2016年05月16日

土津神社(福島県猪苗代町)

土津(はにつ)神社
2015年10月24日奉拝
福島県耶麻郡猪苗代町見祢山1 鎮座

会津松平家の初代藩主、保科正之公(1611〜1672:二代将軍徳川秀忠の第4子)のお墓があります。
正之公の遺言によって、この地に造られたそうです。
戊辰戦争で火が放たれるまでは、日光東照宮に匹敵する社殿があったそうです。
また、清作少年(野口英世)も参拝していた神社だそうです。

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なぜ白い鳥居か?
藩祖の名君保科正之公が祀られている神社なので派手な朱色にはできない、そのために白い色に塗ってあるそうです。

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2016年05月15日

白虎隊の墓守 飯盛分店(福島県)

2105年10月24日
福島県会津若松市一箕町大字八幡弁天下1404−4 飯盛分店
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飯盛山参道の石段を登っていくと、白虎隊墳墓の地のすぐ下に飯盛分店がありました。

飯盛分店での白虎隊御朱印の由来飯盛分店での御朱印の始まりは、藩主松平容保に頼まれた当時の白虎隊墓守が書いたのに始まり、白虎隊御朱印では一番古く、唯一容保公の一言で始まったもの。
従って、白虎隊墓守以外の直接記入はしないそうです。
そして、代々収益は全額養護施設や福祉震災等へ寄付しており、 現在は五代目が記入しておられるそうです。

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この御朱印のカテゴリは神社か寺院か?また新しい分類をつくるもなんなので、八百万の神ということで とりあえず神社の分類に収める事にしました。

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「白虎隊」飯盛山 宇賀神堂(福島県)

2015年10月24日奉拝
福島県会津若松市一箕町八幡弁天下1404 

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五穀豊穣の神である宇賀神をお祭りする宇賀神堂があります。
厳島神社の傍社として寛文年間(1661〜1677)に建立されました。
会津3代藩主松平正容により宇賀神像が奉祀された御堂です。

内部には明治23年に作られた白虎隊十九士の霊像が安置されています。
唯一蘇生した飯沼貞吉少年を含む二十名の白虎隊士が飯盛山で自刃しました。

神社か寺院かで悩みましたが、祭神が宇賀神という事なので神社としました。

1890年、白虎隊士の墓の改修に際し、自刃した白虎隊士19名の霊像が奉納、安置されました。
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像と共に、一人生き残った飯沼貞吉の写真も飾られています。

宇賀神堂をお参りして山の頂上にある白虎隊士の墓参り。
自刃した19人のお墓の脇には
戦死した白虎隊三十一士の墓もあります。
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ご朱印は宇賀神堂横の飯森本店で頂けます。

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2016年05月14日

田中稲荷神社(福島県会津若松市)

2015年10月24日奉拝
福島県会津若松市大町1丁目1-5 鎮座

文禄2年(1593)市神を祀ったのが初めとされている。明治32(1899)年の焼失により、土蔵造りとして再建。
土蔵造りが本殿の神社は、あと全国で京都に1つあるだけとのことらしい。
会津の最大の初市「十日市」(ほおずき市)を司る。
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神明神社(福島県会津若松市)

2015年10月24日奉拝
福島県会津若松市中町1-46 鎮座

応安二年(1369年)、神道流槍刀術の祖・飯篠山城守家直の勧請により創建。

葦名氏が深く信仰し、飯篠家直の六代孫・盛枝を神職として社領を与えたのを皮切りに、それ以降松平家までの歴代会津領主から深く崇敬され、庇護を受けた。
慶應二年(1866年)に遷座するものの、戊辰戦争によってすべてを焼失したが、その後明治二年に仮殿を建て、現在地に遷座。
明治四年には社号を『伊勢宮』から、現在の『神明神社』に改められた。
昭和に入り、社殿の建築が計画されたものの戦争の影響からか、完成を迎えたのは終戦後の昭和二十五年のことだったといいます。

会津若松市のメインストリートである神明通りに面して鎮座している。
街なかのアーケード街なので、神社の駐車場が分からなく苦労しました。
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2016年05月13日

蠶養國神社(福島県会津若松市)

蠶養國神社(こがいくにじんじゃ、蚕養国神社)
2015年10月24日奉拝
福島県会津若松市蚕養町2番1号 鎮座
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社伝によると811年(弘仁2年)の創建。
「延喜式」神名帳では、蚕養国神社以外に社名を「蚕養国」とする官社はない。この社名は当社が唯一のものになる。

『会津若松史』には、蚕養国神がとくに官社に列したのは、ここでの養蚕の歴史が神代にさかのぼるほど、古くから著名であったからだというのではなくて、これから養蚕をおこすためにまつられた神なのである。としている。
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2016年05月06日

