2017年04月28日

相模国総社 六所神社(神奈川県大磯町)

2017年(平成29年)3月27日 参詣
神奈川県中郡大磯町国府本郷935 鎮座

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社号標

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国道1号線沿いにすぐ鳥居が建っており、そこから住宅街を抜ける形で参道が伸びています

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国道1号線の大鳥居をくぐると 
東海道線が参道を分断しているので、アンダーを通ります

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アンダーを抜けると社殿が見えました
境内入口脇の駐車場に車をとめて参拝です

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手水舎
雨も降っていたせいもあるのか、境内はヒンヤリ引き締まった空気でした

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狛犬

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拝殿

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境内から短い石段を登ったところに拝殿、その奥には本殿があります
ここには、相模国の一之宮から四之宮、平塚八幡宮の分霊が共に祀られています。

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六所神社の御祭神・櫛稲田姫命が生まれた出雲とは縁も深く、この注連縄は出雲で作られているのだそうです。

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本殿
崇神天皇の時代に 出雲の国から移住してきた柳田氏という一族が、一族の守護神であった「櫛稲田姫命」をお祀りしたのが始まりとされています。
その後、「櫛稲田姫命」と合わせて、「須佐之男命」「大己貴尊」を祀り、柳田大明神と称したと伝えられています。


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創設当初は「柳田大神」と称されていましたが、「大化の改新」の後に、寒川神社、川勾神社、比々多神社、前鳥神社、平塚八幡宮など、周辺にある有力大社の分霊を併せ祭る「相模國総社」となったことから、「六所神社」と呼ばれるようになりました。


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境内にはケヤキやイチョウ、タブノキなど、樹齢が300年を超える平地では数少ない巨木群が目に付きます。大磯町の史跡名勝天然記念物に指定されています。

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授与所 兼 社務所

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雨が降っていたので御朱印を書いていただく時間、社務所内にいました
玄関には立派な獅子舞が飾られていました。

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御朱印

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2017年04月25日

伊勢原大神宮(神奈川県)

2017年(平成29年)3月26日 参詣
神奈川県伊勢原市伊勢原3丁目8−1 鎮座

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社号標

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鳥居

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阿の狛犬

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吽の狛犬

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狛犬の説明板

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神社の説明板
大山詣りに来た伊勢の人がこの地に住み開墾を始め、努力の甲斐あってだんだん栄えてきたそうです。
そこでこの地の守り神として故郷の伊勢神宮の神様を勧請したとのこと。
以来、伊勢の神様が鎮座するこの地を”伊勢原”と呼ぶようになったそうです。

伊勢原の伊勢は伊勢神宮の伊勢だったんですね


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手水舎

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外宮、内宮と2つの拝殿

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外宮拝殿
ご祭神 豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)
参拝方法ですが、伊勢神宮と同じで、まずは外宮からお参りし続いて内宮。

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内宮拝殿
ご祭神 天照皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)

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外宮側から両拝殿を撮影
内宮から外宮は繋がってます。

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外宮、本殿


神社の創建は、江戸時代初期の元和年間(1615〜1624)のことであると伝えられております。
元和六年(1620)伊勢の国の人・山田曾右衛門と鎌倉の人・湯浅清左衛門は、大山参詣の途中、千手原という松原に一夜の宿を求めたところ、水音を聞いて開墾可能であることを悟り、当時このあたりを支配していた中原代官成瀬五左衛門の許可を得て、開墾に着手したのです。そこにだんだんと粕屋あたりより人が集まり現在の伊勢原市街の基礎が形成されました。曾右衛門は、この新しい開拓地の鎮守として、故郷である伊勢の神宮の神様を勧請し、奉祭することにいたしました。
こうして創建された当神社の御祭神に由来して当地は伊勢原と呼ばれるようになりました。

伊勢の神宮では、天照皇大御神が内宮に、豊受姫大神が外宮に、それぞれ奉祭されています。当神社もこれにならい両宮が別々に奉祭されています。全国でも珍しい社殿構造は、江戸時代に編纂された「新編相模風土記稿」にもみられ、創建以来の伝統として現在も受け継がれております。



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この大神宮のシンボルマークは丸と四角・赤と白・人と自然をイメージしてデザイン化された“紅白のたまご”で内宮と外宮を表現しているそうです

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授与所

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御朱印

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2017年04月23日

高部屋神社(神奈川県伊勢原市)

高部屋神社(たかべやじんじゃ)
2017年(平成29年)3月26日 参詣
神奈川県伊勢原市下糟屋2202 鎮座

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社号標

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鳥居

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手水舎

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銅鐘
1386年(至徳3年)12月に河内守国宗が鋳造し、平秀憲によって奉納されたもの(神奈川県の重要文化財)

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狛犬

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拝殿

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拝殿は入母屋造(いりもやづくり)の茅葺(かやぶき)で、手前に銅板葺(どうばんぶき)の向拝(ごはい)(正面の庇(ひさし)部分)を設け、背面には幣殿を連結
貴重な茅葺屋根の社殿です。

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本殿
御祭神
神倭伊波礼彦命(かんやまといわれひこのみこと)
誉田別命(ほむだわけのみこと)
三筒男命(みつつおのみこと)
大鷦鶺命(おほさざきのみこと)
息気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
磐之姫命(いわのひめのみこと)
時代とともに主祭神が移り変わってきたと思われます。
創建から平安時代までは三筒男命(住吉三神)を主祭神とし、鎌倉時代から幕末までは誉田別命を主祭神とし、明治以降は神倭伊波礼彦命を主祭神としてお祀りしていることが記録より伺えます。

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創建年代は不詳であるが、延喜式神名帳に相模13座の内の1社と記載されている古社であり、古くは相州大住郡糟谷庄127ヶ村の惣鎮守として崇敬された。
平安時代までは現在の飛び地境内である伊勢原市高部屋地区の澁田山に鎮座していたと考えられ、糟谷住吉の大神「大住大明神」として崇敬された。

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御朱印
伊勢原大神宮にて頂きました


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2017年03月18日

平塚弁財天社・鶴峯山稲荷社【平塚八幡宮境内社】(神奈川県)

2017年(平成29年)2月24日 参詣
神奈川県平塚市浅間町1-6 平塚八幡宮境内社

平塚弁財天社

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お社の周りには幟旗がたなびいてます

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説明板

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西御池に鎮座
「湘南ひらつか七福神めぐり」の1つ

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平成23年3月に平塚市岡崎鎮座駒形神社末社弁財天社より分霊し勧請
東北地方太平洋沖地震直後に遷座祭、奉祝祭が斎行

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御朱印




鶴峯山稲荷社

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東御池に鎮座

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東御池の浮島に平成28年10月に鎮座
元宮は平塚市八幡鎮座八坂神社末社の川余稲荷で、氏子の願いによって分霊
「鶴峯山」は平塚八幡宮の古称で、平塚八幡宮の氏子崇敬者が遍く大神の力を頂けるようと願い称えたそうです。

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御朱印

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2017年03月17日

平塚八幡宮(神奈川県平塚市)

2017年(平成29年)2月24日 参詣
神奈川県平塚市浅間町1−6 鎮座

一国一社の八幡宮・五之宮格平塚八幡宮
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一の鳥居

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西御池から一の鳥居を望む
市街地にありながらも自然が豊かで、境内にいる鴨やアヒルに心が癒されました。

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東御池を泳ぐ錦鯉とアヒル
地震で縁のある新潟県長岡市(旧山古志村)よりの錦鯉

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手水舎

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二の鳥居

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二の鳥居を守る狛犬(鳥居と共に青銅製)

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境内社の神明社、諏訪社、若宮社の前を歩く鴨(アヒル?)

