2017年04月29日

今宮神社(栃木県さくら市)新たに「十二支社」の御朱印が頒布

2017年(平成29年)4月28日 参詣
栃木県さくら市馬場43 鎮座

前回は2014年010月26日に今宮神社を参拝


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社号標

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鳥居

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楼門

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楼門の説明板

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楼門に掲示されている偉人の一言

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手水舎

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参道の先に拝殿

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拝殿の両側に灯篭

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拝殿

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拝殿内部

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扁額

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本殿

平安時代の後冷泉天皇の御代康平三年(1060年)素盞鳴命を祭神として創立する。
下野国史に宇都宮朝綱の三男公頼始めて氏家に城を築きし時に己が産土神たる宇都宮明神を合祀して城中の守護神としたとある。その後正安ニ年(1300年)城主公宗の崇敬により社殿を改築し、塩谷郡の北は三依、塩原より南は高根沢に至る二十四郷に毎年交営膳祭礼を行い社殿荘厳にして崇敬厚かりきとある、この記録は「今宮祭祀記」現存


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境内の大いちょうは樹令六〇〇年、栃木名木百選指定で特に新緑と紅葉は見事

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十二支社

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授与所

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平成29年より新たに十二支社の御朱印が頒布

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今宮神社の御朱印

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2017年03月23日

下野国 鷲宮神社(栃木県)再訪

2017年(平成29年)2月26日 参詣
栃木市都賀町家中451−2 鎮座

前回2015年03月30日の下野国 鷲宮神社
参拝記事

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境内入口、鳥居

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参道

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手水舎

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手水舎にニワトリ、お酉様ですから

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狛犬

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夢福神

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拝殿

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本殿

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御祭神 天日鷲命 大己貴命

創建は大同3年(808年)、元は現在地の東側を流れる思川河畔に鎮座していましたが、度重なる氾濫の為に承平元年(931年)に現在地へと遷座しました。

鎌倉幕府二代将軍、源頼家公が幼少の折、今の「百日ぜき」に罹り心配した頼朝の妻二位尼君(政子)が当社に鳥肉と卵を絶って病が治る様に祈願をし、頼家が回復するとお礼参りの使者として佐々木四郎高綱を社参させたといわれています。

「咳止めの神様」といわれる由縁



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社務所

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御朱印

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2017年03月08日

花園神社(東京都新宿区)

2017年(平成29年)2月4日 参詣
東京都新宿区新宿 5-17-3 鎮座

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看板

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大鳥居前の社号標
昭和40年(1965年)以前の名称「花園稲荷神社」が残る

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大鳥居

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大鳥居前を守る狛犬

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手水舎

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境内の梅が満開でした

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拝殿

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本殿

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創建時期は不明だが、徳川家康が江戸に入った1590年にはすで存在しており、大和吉野山よりの勧請と伝えらる。その後、当地に内藤新宿が開かれるとその鎮守として祭られるようになる。
元々は現在地よりも約250メートル南にあったが、寛政年間その地を朝倉筑後守が拝領しその下屋敷の敷地内となって参拝ができなくなり、氏子がその旨を幕府に訴えて、尾張藩下屋敷の庭の一部である現在地を拝領し、現在の地に遷座した。

そこは多くの花が咲き乱れていた花園の跡であることから「花園稲荷神社」と呼ばれるようになったと伝えられ、真義真言宗豊山派愛染院の別院・三光院の住職が別当を勤めたことから「三光院稲荷」とも、地名から「四谷追分稲荷」とも呼ばれていた。
明治に入ると村社に列格したが、その際、まだ「稲荷神社」と呼ばれていた。一説には届出の際に「花園」を書き忘れたといわれるが、大正15年に改名願を出し「花園稲荷神社」に改称した。
昭和3年、現新宿4丁目にあった雷電稲荷神社(雷電神社)を合祀、郷社に昇格。
昭和40年(1965年)、現在のコンクリート製の本殿に建て替えられ、その際に末社・大鳥神社(祭神・日本武尊)を本殿に合祀し、社名を現在の「花園神社」に改めた。

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新宿ゴールデン街側の鳥居

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その鳥居をくぐると鉄格子におおわれた銅の唐獅子像。
江戸末期の鋳工として名高い「村田整a」の作品で、文政4年(1821年)に造立されたものです。
新宿区の有形文化財に指定されています。

