2017年04月12日

安房国一之宮 洲崎神社(千葉県館山市)

社号について
資料によっては「すのさき」「すさき」とあり、地名は「すのさき」だが、由緒にある通り、元の名は洲神(「すさき」のかみ)であったらしい
2017年(平成29年)3月6日 参詣
千葉県館山市洲崎1697 鎮座

館山市の西の端、千葉県の先端。まさしく洲の崎という場所です。
場所的に簡単にこれる所じゃないのと、普通に雨が降っていたので参拝者は私1人

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社号標

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旧 社号標

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道から少し入ったところに鳥居があり、道路を走っていると見逃してしまうかもしれない

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手水舎

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隋身門

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厄祓坂と呼ばれる108段の石段

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長い階段を上り終え 上からの眺め

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拝殿

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扁額は奥州白河藩主老中松平定信が参詣し奉納した扁額のレプリカで、本物は社務所で大切に保管されいるそうです。


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本殿
祭神 天比理乃当ス
相殿神が天太玉命(あめのふとだまのみこと)と天富命(あめのとみのみこと)です。

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本殿
社伝『洲崎大明神由緒旧記』によれば、初代神武天皇の治世、天富命が祖母神の天比理乃当スが持っていた鏡を御神体として、美多良洲山(御手洗山)に祀ったのが当社の始まりであるという。


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当社近く、波左間海中公園内の海底に、水難事故・水難事件防止を祈願するために御分霊を勧請して海底神社を創建している。


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稲荷神社

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本殿脇には金比羅神社

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隋身門下のこの机に書置き御朱印がありました。セルフサービス

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神門の下に説明書きが置かれていた
書置きの御朱印は置かれていましたが、御朱印帳への記入希望の場合は宮司さん宅までとの事

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私は御朱印帳への記入希望のために電話連絡をしてアポをとり宮司さん宅にお邪魔しました。
(東京方面に車で30分位)

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御朱印


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2017年04月07日

安房國一之宮 安房神社(千葉県館山市)

安房(あわ)神社
2017年(平成29年)3月6日 参詣
千葉県館山市大神宮589 鎮座

安房国の一宮で延喜式名神大社
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社号標

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一の鳥居

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二の鳥居

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手水舎

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説明板(由緒)
由緒
房総半島の南端神戸郷に鎮り坐す旧官幣大社安房神社は、天太玉命を主祭神に天比理刀唐配祀として奉斎し、摂社下の宮には天富命を祀る。
延喜の制には大社に列せられ、名神祭に預る安房国唯一の由緒深き名社である。
本社の祭神天太玉命は中臣氏の祖神天児屋根命と相並んで天照皇大神の側近に奉仕し祭祀を司どられた重要な神に坐します。
天照皇大神が天石窟に御幽居あらせられた時には、天太玉命は天児屋根命と共に大神の出御を祷り遂に再び大御神の天日の如き御威徳を仰ぎ奉られたのである。
安房開拓の神として当社の下の宮に祀らるる天富命は、天太玉命の御孫にあたらせられる。天富命は四国の阿波国忌部族の一部を割いて関東地方に大移動を起し、最初に占拠されたのが房総半島の南端、即ち現在の安房神社の鎮座地であって茲に本拠を定めて祖神天太玉命の社を立てた後、次第に内地の方に進みこの半島に麻穀を繁殖しその産業地域を拡められたのである。
安房神社の御祭神は日本産業の総祖神として崇められ更に現在では家内安全、交通安全守護神、厄除開運等、関東地方随一の神社として信仰が厚い。


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拝殿

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扁額

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本殿(上の宮)
主祭神
天太玉命 (アメノフトダマノミコト) 日本の全ての産業創始の神。

下の宮には天太玉命の孫神である天富命(あめのとみのみこと)と兄弟神である天忍日命(あめのおしひのみこと)が祀られています。


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本殿 横から


安房神社の創始は、神武天皇が初代の天皇として御即位になられた皇紀元年(西暦紀元前660年)と伝えられております。神武天皇の御命令を受けられた天富命(下の宮御祭神)は、肥沃な土地を求められ、最初は阿波国(現徳島県)に上陸、そこに麻や穀(カジ=紙などの原料)を植えられ、開拓を進められました。

その後、天富命御一行は更に肥沃な土地を求めて、阿波国に住む忌部氏の一部を引き連れて海路黒潮に乗り、房総半島南端に上陸され、ここにも麻や穀を植えられました。  この時、天富命は上陸地である布良浜の男神山・女神山という二つの山に、御自身の御先祖にあたる天太玉命と天比理刀当スをお祭りされており、これが現在の安房神社の起源となります。



