※洗米(せんまい、しんまい)は、洗った米をザルにあげ、乾燥させたものです。
昔は、トイレの糞尿を田んぼに撒いて肥料としたので、米も不浄とされ、神仏に捧げる場合は、洗いました。
日々お供えするべきものは、理想的には単なる「食べ物」ではなく「料理」
生米は料理ではないが、洗米は料理という理屈
今回 私はさいたま市の武蔵第六天神社にて頂きました。
★712年に記された日本最古の歴史書「古事記」には稲の起源がこう書かれています。
国産みを行ったイザナギとイザナミの間に穀物や食物、蚕の女神である大気都比売神(オオゲツヒメノカミ)が生まれました。
するとそこに、高天原(たかあまはら)で粗暴を働いた天照大御神の弟のスサノオが空腹のため食事をもらいオオゲツヒメノカミの所にやってきました。しかし、オオゲツヒメノカミは口や鼻などから食べ物を出していたため、ワザと穢していると勘違いしオオゲツヒメノカミを斬ってしまいました。
すると食物や蚕を司る女神であるため、頭から蚕が、両目からは稲、両耳から粟、鼻の両穴からは小豆、陰部からは麦、尻からは大豆が生まれたと記述されています。
それを種として拾い上げたのが、古事記の中で三番目に産まれたとされる神様である
神産巣日神(カミムスヒカミ)です。
その後、天照大御神(アマテラスオオミカミ)が高天原で自ら作った稲を、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に渡して、豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)つまり今の日本の国土に稲作を広めて国を拓きなさいという命を受けて普及させたと記されています。
★日本書紀(720年)においては
同様の説話が神産みの第十一の一書に月夜見尊(月読命・つくよみ)と保食神(うけもち)の話として出てくる。
天照大神はツクヨミに、葦原中国にいるウケモチという神を見てくるよう命じた。ツクヨミがウケモチの所へ行くと、ウケモチは、口から米飯、魚、毛皮の動物を出し、それらでツクヨミをもてなした。ツクヨミは汚らわしいと怒り、ウケモチを斬ってしまった。それを聞いたアマテラスは怒り、もうツクヨミとは会いたくないと言った。それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。
アマテラスがウケモチの所に天熊人(あめのくまひと)を遣すと、ウケモチは死んでいた。保食神の亡骸の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。アメノクマヒトがこれらを全て持ち帰ると、アマテラスは喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。
昔から米を含む穀物は「命の糧」であり、国の基盤となる大切な作物だったため、豊かな国の実現と民の幸福を実現するために、神へ豊作への祈りが捧げられるようになり、そこから祭りや年間行事、伝統芸能の多くが誕生したのでしょう。
宮中祭祀も稲作と深いつながりがあり、毎年11月23日に皇居で行われる新嘗祭(にいなめさい、にいなめのまつり、しんじょうさい)は、天皇が稲の収穫に感謝して翌年の豊作を祈る祭りで、その年に採れた米などの穀物やお酒を神に供え その後 供えたものを神と一緒に食すと言うもの。
日本人の生活様式や文化とお米が密接に関係しているのが分かりますね。