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社務所

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御朱印

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2017年02月08日

合格祈願! 芳賀天満宮(栃木)

2017年(平成29年)2月8日参詣
栃木県芳賀郡芳賀町西水沼1723 鎮座

前回の参拝は
2014年10月4日の時です。

この前は写真もあまり撮らなかったので今回は沢山撮影

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大鳥居

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社号標

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社殿へ続く階段

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鳥居

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説明板

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手水舎

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撫で牛
耳元で願い事を囁き頭を撫で合格祈願

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境内は早咲きの梅がほぼ満開状態
本咲、遅咲の梅もあり1/中〜3/中は天神梅まつり

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蝋梅も満開

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吽の狛犬

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阿の狛犬

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拝殿

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本殿

ブログのサブタイトルにも掲げてる息子達の活躍
これまで長男と2人きりでの巡りはしてるものの次男と2人きりでの参詣は久々です。
次男は高校へ野球特待生で進学したため寮生活になるので家を出ました。
昨年、夏の大会が終わり引退し自宅へ帰って来ました。
野球で大学推薦があったのですが、断って自力で進学を決めました(もう野球はやらないと・・・)
先月半ばセンター試験を終え、昨日に大学個別の試験を受け受験が終わりました。(とりあえず1つ合格はもらえました)

で、今日・・・大学入試合格祈願!!


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天満宮の御朱印帳

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「とちぎ神社ガイド」に印を頂きました。

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2017年01月07日

加波山神社 中宮 桜川里宮(茨城県)

2017年(平成29年)1月2日参詣
茨城県桜川市真壁町長岡891 鎮座

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鳥居と社号標

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新拝殿


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明治時代、最後の仙人と言われた国安普明を祀る神社。本殿は加波山中腹にある。桜川市真壁町長岡にある社殿は拝殿。 もと加波山神社真壁拝殿。隣接地に新拝殿が造られたことから、旧拝殿が普明神社の拝殿となった。


どうにも加波山はややこしい・・・

日本武尊の東征の際に創建されたとされる加波山山頂に本殿がある加波山神社。
加波山山頂を訪れたことがある人なら、なぜこんなに加波山神社があるのだろうと思った人も多いはず。 それもそのはず、山頂付近には3つの加波山神社の本殿と拝殿が個別にある状態だ。また、里宮も別々にある。

少なくとも江戸時代以前までは、加波山大権現というひとつの神社(当時は神仏混合)として扱われていた。
正式には
加波山神社とは、加波山神社中宮あるいは加波山神社天中宮
加波山神社本宮は、加波山三枝祇(さえなづみ)神社本宮。
加波山神社親宮は、加波山三枝祇(さえなづみ)神社親宮のことをいう。

今回出向いた桜川市(旧真壁町)には、100mぐらい離れた場所に
加波山神社(中宮)と
加波山三枝祇神社本宮(親宮を合祀)の里宮があります。
※加波山三枝祇神社 本宮の里宮
は去る2015年6月4日奉拝し御朱印を頂いております。

石岡市(旧八郷町)には、加波山神社(中宮)の里宮がある

箇条書きでまとめ・・・書いていてもこんがらがってくる
■加波山神社(加波山天中宮・加波山大権現)
加波山山頂(本殿・たばこ神社・拝殿・社務所・宿泊所)
真壁町長岡(長岡拝殿・社務所)
八郷町大塚(大塚拝殿)

■加波山三枝祇神社(加波山神社本宮・加波山神社親宮・加波山大権現)
加波山山頂(本宮本殿・本宮拝殿・親宮本殿・親宮拝殿)
真壁郡真壁町長岡(本宮および親宮拝殿)


で、今回は 「加波山神社 中宮 桜川里宮」 の参詣です。
由緒では、第12代景行天皇の時代、日本武尊が東征の際、加波山に登り、三神を祀り、社を建てて加波山天中宮が創建されたと伝わる。
801(延暦20)年、征夷大将軍・坂上田村麻呂が東征に際して戦勝を祈願、806(大同元)年には社殿を寄進したという。 江戸時代には水戸徳川家の崇敬が厚かった。また、明治の神仏分離で、加波山神社に改めた際、水戸藩家老・鈴木石見守重義が初代宮司になっている。 1873(明治6)年、郷社。
加波山神社は、山頂(正確には山頂北側の頂)にある本殿のほか、山頂近くに標高638mの場所には拝殿が、 山麓の桜川市長岡には真壁拝殿が、石岡市大塚には八郷拝殿がある。
真壁拝殿は、1901(明治34)年に設置された。現在の真壁拝殿に隣接する加波山普明神社拝殿の場所。 現在の真壁拝殿は2005(平成16)年に建立された。
八郷拝殿は、1877(明治11)年に建立されている。
なお、加波山ユースホステルを経営している。
本殿の扁額には「加波山天中宮」と記されている。