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御神水
後ろの吾谷山(あづちやま)から湧き出ているそうです。お水取りをするには受付で申込が必要とのことです。

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授与所

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オリジナル御朱印帳

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御朱印
匠総祖神の朱印が押されています。

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2017年04月03日

莫越山神社(千葉県南房総市)

莫越山神社 (なこしやまじんじゃ )
2017年(平成29年)3月6日 参詣
千葉県南房総市沓見241 鎮座

『延喜式神名帳』にある「莫越山神社(安房国・朝夷郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社

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一の鳥居

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社号標

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二の鳥居
これより参道は直角に曲がり石段を登る。

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説明板

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手水舎

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吽の狛犬

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阿の狛犬

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三の鳥居と拝殿
簡素な桧皮葺きである拝殿、 前面に「すだ椎」の古木が立ち、背面には楠の大木が茂っている。

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本殿


社記によれば、初代神武天皇元年、天富命が忌部の諸氏を率いて、安房国に来臨し、東方開拓を進めた時、随神の天小民命が祖神である忌部の神、手置帆負命・彦狭知命を祀ったのが創祀。

大化の制においては国司の祭祀に預かったとされ、『延喜式神名帳』を経て、鎌倉時代初期の治承年間(1177年-1181年)に源頼朝が祈願、神田20町を寄進したという。

戦国時代、里見氏が領主の際も3石の寄進があり、江戸時代以降も3石の寄進があったという。代々領主の祈願所だった。

享保9年(1724年)、社殿造営の時に新宮に山中4ヶ所に祀られていた彦火火出見尊・豊玉姫命・鸕鷀草葺不合尊を合祭し、天保年間(1831年-1845年)に相殿とした。

彦火火出見尊は梅大御神、豊玉姫命は子安大神、鸕鷀草葺不合尊は間子大御神と称され、敷物の祖神・安産育児の神・海猟海上安全の神として崇敬された。

明治6年(1873年)に郷社に列し、明治25年(1892年)12月、小松大将宮彰仁親王から社号額字の真筆が下賜され、現在拝殿正面に奉掲されている。




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宮司さん宅にて御朱印を頂きました
あいにくの雨天での参拝でしたが暖かく迎えていただき感謝です

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御朱印

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2017年04月01日

天津神明宮(千葉県鴨川市)

天津神明宮(あまつしんめいぐう)
2017年(平成29年)3月5日 参詣
千葉県鴨川市天津2954 鎮座

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社号標

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一の鳥居

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二の鳥居

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三の鳥居

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狛犬

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説明板

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手水舎

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拝殿

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扁額

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本殿

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神代の昔、天孫降臨に当って国譲りした事代主神が海路当地に移り、東方鎮護の神として鎮座し、これを庤明神と崇敬したことが当社の始まりと伝えられている。

平安時代末期の治承4年(1180年)、石橋山の戦いに敗れ安房に逃れた源頼朝が、源氏の再興を伊勢の神宮(伊勢神宮)に祈願し、御厨一処の寄進を祈誓したという。

また、寿永元年(1182年)に、頼朝の妻である北条政子の安産祈願の祈祷のため、奉幣使として三浦義村が当社へ遣わされた。

頼朝は一ノ谷の戦いの後、寿永3年(1184年)、安房国に東条御厨(白浜御厨、阿摩津御厨)を設け、伊勢より神霊を勧請し、以前より鎮座の庤明神とともに祀った。

文治元年(1185年)には生倫神主が参籠したところ、霊夢の奇端があったので、頼朝から飛龍と号する馬が奉納され、以降も関東武家の崇敬を受け、「房州伊勢の宮」と仰がれた。

小湊に誕生した日蓮も当社を深く尊崇し、修行地清澄への道程には、必ず当社を参拝したと伝わる。当社について、「日本第二のみくりやや今は日本第一なり」としたという。

また、日蓮は開宗後、妙法弘通を当社に祈願、その時奉納されたと伝えられる「川向の御曼陀羅(布本尊)」が宝物として所蔵している。

現在までに御祭神は、天照皇大神・豊受大神・八重事代主神(えびす様)で、大山祇大神ほか7柱を合祀している。例祭は10月16日で、その前日の15日が宵宮で献燈祭。


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まるばちしゃの木
中国大陸南部や海南島、台湾などに生育している亜熱帯性の落葉喬木で、その北限として価値が高く、県の天然記念物に指定されている。
「なんじゃもんじゃ」の呼称伝説もある神木

