2016年11月28日

子ノ権現 天龍寺(飯能)

大鱗山 雲洞院 天龍寺(通称・子ノ権現)ねのごんげん
2016年11月26日参詣
埼玉県飯能市南461 鎮座

武蔵野三十三観音 第三十二札所
関東百八地蔵尊 第十番札所

足腰に不安がある方は、お車での参拝をお勧めします。西武池袋線の飯能駅、または、西武秩父線の東飯能駅から、タクシーで約40分です。足腰が丈夫な方は、西武秩父線の吾野駅か西吾野駅から、ハイキング道を徒歩で約90分です。

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茶店の並ぶ参道の奥に、赤い鳥居が立つ。

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鳥居を抜けると黒門が見えてきます

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黒門
子ノ聖は、出羽三山を始め、諸国で修行し、当地に至った。
山に入るときに、悪鬼に邪魔をされ、火を放たれたが、十一面観音が天龍の姿となって現れて雨を降らし、火を消した。
このことにより、子の山山頂に至った子ノ聖は、十一面観音を祀って、寺の名を天の龍の寺、「天龍寺」としたそうです。

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露座の仁王像は稀有な存在

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本堂

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角大師や豆大師の護符で親しまれる「厄除元三大師」・十一面観音・不動明王様等が合祀

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本尊様へ履物を奉納し、各自の願をかける慣しがあります

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重さ2tの鉄のワラジ
子ノ聖が、「我、魔火のために腰より下に傷を負い悩めることあり、よって、腰より下に病ある者、誠の心で我を念ずれば、必ず霊験を授けん。」と言い遺していることから、足腰に験あらたかであるとされ、願いを立てるにあたっては、本堂に履物を供えるのが倣いとなった。そのシンボルとも言うべき存在が、この鉄の草鞋です。

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本坊
茅と杉皮で葺かれた屋根は圧巻。
大黒柱は楓の大木が使われているらしいです。
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天長9年(832)の子の年、子の月、子の日、子の時刻に生まれ7歳で仏門に帰依した子ノ聖が、延喜11年(911)に創建した。
その後、弟子の恵聖上人が子ノ聖を大権現と崇め、子ノ聖大権現社を建立されました。


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御朱印は、本坊にある授与所にて頂きました


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2016年11月27日

神仏習合の遺構 竹寺(飯能)

医王山薬寿院八王寺(通称・竹寺)
奥武蔵俳句寺とも
2016年11月26日参詣
埼玉県飯能市南704 鎮座

武蔵野三十三観音霊場の33番札所

車一台が通り抜けるのがやっとの狭い道が、くねくねとカーブを描きながら、急斜面を登って行く。対向車が来たらどうなるだろうか? 超集中しながら竹寺に無事に到着

お寺の略縁起によれば、天安元年(857)、「最澄」の弟子、慈覚大師「円仁」が東国巡修のおりに、疫病の流行を憐れみ、当山を道場として大護摩の秘法を修し、仏像を彫り残した。以後、山岳信仰の道場として歴史を刻んでいる。(従って天台宗になります)


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寺院ではあるが、いきなり鳥居が現れる。標柱には「牛頭天王 参道」の文字が刻まれていました。
この竹寺は、神仏習合のお寺として知られています。
明治維新の際には、標高490メートルという奥武蔵の深山にあったことと、修験道が盛んで神仏習合に寛容だった土地柄であったこともあり、神仏分離を免れたのだと云います。

ここは”奥武蔵俳句寺”としても知られ、境内には俳人の句碑が多くのこされています。また境内には樹齢400年「太田道灌」が植えたといわれる高野槙(コウヤマキ)も茂っています。また竹寺といわれるだけあって周辺には竹が多く茂っています。

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トーテムポール

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牛頭明王の像。平成4年に中国の人達から寄贈されたもの
銘板には天王ではなく”明王”とされているのは仏教の関係ですね。

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観音堂
聖観世音が祀られており、武蔵野観音の三十三番結願寺

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弁天堂

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本地堂(瑠璃殿)

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竹の鳥居

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鳥居に茅の輪を潜って牛頭天王宮へ向かう
まさに神社の装い

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牛頭天王本殿

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本坊
予約すれば精進料理が味わえる。(予約はこちら→042-977-0108)
自然の恵みである薬草を素材とした薬膳ですが、春(3月〜6月)と秋(9月〜12月)、住職の法話をお聞きしながら楽しめるものです。
またぶらりと訪れた場合でも「蕎麦膳」を楽しむ事ができます。

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授与品の数々
この場所にて庶民将来の御守りと御朱印を賜りました。

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武蔵野三十三観音霊場の33番札所の御朱印


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御朱印にも神仏習合の文字


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2016年07月28日

岩槻大師(埼玉県)