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拝殿

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本殿


平塚八幡宮は古くは鶴峯山八幡宮と称えられ、仁徳天皇の68年、この地方を襲った大地震に苦しむ人々の様を見かねた天皇が国土安穏を祈り、應神天皇の御神霊をお祀りされたのが始まりとされています。

その後、推古天皇の御代にも大地震があり、人々を案じられた天皇は「鎮地大神」の御宸筆を捧げて国家安泰を祈願して社殿を造営し、さらに天武天皇はこの地の税を寄進、文武天皇は宝剣「天晴彦(あめのはるひこ)」を奉納、そして聖武天皇は相州一国一社の八幡宮(霊場)として法華経を奉納されました。

鎌倉時代以降も源頼朝公が夫人政子の安産を祈願して神馬(白馬)を献上した等、武人の信仰も篤く、特に徳川家康公は社領を寄進し、慶長年間には自ら参拝し、伊奈備前守忠次へ命じて社殿を再建されました。

江戸期になると、平塚は日本橋から数えて8番目の宿場として賑わい、特に門前の大門通りは東海道、須賀港、厚木往還、大山道の重なる交通の要衝として発展し、旅人は道中の安全を祈り社頭は大いに栄えたそうです。

大政奉還の後、官の達示により社名を「八幡神社」と改称しましたが、平塚の街は海軍火薬工廠の建設などによって、商業、工業として成長し、明治27年には明治天皇の王女常宮昌子内親王、周宮房子内親王がご参拝にり、社頭に松樹をお手植えされ、御神池に緋鯉を放生され現在に至っています。
(由緒書きより抜粋)



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浄銭池

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社務所

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御朱印をいただいたとき、由緒書きというよりも冊子・パンフレットなる立派なものをいただきました
フルカラーで御由緒・境内の案内・季節行事カレンダー祓詞などが載っています。


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御朱印
だいたい墨書きは神社の名前が筆で書かれていますが、鎮地大神(ちんちおおかみ)と書かれていました。


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2017年03月12日

奨学神社・神戸神社【前鳥神社境内社】(神奈川県)

2017年(平成29年)2月24日 参詣
神奈川県平塚市四之宮4丁目14−26 前鳥神社境内社


【奨学神社】

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昭和四十三年の創建。百済の王子阿直岐と博士王仁、そして菅原道真公を御祭神とする奨学の神社

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中には沢山の達磨さん

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御朱印




【神戸(ごうど)神社】

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境内にあった神明社と八坂神社を合祀したもの。祭神は天照大御神と素戔嗚尊

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御朱印

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2017年03月11日

相模國四之宮 前鳥神社(神奈川県平塚市)

2017年(平成29年)2月24日 参詣
神奈川県平塚市四之宮4丁目14−26 鎮座

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狛犬
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平成30年が御鎮座1650年になるとのことで、境内各所に重機が入り改修工事が行われていました。
鳥居も新造されるそうです。

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鎮守の杜に囲まれた参道の先に社殿

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手水舎

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拝殿
右手前には大きな松の木があり、幸せの松と呼ばれています。稀に四本の葉をつけ、この葉を身に着けると幸せになれると伝えられています。参拝の際は是非探してみて下さい。

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御神木の松かさにも ご利益


神社名の「さきとり」は平安以前の古い地名で、相模川河原に接する自然堤防の南端で、地形名から起こったと言われています。奈良時代の天平7年(735年)の『相模國封戸租交易帳」には「大住郡埼取郷」として記載されています。

この「さきとり」の地に奈良時代以前、畿内から御祭神を「氏の上」とする氏人が移り住み、遺徳を偲び、清浄な地にお祀りしたのが「さきとり」神社と考えられます。
延喜年間(901〜923年)に編纂された『延喜式』という法制書の中で全国の著名な神社が収録されている神名帳に「前鳥神社」と記され、相模国の十三座のひとつとして登載されています。また、四之宮の称は、養老年間(717〜724年)の相模国の国府祭が始まったとされる頃に生じ、平安時代には四之宮郷として通称されるようになりました。


