2017年02月19日
豪徳寺「招福猫児」福を呼んで!
長男が世田谷での1人暮らし、次男の寮生活、家にそれぞれ1つづつ
去る2015年10月31日に
世田谷区の豪徳寺を参拝した時に購入した、豆サイズの招き猫
豪徳寺では、「 招福猫児(まねぎねこ)」と呼んでいるそうです。
『大渓山 豪徳寺』彦根藩井伊家の墓所として有名なお寺です。
もともと、この地には、奥州吉良氏により築かれた世田谷城がありました。
文明12年(1480)、城主であった吉良政忠は、叔母である弘徳院のために敷地内に「弘徳院」創建しました。豪徳寺の前身です。
現在の豪徳寺2丁目を中心に、世田谷は城下町として栄えていました。
しかし、天正18年(1590)小田原征伐の際、世田谷城が廃城となり、弘徳院もだんだんと寂しくなっていきます。
時は江戸に入り、辺りは彦根藩井伊家の所領となります。
当時、弘徳院の第4代ご住職は、タマという真っ白なネコを我が子のようにとても可愛がっていました。
ご住職は、「汝、我が愛育の恩を知らば 何か果報を招来せよ」とタマにお話していました。
ある日のこと、門前が騒がしいので外へ出てみると、鷹狩りの帰りと見られる武士が5〜6人、暫し休憩をさせてもらえないか?と訪ねてきました。
聞けば、門前を通りかかると、白いネコがうずくまりこちらを見て頻りに手招きをしている、気になった一行は馬を降り、ネコに誘われるように境内へ訪ね入った、とのことでした。
快く客人を招き入れ、お茶を振る舞おうとしたとたん、にわかに空が曇りだし、雷とともに激しい夕立が降り始めます。
激しい雷雨の中、ご住職は心静かに武士達へ説法をします。
すると、客人は、自身が彦根藩2代藩主 井伊直孝であると名を告げ、「ネコに招き入れられ雨をしのぐことができ、しかもご住職のありがたいお話に預かることができた、これも仏さまの因果でしょう」と、大変よろこび帰っていきました。
この当時、お寺はお茶を振る舞うことも苦労するほどに貧窮していたといわれます。
後日、井伊直孝はこのお寺を整備するために伽藍を寄進し、井伊家の菩提寺とします。直孝の戒名から『豪徳寺』とされお寺は盛り返したのです。
時が経ち、福を招いてくれたタマが亡くなると、ご住職は、お墓を建て冥福を祈り、弔います。
タマが右手を上げて招いている姿形を招福猫児(まねぎねこ)と称し、境内に「招猫殿」をつくり、招猫観音を祀りました。
以降、富や人の縁、幸福を招いてくれると、人々はその吉運にあやかり祈念するようになりました。
これが、「タマ伝説」招き猫のはじまりとされています。
2017年02月02日
埼玉県ときがわ町 萩日吉神社 神猿
「猿に見えない」と有名な神猿です。烏帽子がオス、赤い鼻がメス。
松岡寛道のセンスがコレ(とても良いセンスです)
この顔を描いて猿だと言える感覚を持った松岡寛道を、村民は慕って頼りにしていたと想像できます。
※現在の神猿の製作者も松岡姓ですので、松岡寛道から受け継いで代々松岡家が製作しているものだと思います。
埼玉県比企郡ときがわ町西平1105
萩日吉神社
日吉大社(滋賀県大津市)を本社とする萩日吉神社は萩の山王さんと呼ばれ古くから親しまれてきました。
地元では子供が腹痛などを訴えると お猿の同じ場所を針で刺し 神棚に供えて回復を祈る風習が近年まで残っていたといいます。
病気退散、厄除けなど役目を終えた お猿は針を結んで神社に奉納され、「納め猿」とも呼ばれていました。
そんな お猿は、白い丸木におおらかな絵付けがされています。
毎年1月の第3日曜日、今年は1月15日 萩日吉神社の例大祭に授与されるもので、白い木は境内に自生するドロノキ(白楊)が使われます。
製作者の手に入った材木の分しか製作が出来ないため、毎回数量限定になってしまうようです。
また、製作者のお歳も考えると、町の保護や有志が出てこない限り、今後入手しずらくなる郷土玩具の一つであると思います。
一緒に配られる栞から 以下書き写しました
お猿様の縁起(山王宮御眷属)
お猿様は遠く文化・文政の時代に、祀官従五位下河内守松岡寛道が、信仰篤き諸人の要望に応えて作り始めたものです。
当時は願望がかなうお猿様として、1月の例大祭の日に参道で売り出す家が数家ありましたが、時代の変化により社頭にて頒布しています。
悪しきを払い去って幸運に恵まれる、宿願かなって納め去る、五疳驚風(ごかん-きょうふう)小児疳虫封じ、
或いは、腹痛がおこった場合、縫い針でその箇所を刺激すると効能あるといわれ、
今日に至る信仰のご眷属として親しまれております。
材料は深山に野生する白楊(どろのき・木肌が純白)の木を使います。
神猿は、真猿(まさる)、魔去る(まさる)、勝る(まさる)、と称し、縁起の良いものとされています。
2016年11月12日
お守りと授与品の取り扱い方