光岩山 釈迦院 岩槻大師 彌勒密寺
2016年3月5日参詣
埼玉県さいたま市岩槻区本町2-7-35 鎮座
関東三十六不動霊場の第三十一番札所

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開山第一世開成和尚(桓武天皇の兄)が、諸国へ修行の途中、この岩槻の地で疫病に苦しむ人々に出会い、それらを救われ、この地で発見された金色の弥勒菩薩を安置して宝亀5年(774)に創建されたと伝わっています。

大同2年(807)弘法大師の諸国巡錫の折り、本尊の大日大聖不動明王を始め、東方守護の降三世明王、南方守護の軍荼利明王、西方守護の大威徳明王、北方守護の金剛夜叉明王を彫像、五大力尊として安置し、岩槻第一の古刹として隆盛を極めました。
 
鎌倉時代には、北条氏の崇敬を得て、藤原吉次鋳造の梵鐘や妙澤筆の不動明王・制多迦童子・今迦羅童子の三福の掛け軸を寄進され、これらは寺宝として伝わっています。
 
江戸時代には、徳川家康が日光東照宮に葬られたあと、御本尊が北向きに動いたと伝わり、日光御成街道沿いでもあることから、江戸の街と東照宮を護る仏として、「北向不動」と称されるようになり、現在では、人々の喜び多かれとの願いに応えるため「喜多向き不動」として親しまれています。

地下仏殿には、四国八十八カ所の御本尊とお大師様を勧請し、各霊場寺院から請来したお砂を奉安しているため、お遍路巡拝の道場として広く伝えられています


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2016年06月16日

亀通山 行田院 大長寺(埼玉県)

2015年1月10日参詣
埼玉県行田市行田23-10 鎮座

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京都知恩院第29世岌善上人が元亀天正年間に諸国巡行中、当地へ滞留し大長寺を創建しました。寛永16年(1639)より文政6年(1823)まで忍藩主を勤めた阿部豊後守家の菩提寺となり、享保年間には大仏を寄進されています

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「大長寺 御朱印」

木版画風の押し印は棟方志功に版画を師事した、行田出身の書家で版画家の渥美大童氏の作だそうです。
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2016年03月26日

孤峰山 蓮馨寺(川越)

孤峰山 蓮馨寺(れんけいじ)
2015年5月9日奉拝

埼玉県川越市連雀町7-1鎮座

開基は1549年。先の川越城主、上杉朝定を打ち破った北条側城主、大道寺駿河守政繁の母、蓮馨大姉が仏教をひろめ民衆にこころのより所を与えたいと考え建てた寺で、以後、庶民の寺として親しまれてきた。
1602年には浄土宗の関東十八檀林(増上寺を頂点とする学問所)のひとつとなり葵の紋所が許されたが、同寺の境内にあった浴場は、八つ(午後3時)の鐘を合図に庶民に開放されたといい、その鐘はいまも川越の町に時を告げている。元禄時代の梵鐘、水舎の欄間に彫られた唐獅子などが当時の面影を残している。
正面の呑龍堂には、呑龍上人(1556〜1623)がまつられています。

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2016年03月24日

川越大師 喜多院(埼玉県)

星野山無量寿寺喜多院
2015年5月9日奉拝
埼玉県川越市小仙波町1ー20ー1鎮座


喜多院は、五百羅漢や正月3日のだるま市(初大師)で広く知られる。天長7(830)年、淳和天皇の勅により慈覚大師円仁により勅願所として創建された。

寛永15年(西暦1638年)の火災後の再建時には、時の将軍、徳川家光は、なんと江戸城紅葉山の客殿、書院などを移築し、未だに現存。
そのため、ここには何と、「徳川家光誕生の間」、「春日局化粧の間」と伝えられる物が残り、同時に、今では櫓・門を除けば失われてしまった、江戸城の建築物の遺構となっています。


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日本三大羅漢の1つ
喜多院の五百羅漢は中央高座の大仏(おおぼとけ)に釈迦如来、両脇侍(わきじ)に獅子に乗った文殊菩薩と象に乗った普腎菩薩、左の高座に阿弥陀如来、右の高座に地蔵菩薩があり、大小の石仏像すべて合わせると538体です。このうち533体が羅漢像です。

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成田山川越別院(埼玉県)

成田山川越別院本行院(ほんぎょういん)
2015年5月9日奉拝
埼玉県川越市久保町9ー2鎮座

大本山成田山新勝寺(千葉県成田市)の別院
真言宗密教の寺院で、本尊は不動明王です。

境内には成田山川越別院の開祖・石川照温師の等身大座像(入江長八作)が安置されている開山堂や、弘法大師の像が安置してある大師堂、福寿殿、鐘楼堂、出世稲荷などがあります。また、北門そばにある放生池では亀と鯉が泳いでいてます。亀は冬場は冬眠していますが、暖かくなると皆で甲羅干しをしている可愛らしい姿を見ることができます。

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posted by かめ忍者 at 20:35| 栃木 ☀| Comment(0) | 埼玉の寺院 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする