以後、社殿の建替え、修復が繰り返されてきた。



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参道、社務所の間に神饌田

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境内の左脇参道にある鳥居

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御朱印は社務所にて頂きました
不在だったのでインターホンを鳴らしたら奥から出て来て書いて下さいました。


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御朱印

posted by かめ忍者 at 14:35| 栃木 ☔| Comment(0) | 群馬の神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月16日

小祝神社(群馬県高崎市)

小祝神社(おぼりじんじゃ)
2017年(平成29年)7月22日参詣
群馬県高崎市石原町1247 鎮座

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社号標

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鳥居

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手水舎

こちらの神社は、延喜式神名帳に記載された「式内社」になります。
また、上野国七宮になります。

参考に群馬の一の宮以下は
一ノ宮・貫前(ぬきさき)神社
二ノ宮・二宮赤城神社or三夜沢赤城神社
三ノ宮・三宮神社
四ノ宮・甲波宿禰(かわすくね)神社
五ノ宮・若伊香保神社
六ノ宮・榛名神社
七ノ宮・今回来た小祝神社
八ノ宮・火雷神社
九ノ宮・倭文(しどり)神社

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社号標

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狛犬(阿形)

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狛犬(吽形)

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拝殿
神社自体はこじんまりしていて境内は広くはありません。神社の西側の境内の中には石原第一保育園がありました。そんな中文化財に登録されている社殿は彫刻や色鮮やかな絵などなかなか立派でした。

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扁額

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本殿
主祭神、少彦名命(スクナヒコナノミコト)

由緒によると、
国史では、「小祝神」の神階が元慶四年(880年)に正五位下から正五位上勳十二等に昇叙された旨の記載が見えるが、創建ははっきりしない。
延長五年(927年)上野十二社第七社に加えられている。
小祝神社は、江戸時代には小祝大明神と呼ばれていた。そして片岡の鎮守として、また安産子育て、医薬の守護神として崇敬篤い社である。ということです。


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小祝神社案内板

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絵馬堂

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社務所で呼鈴をならすと宮司さんのお母さんだと思いますが対応していただき無事御朱印をいただくことが出来ました。(宮司さん不在なのでハンコでした)

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御朱印

posted by かめ忍者 at 02:53| 栃木 ☁| Comment(0) | 群馬の神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月13日

群馬県護国神社(群馬県高崎市)

群馬縣護國神社
2017年(平成29年)7月22日参詣
群馬県高崎市乗附町2000 鎮座

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社号標

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一の鳥居
中央がコンクリート舗装で鉄製の手摺り

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狛犬(阿形)

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狛犬(吽形)

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手水舎

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二の鳥居

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二の鳥居を抜け社殿へ続く参道

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拝殿

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本殿
御祭神・群馬県出身関係殉国の英霊

由緒(護国神社HPより)
明治維新以来の国難に際し、尊い生命を捧げて私たちをお守りくださった方々の神霊を奉斎するために、明治42年群馬県招魂会が結成され、高崎公園内に英霊殿が建立されて年々盛大に招魂祭が執行されてきたが昭和14年この祭祀を継承して、群馬縣護國神社を造営することなり、挙県一致のもとに御造営にとりかかり、多額の浄財と述べ12万人の勤労奉仕もあって、遥かに皇居に向かって現境内地に御社殿を御創建、昭和16年11月19日支那事変に到るまでの3.573柱の祭神を合祀し鎮座祭が執行された。 その後、大東亜戦争関係の祭神を次々と合祀して、その数は47,000柱を超え、県民崇敬の新しい祭事が営まれている。


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平和の礎
平成2年、平和の礎建立委員会「郷土部隊関係者」建立
境内で一番新しい慰霊碑

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社務所にて御朱印を頂きました

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御朱印

posted by かめ忍者 at 10:18| 栃木 ☀| Comment(0) | 群馬の神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月10日

高崎神社(群馬県高崎市)

2017年(平成29年)7月22日参詣
群馬県高崎市赤坂町94 鎮座

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社号標

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神社入口

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鳥居

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狛犬(吽形)

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狛犬(阿形)

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手水舎

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拝殿

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拝殿内

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本殿

由緒
当社は旧熊野神社と称し、後嵯峨天皇の寛元元年(1243年)和田城主和田小太郎正信が相模国三浦より城内榎森に勧請し、守護神として崇敬せられました。
後に慶長三年(1598年)伊井直正築城の際、今の地に奉遷し、高崎の総鎮守と為す旨、仰せ出されてより広く人々に崇敬されてまいりました。
明治四十年境内末社、市内鎮座の社を合併し、高崎神社と改称されました。


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敷地内には美保大國神社もあります
昭和4年(1929年)に島根県の美保神社から分霊を勧請し、事代主神と大国主神が祀られています。
昭和の不況時に高崎の商工業者たちによって、産業の振興を祈願して建てられた神社です。

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御朱印は社務所でいただけます。
結婚式場も併設しているので、かなり現代的な社務所でした。

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御朱印

posted by かめ忍者 at 21:41| 栃木 ☀| Comment(4) | 群馬の神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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