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戦没者慰霊碑

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境内東側の山にはすぐれた極相林があり、「神明神社の林」として市の天然記念物に指定され、山頂には伊邪那岐大神・伊邪那美大神を祀る諾冉神社が鎮座する。


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御朱印、伊勢神宮と同じ形式で印だけです。
「その代りと言ってはなんですが、私の落書きですよ。」
と言ってくれたのが、別の和紙に書かれた「神人和楽」

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「神人和楽」
神、そして人、和み、楽しむ

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2017年03月29日

上総國一之宮 玉前神社(千葉県一宮町)

2017年(平成29年)3月5日 参詣
千葉県長生郡一宮町一宮3048 鎮座

延喜式内社(名神大社)であり、上総国の一之宮。
旧社格では国幣中社に列し、現在は別表神社となっている。
上総国一之宮として古くから崇敬を集めている。

玉前神社、名称の由来
御祭神に由来するという説、九十九里浜を古くは「玉の浦」とたたえ太東崎を南端とするところから玉崎(前)となったと云う説など諸説があります。

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一の鳥居

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大鳥居の狛犬と後ろに社号標

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二の鳥居

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御神水

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二の鳥居、三の鳥居の間、手水舎前にいた狛犬

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手水舎

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三の鳥居

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拝殿

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拝殿(左から撮影)

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拝殿(右から撮影)

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本殿

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由緒
一宮町は房総半島九十九里浜の最南端に位置し、一年を通して寒暑の差が少なく温暖な気候に恵まれた土地で、縄文弥生の頃から人々の営みがあったことが遺跡や貝塚などによって明らかにされています。
歴史の古いこの一宮町の名称の由来となった玉前神社は上総国にまつられる古社であり、平安時代にまとめられた『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』では名神大社(みょうじんたいしゃ)としてその名を列せられ、全国でも重きをおくべき神社として古くから朝廷・豪族・幕府の信仰を集め、上総国一之宮(かずさのくにいちのみや)の格式を保ってまいりました。
しかしながら永禄年間の大きな戦火にかかり、社殿・宝物・文書の多くを焼失しており、ご創建の由来や年数また名称についてなど明らかにされていませんが、毎年九月十日から十三日に行われるご例祭には少なくとも千二百年の歴史があり、移りゆく時代に少しずつその形を変えながらも、古代からの深い意義を連綿と守り伝えてきたことを何よりの宝物として、この郷の人々と共に大切にしています。
「上総の裸まつり」「十二社まつり」と称されるこのお祭りは房総半島に多く見られる浜降り神事の代表として広く知られ、壮大な儀礼をひと目見ようと、関東一円から大勢の人々が集います。


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「十二社祭り千二百年記念」事業として「平成の大修理」を行っていて、新社殿の改修が出来上がったばかりでした

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境内社の十二神社

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十二神社鳥居

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はだしの道

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はだしの道・説明板

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受付所(総合案内)にて御朱印を頂きました

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玉前神社の他、一の宮の御朱印帳も置いてありました

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御朱印


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2017年03月26日

八街神社(千葉県八街市)

八街(やちまた)神社
2017年(平成29年)3月5日 参詣
千葉県八街市八街へ217 鎮座

八街の住所番地は「いろはにほへと」で区分されています。
千葉県は 他にも香取市佐原地区や 旭市、山武市の蓮沼地区などが「いろはに・・・」を使用

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鳥居

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手水舎

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参道から拝殿

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狛犬

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拝殿

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扁額

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本殿

御祭神 須佐之男命・稲田姫命・大己貴命

由緒
明治5年(1872)5月、武蔵野国北足立郡出身で八街、三咲、九美上などの開墾を率先して行った西村郡司氏が、家の氏神である大宮氷川神社の分霊を乞い、八街村 実住 字 氷川台ほ215番地 (現在の四区)に 祠(ほこら)をつくり、氷川様(ひかわさま)をまつったのが始まりです。
そして明治6年(1873)11月23日、官許を得て産土神八街神社とし、個人の社から地元の社にかわり、明治13年(1880)11月2日、氷川神社の本社より改めて遷座を行い、本社の宮司が八街で遷座式祭儀を行い、この後、実住、東実住、住野、西林、夕日丘、真井原、小間子の鎮守となりました。
明治27年(1894)、当時の合併による新八街村の村域と神社の位置を考慮して、西村家提供により現在の場所に当たる八街村八街へ217番地(六区) に遷宮し、村独立の11月2日を祭礼の日としました。