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今回、3度目の参詣にて御朱印を拝受出来ました。
1度目は、1人で行きましたが書き手が所用でいませんでした。
2度目は、パートナーと行きましたが社務所が閉じていました。
3度目の今回は、最初の申し出では「正月三日間は、ここで御朱印は書きません」との事でした。
今回の参拝は父母、弟夫婦と姪っ子(小3、年中)と一緒で 父が膝に水が溜まり痛めているので段差のない神社ということで私が選びました。その光景を見ての事なのか? 特別に書いて頂けました。

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2017年01月06日

宗任神社(茨城県下妻市)

宗任神社(むねとうじんじゃ)
2017年(平成29年)1月2日参詣
茨城県下妻市(旧千代川村)本宗道89 鎮座

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豊田三十三郷・幸嶋十二郷の総社 宗任神社と大きく書かれた看板

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社号標

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狛犬と鳥居

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二の鳥居

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拝殿

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本殿

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安倍宗任の家臣である松本七郎秀則の像



御祭神:阿部宗任・阿部貞任

当社は、平安時代後期に陸奥国でおこった前九年の役(1051〜61年)で源頼義の軍勢に敗れた阿部宗任公を祀った神社です。
縁起記に天仁2年、阿部氏の臣松本七郎秀則・息八郎秀元が亡君宗任公の神託により旧臣二十余名と共に公着用の青龍の甲胄・遺物を奉じて奥羽の鳥海山の麓から当地(旧黒の里)来往して鎮齊した。
鎮座するにあたって宗任公の霊は、「天の道、人の道を行くを宗とする意味で宗道と地名を改めれば、人はすこやかに、地は栄えるようになるであろう」と告げる。以来この地は宗道となった。

鎌倉時代には、豊田三十三郷幸嶋十二郷の総社として多くの人々から信仰され、地方の豪族小田氏治・豊田将基なども信仰した。江戸時代、三代将軍家光公より代々、朱印地五石を与えられる。本殿拝殿寛永年間に家光公より寄進。明治6年4月1日村社に列格。同12年村内大火のため類焼。同17年再建造営。同42年5月20日(第238号)供進指定。昭和27年8月22日宗教法人設立。同53年「第1期モデル神社」指定。

千代川町・石毛町豊田周辺の総鎮守


御祭神、安倍氏の子孫は全国各地にいるそうで、安倍晋三内閣総理大臣も山口県長門市に流れていった安倍一族の子孫ともいわれているそうです。

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人形に名前を書き祈祷をお願いしてきました

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社務所

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御朱印

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2017年01月05日

平将門終焉の地 國王神社(茨城県坂東市)

2017年(平成29年)1月2日参詣
茨城県坂東市(旧岩井市)岩井951 鎮座

平将門
を祀る神社であり、主祭神(一時大国主命に変えたが戻した)

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鳥居

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説明板

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参道
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狛犬

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拝殿(造りは原始的な茅葺き入母屋造)

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拝殿 文化14年(1817年)入母屋、茅葺 茨城県指定重要文化財

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拝殿内
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「将門公の肖像画」

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「神像(御神体)の写真」

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拝殿脇にはお正月という事もあり お神酒がありました

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本殿 延宝3年(1675年)一間社流造、茅葺 茨城県指定重要文化財

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供養塔


『神社分限帳』には、“平将門が討たれた所にその霊を祀った”と記述があります。
天慶3年2月14日、藤原秀郷・平貞盛連合軍との戦いの最中、流れ矢に当り三十八才の若さで落命した将門公の「終焉の地」が、この境内であると伝えられているのです。