八槻都々古別神社(奥州一ノ宮)

2015年9月22日奉拝
福島県東白川郡棚倉町大字八槻字大宮66 鎮座

奥州一ノ宮

都々古別三社の一社で、江戸時代頃には「近津三社」(馬場都都古和氣神社・八槻都々古別神社・下宮近津神社)と総称された“中宮”にあたります。

延喜式所載の名神大社で陸奥国一宮の都都古和気神社とするが、同じ棚倉町内の馬場地区にも都都古和気神社があり、同じく式内名神大社・陸奥国一宮を称する。両者を区別するためにそれぞれの鎮座地の名を冠し、八槻都々古別神社・馬場都々古別神社と呼ぶ。
祭神も同じで、建鉾山(都々古山)を起源とする由緒にも共通点が多いものの、元々一体のものであったのか、どちらか一方から分祀したのか、それとも別の神社が同じ名を称しているのか、いずれともわからない。

明治にいずれを式内社とするかで大論争があった
明治6年(1873)馬場の都々古別神社が国幣中社に列したことに対し、教部省へ異議を申し立てた。どちらを式内社・国幣中社とするかで大論争が起こったが結論が着かず、両社合併案などもあったが、結局両社並立ということになり、明治18年(1885)両社並立として国幣中社に昇格した。
なお、本来は「都都古和氣神社」と称していたが、馬場都々古別神社が国幣中社に列格した際の太政官符に「都都古別神社」の表記が用いられたことから、「別」の字を使うようになっている。

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御朱印
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馬場都々古別神社(陸奥一ノ宮)

2015年9月22日奉拝
福島県東白川郡棚倉町大字棚倉字馬場39

陸奥一ノ宮

都々古別三社の一社で、江戸時代頃には「近津三社」(馬場都々古別神社・八槻都々古別神社・下宮近津神社)と総称された“上の宮”にあたります。
かつて「東夷」を鎮定した日本武尊(ヤマトタケル)が、初め建鉾山(白河市)に鉾を祭り、のちに大同二年(807年)坂上田村麻呂が近世棚倉城の地に移したと伝えられます。寛永元年(1624年)に棚倉藩主丹羽長重が棚倉城を築城するため現在の地に神社を遷宮しました。

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御朱印
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2016年05月04日

白河の関 白河神社(福島県)

2015年9月22日奉拝
福島県白河市旗宿字関ノ森120 鎮座

下野と陸奥の国境の関があった白河関跡を境内とし、関の明神・二所関明神とも呼ばれています。古墳時代の315年、白河国造命(鹽伊乃自直命)と天大玉命を奉納し勅命により鎮座。社殿は仙台藩主伊達正宗が奉納したものと伝えられており、本殿の棟紋に九曜星、縦三引きの紋が刻まれています。

有名な史跡なので、見所は多く神社巡りというよりは観光で訪れる場所の雰囲気と感じました。

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白河の関より先は、「都」を始めとする中央政権の権力の及ばない地域という事で、「道奥」(みちのおく)、もしくは「陸奥」(みちのく)と呼ばれていました。
今で言うところの、「東北地方」と呼ばれている地域を指す、かつての呼び名。

江戸時代には、全国にたくさんの「関所」が設けられましたが、「白河の関」はそういう類の「関所」とは違い、蝦夷を始めとする蛮族の南下を防ぐために設けられた「砦」という趣の強い施設です。
つまり、ここから先は一歩たりとも都に近づく事は許さないという、時の政権の最前線であり、防衛の要のような役目を担っていたようです。

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何らかの「痕跡」が残っているのかと思っていましたが、実際には「白河の関」というのはほとんど記録が残っていないということで、何処にあったのかも実際には特定されていないそうで、白河藩主であった松平定信が、1800年にここが白河関跡であることを断定したそうです。

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そんな白河の関に白河神社が鎮座していました。

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御朱印
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2016年05月03日

白河 鹿嶋神社(福島県)

2015年9月22日奉拝
福島県白河市大鹿島8 鎮座

宝亀年間(770〜780年)光仁天皇の御代この地に祭られ、弘仁2年(811年)坂上田村麻呂が東夷征伐の際、改めて常陸国鹿島大明神を勧請した神社で、白河地方の総鎮守とし、武の神、白河以北を守る神として、戦勝を祈願したと言われています。延喜式神名帳(成立927年)にのこる式内社でもあります。

御朱印の印に日本三鹿島とありますが、残り二つについては調べてみましたが分かりませんでした・・・

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御朱印
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posted by かめ忍者 at 22:43| 栃木 ☁| Comment(0) | 福島の神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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