八街神社は明治6年11月、村民の希望により、元官幣大社氷川神社の御霊を勧請し八街村の産土神として祀っていたが、明治12年10月、戸長大久保正雄氏と西村郡司氏は氷川神社神官を再度招き盛大かつ厳粛な遷座祭を斎行した。
明治26年西村家より、現在地に土地11町歩余の寄進を受けて社殿を建立、明治27年11月3日遷座祭が斎行され、以後氏子崇敬者の心の拠り所として崇拝されてきた。
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社務所
開いている日と閉まっている日が あるので御朱印希望は電話確認が必須

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御朱印

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2016年09月29日

【千葉県】駒木 諏訪神社(諏訪之宮)

2016年5月3日参詣
千葉県流山市駒木655番地 鎮座

通称「おすわさま」と呼ばれ親しまれています。
大同2年(807年)9月に、信州諏訪大社より高市皇子(天武天皇の皇子)の子孫が大和(現在の奈良県)より下向し分祀・創建されたといわれています。
祭神は、健御名方富命を祀っていて、敷地1万坪の境内は杉の大木に囲まれた静寂な環境です。
東京ドームが約1万4千坪ということなので、それを思うと広さが実感できますかね。

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大きな馬の銅像
これは、源義家(八幡太郎)が朝廷の命を受け、奥州追討へ向う途中、神社へ参詣し、戦勝を祈願。
そして奥州での平定を終え都へ帰る途中、再びここに詣でて神恩に感謝し、神馬と馬具を奉献したというエピソードからのようです

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境内のうっそうとした森は、巨木に歴史を感じ、若い木々には無限の発展を感じます。
身が引き締まり、やがて癒されていきました。

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ご祭神は、建御名方神(たけみなかたのかみ)

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「諏訪神社」は昔から、子供の成長の神、安産の神様として地域の熱心な信仰を集め、特に「子供の神さま」として名高い。それ故に子連れの参拝者が多く見られました。

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御朱印を受け取る際、宮司さんが大麻を振って、お祓いしてくださいました。
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2016年09月27日

千葉県野田市最古の神社『櫻木神社』

2016年5月3日参詣
千葉県野田市桜台210 鎮座

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創建は仁寿元年(851)です。藤原北家隆盛の礎を築いた藤原冬嗣の三男、藤原嗣良がこの地に移り住んだ時、美しい櫻の大木があり、この木のもとに神殿を建立したのが始まりです。この事から、古くより櫻の宮と称されていたそうです

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なんと!飛び出し坊やがお出迎え!!


ハッピーウェディング
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結婚式の真っ最中にお邪魔してしまいました。

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どうぞお幸せに!

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 ↑桜木神社HPよりの写真
神前式もいいものですね

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通常御朱印は2種類あります。どちらも「櫻木神社」と書いてあって押してある判が違います

限定御朱印がある神社でして、それが狙いの方々はHPをチェックしておくようですね

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△桜木神社の御朱印・桜印版

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△桜木神社の御朱印・通常版

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2016年07月12日

三ノ宮 埴生神社(成田市)

2016年2月6日参詣
千葉県成田市郷部994 鎮座

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三ノ宮埴生神社が正式名で、御霊代(みたましろ)は土師器(はじのうつわ)。
御祭神は埴山姫命(はにやまひめのみこと)で、土の神様です。

その名前や御霊代、御祭神からして、古代に土器の製造を職業としていた 土師部(はじべ)一族が創建したと言われています。
創建年代ははっきりしていません。
通称三ノ宮様といわれてます。埴生郡の三ノ宮で二ノ宮は成田市松崎、一ノ宮は栄町矢口にあります。三ノ宮から二ノ宮、一ノ宮と辿って行くと利根川に出ます。このことで昔は集落の発展は利根川の方から発達したのがわかりその名残か現在の神社の向きは真西に向いております。

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2016年04月13日

下総国一宮 香取神宮(千葉県)

2015年7月27日奉拝
千葉県香取市香取1697鎮座

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鳥居・社号標

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拝殿

日本全国に約400社ある香取神社の総本社です。  
平安時代に成立した延喜式によると、江戸時代以前から「神宮」と称されていたのは伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の三社だけで、その創建は神武天皇十八年(紀元前643)と神代の時代まで遡る古い歴史のある神社です。

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