また戦場で討たれた平将門の馬が、胴だけを乗せてこの地まで辿り着いたとさえ言い伝えられています。

社伝によると、平将門の戦死の際、難を逃れ奥州の恵日寺付近に庵を結び出家し隠棲していた将門の三女如蔵尼が、将門の33回忌にあたる972年(天禄3年)にこの地に戻り、付近の山林にて霊木を得て、将門の像を刻み、祠を建て安置し祀ったのがはじまりとされる。
古くから神仏習合し延命寺(島の薬師)などが別当を務め「将門大明神」や「国王大明神」などと呼ばれてきましたが明治時代初頭の神仏分離令により仏教色は一掃され社号を「国王神社」に改め村社に列しています。


地元では、弱い者を助け、権力に立ち向かった英雄であり、志半ばで倒れた将門公の無念さや悲しみを静かに感じる場所です。


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授与所

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国王神社の社紋は平将門公が用いた「九曜紋(くようもん)」御朱印にも捺印されています
御朱印は正月と11月に行われる将門まつりの期間限定

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2016年12月01日

藤内神社(水戸市藤井町)

2016年8月19日参詣
茨城県水戸市藤井町874 鎮座

創建は養老5年(721年)6月
養老5年4月12日朝、朝望峰に霊光がきらめき藤内郷へ向かいとどまり、住民が驚き恐れて同年6月15日に社殿を竣工させ祀ったそうです。

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水戸市街地から123号線を8Kmほど北上した、那珂川の西岸。123号線から1Kmほど西へ進んだ道路脇に鎮座。
この看板の道から入ると拝殿脇に入れます

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参道

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拝殿
・大永年中(1521〜28)出火し社殿神宝焼失。
・乱世で社殿再建できず百余年を経て、寛永5年(1628)宍戸城主秋田河内守が造営した。
・元禄年中(1688〜1704)、水戸藩主徳川光國公の命で改築した。

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本殿

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2016年11月30日

大井神社 (水戸市飯富町)

2016年8月19日参詣
茨城県水戸市飯富町3475 鎮座

社伝によると、第10代崇神天皇の御世に、皇子・豊城入彦命の命を奉じて建借馬命が当地に至った。そして長者山に館を構え、北東の当地に神社を建てて天照大神を祀ったのが創祀という。
その後奈良時代には、那賀郡(那珂郡)の郡領・宇治部氏が「建借馬命」(たけかしまのみこと)を奉斎したという。
水戸市愛宕の愛宕神社
が墳上にある愛宕山古墳は「建借間命」の墓であると考えられています。

平安時代中期の『延喜式神名帳』では「常陸国那賀郡 大井神社」と記載され、式内社に列している。

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境内案内図

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鳥居

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本殿へ続く階段の途中、弁天様が祀られていました

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斜面の巨木の根に「女化(おなばけ)稲荷神社」

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急な斜面、階段を上りきったところに拝殿

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本殿

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「お袋様」
地味に怖いです・・・

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「八方神」
八角形に石祠を並べてあり、中央に白い鉱石が祀られていた。

その他に本殿裏の奥宮、万歩杉、伊勢金比羅参り碑、氏神舎藁宝殿などなど
境内は結構広く、高低差もありました。


この大井神社と地名の飯富町のいわれがよく言われており
建借馬の出であるとされる肥の国(九州)の意富臣(おふのおみ)から、この神社は意冨比(おほひ)神社と言った。
それが転じて意冨比(おほひ)→おおい→大井となり、地名も意冨→飫冨→飯富と変じたといわれています。


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御朱印は鳥居脇の宮司宅にて頂きました


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2016年11月23日

水戸 愛宕神社(愛宕町)

2016年8月19日参詣
茨城県水戸市愛宕町10-5 鎮座

水戸愛宕神社は那珂川西岸の河岸段丘上に位置し、標高約40メートルの愛宕山古墳の山頂に鎮座する神社です。
古墳は、発見された埴輪から6世紀初頭のものだそうで、当時那珂川両岸におかれた仲国の首長の墓だそうです。

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鳥居と社号標

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拝殿

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創建は朱雀天皇の天慶元年(938)に常陸大掾平国香(だいじょうたいらくにか)が、山城国(やましろのくに)愛宕郡(現在の京都市右京区愛宕町)愛宕神社より分霊をいただき、常陸国府中(今の石岡市)に勧請されたのがはじまりです。
その後、長和3年(1019)国香の子・大掾貞盛により旧水戸城内に遷座
元亀年間(1570-1573)、江戸道勝により場外三の丸に遷座
天正8年(1580)、江戸氏を滅ぼした佐竹義宣により現在地へと遷座

古墳の上に建てられた神社は 珍しいですね。

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