2017年(平成29年)7月22日参詣
群馬県高崎市柴崎町801 鎮座

社号標

一の鳥居は朱の大鳥居

二の鳥居

手水舎

神橋

社殿前、青銅の狛犬(吽形)

狛犬(阿形)

拝殿

扁額
明治天皇の外祖父中山忠能公が染筆したものだそうです

本殿
須佐男・須佐之男・素盞雄
進雄でもスサノオとはちょっと読めなかった
祀ってある主祭神は、祇園祭で有名な京都八坂神社と同じ「須佐之男命(すさのおのみこと)」で、その他に稲田姫命様ほか二十四神が合祀されています
由緒書きより
進雄神社は、貞観十一年(869年)諸国に疫病蔓延の時に、清和天皇の勅掟により尾州津島神社を勧請して当地に創祀され以来千百数十年にわたり、皆様の健康と厄除を御護りし、広く崇敬されてまいりました。
天喜五年(1059年)源頼義公奥州征討の時に当神社を深く崇拝せられ武運長久を祈誓され、凱旋にあたり社殿を修造し神領を寄進されました。
戦国時代の武田、上杉、北条等の武将達の書状が今に伝えられ、戦勝祈祷文書や社家の安堵状等篤く崇拝された様子がしのばれます。
高崎藩主、箕輪城主より神領が寄進され奉幣の儀が度々行われ、寛永十一年に徳川家光公より御朱印三十石が寄進され、以来幕末まで続いておりました。
明治初年に神仏分離により、それまでの「天王宮」から雄大に進むを祈誓して大神様を社号とする「進雄神社」と改称され平成の御代に総檜、権現造の御社殿を新築造営すると共に神域を整厳しました。」

御朱印は境内左手にある授与所で拝受
初穂料は300円

御朱印