お札、お守り、絵馬など、神社から授けられるものを授与品という。
お札は護符ともいい、神社での呼称は神札、神符です。神様の名前やその力を象徴する図、文字など記したもので、神棚に祀って祈願したり、門・戸口・柱などの貼って魔除けなどに用います。
お守りは、このお札を身に着けたり携帯できるようにしたもの。守札、袋守ともいう。もともとは女性の間で護符を首から下げることが流行したのが始まりで、携帯しやすいように巾着型の布袋などにいれるようになった。常に身に着けておくお守りは肌守という。
お札、お守りとも「祈祷された神様の分身」であることを忘れずに丁寧に扱い、飾る場合の場所は常に清潔を保つようにする。持ち歩くお守りは外袋の多少のいたみは支障ないが、汚れは「けがれ」に通じるので出来るだけ綺麗な状態を保ちたい。お札もお守りも十全な霊力を発揮するのは一年間と言われています。一年ごとに新しく替え、古いものは「古札納め所」に納めるようにしたいです。
絵馬は願い事と名前を書いて神社に奉納するものだが(お守りとして授与されているものは持ち帰ることもいいとされる)願い事が叶ったときには、報告と感謝の意味で再度神社に参拝し「お礼参り」をするといいのではないでしょうか、特に大きな願い事をした場合には叶ったかどうかに関わらず神様に報告するとよい。
大願が成就したら感謝の言葉を書いて新たに絵馬を奉納し、未だ叶わないときもあらためて絵馬を納め、再度願掛けをする。こうしたけじめを昔は「願解き」と言った。
私の備忘録として記しておきます
2016年09月18日
子なまず 御守(板倉雷電神社)
上州・板倉の雷電さまにお参りしたら、ナマズを食べずに帰れない!として有名です。
付近で食べられるナマズの刺し身、天ぷら、煮物は、お酒ともよく合って美味です。ナマズは板倉地方にとって昔からの神の賜物。
雷電神社にある「なまずさん」は、なでると地震を除けて、元気回復、視力改善、自信が湧き出るとして、親しまれております。ここだけのナマズの御守もあります。
なまずさんの分身『子なまず』さんを授かりました。
「子なまず」のお守り。黄金の子なまず
「子なまず」の懐御守。結構可愛いお守りです。
表面に描かれてるのは「なまずさん」をキャラクター化したものでとてもキュート。
裏面にはその後ろ姿が描かれ面白い。
大きさはかなり小型であるが、このサイズが故にこのキャラが立つのだろう。他の色として朱色も有り。
付近で食べられるナマズの刺し身、天ぷら、煮物は、お酒ともよく合って美味です。ナマズは板倉地方にとって昔からの神の賜物。
雷電神社にある「なまずさん」は、なでると地震を除けて、元気回復、視力改善、自信が湧き出るとして、親しまれております。ここだけのナマズの御守もあります。
なまずさんの分身『子なまず』さんを授かりました。
「子なまず」のお守り。黄金の子なまず
「子なまず」の懐御守。結構可愛いお守りです。
表面に描かれてるのは「なまずさん」をキャラクター化したものでとてもキュート。
裏面にはその後ろ姿が描かれ面白い。
大きさはかなり小型であるが、このサイズが故にこのキャラが立つのだろう。他の色として朱色も有り。
2016年08月17日
起き上がり小法師
起き上がり小法師
紅白に塗り分けられた高さわずか3〜4センチ。(最近は青い起き姫どころか、いろいろ楽しいものが沢山あります)
中におもりが入っているので、指で倒しても自力でひょいと起き上がる。
数多い郷土玩具の中でも素朴さでは筆頭にあげられそうなこの人形は「起き姫」とも呼ばれ会津地方に古くから伝わる縁起物です。
毎年正月10日に立つ「十日市」の縁日(えびす市)で売られ、会津の人々は家族の数より必ず一つ多く求め、神棚などに飾って一年の無病息災や豊作を祈る。一つ多くするのは「家族が増えますように」との願いからで、子宝や家族の幸せへの祈りも託しています。
手作りゆえに塗や表情がみな微妙に違うのも、買い求める際の楽しみです。
紅白に塗り分けられた高さわずか3〜4センチ。(最近は青い起き姫どころか、いろいろ楽しいものが沢山あります)
中におもりが入っているので、指で倒しても自力でひょいと起き上がる。
数多い郷土玩具の中でも素朴さでは筆頭にあげられそうなこの人形は「起き姫」とも呼ばれ会津地方に古くから伝わる縁起物です。
毎年正月10日に立つ「十日市」の縁日(えびす市)で売られ、会津の人々は家族の数より必ず一つ多く求め、神棚などに飾って一年の無病息災や豊作を祈る。一つ多くするのは「家族が増えますように」との願いからで、子宝や家族の幸せへの祈りも託しています。
手作りゆえに塗や表情がみな微妙に違うのも、買い求める際の楽しみです。
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