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本殿
•御祭神
菟道稚郎子命(うぢのわきいらつこのみこと)
大山咋命(おおやまくいのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)

全国にも珍しい、ご祭神は菟道稚郎子命
菟道稚郎子命は第15代応神天皇の皇太子でした。
論語などの中国の漢書を日本で始めて学ばれたほか、技術を持つ渡来人を受け入れ、産業・経済の発展に尽力。多くの人々に仕事を授けました。そのことから学問はもちろんのこと、就職の神様としても崇められています。
ちなみに菟道稚郎子命は、天皇の位を兄皇子(仁徳天皇)に譲るために自らお亡くなりになられ、天皇にはなりませんでした。
菟道稚郎子命を祀っているのは全国でも珍しく、さらになぜ宮があったとされる京都の宇治から離れた関東の地で祀られているのかは不明。


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鐘楼が有ります。

時代が近世初期になってからは、寺社領の確定により、古義真言宗雪霜山鏡智院神光寺が別当寺として祭事のすべてを掌っておりました。そして、明治維新の大改革の際に鏡智院家が復飾、名を神代にあらため、現在に至るまで神仕(かみつかえ)の職に就いています。

昔は神社を御寺が守っていたので、和尚さん達も出入り
そして神社には別当寺と呼ばれる管理担当寺院が設置されていました。宮司さんと和尚さんが協力して日本の文化を守っていた訳です。

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社務所

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御朱印

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2017年02月25日

相模國一之宮 寒川神社(神奈川)

2017年2月24日 参詣
神奈川県高座郡寒川町宮山3916 鎮座

寒川神社は相模国の一之宮と称される神社で、古くより関東の守り神として、また江戸の正裏鬼門を守護する神社として全国でも珍しい、方位除・八方除の守護神として信仰されています。
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一の鳥居と社号標

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二の鳥居

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三の鳥居

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参道、神職さんが歩いていました

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手水舎

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神門

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神門前の狛犬

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拝殿

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本殿の近くへは立ち入り禁止でした


古代、相模川沿いは相模国造がおり、有力な豪族のいずれかが造営したと推定される。雄略天皇の時期に奉幣、神亀4年(727年)に社殿建立の記録があるが、公式には『続日本後紀』にて承和13年(846年)に仁明天皇から従五位下を授る記録がある。

『延喜式神名帳』では「相模国高座郡 寒川神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。また、鎌倉時代の『吾妻鏡』には「一宮佐河大神」と記載があり、相模国の一宮とされたことがわかる。戦国時代には武田信玄が行軍中に当社を参拝し、自身の纏っていた兜と太刀を安全祈願に奉納。
また源頼朝、小田原北条氏、徳川家康など多くの武家の崇敬を集めた。

古くから関八州の守り神として民間の信仰も集め、今も全国から地相、家相、方位、日柄などの災いを事前によける八方除祈願の参拝者が絶えない

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ご神木

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御神徳
全国唯一の八方除の神さまが祀られていて その八方を示す方位盤が拝殿右にあります。

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御朱印は社務所にていただきました

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御朱印
初穂料、お気持ち

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2016年04月27日

鎌倉宮

2105年9月5日奉拝
神奈川県鎌倉市二階堂154 鎮座

明治天皇は、護良親王の、平和国家の実現に努力した遺志を伝えていくことを望み、
明治2年に鎌倉宮の設立の勅命を発したとのこと。
長い歴史において、この鎌倉宮が唯一「天皇自らが創建」した神社。
「鎌倉宮」という名前も明治天皇によって名づけられたという。

祭神の護良親王は、「建武の新政」を行なった後醍醐天皇の皇子。
親王は、楠木正成らとともに鎌倉幕府打倒を目指して戦い、幕府滅亡後には征夷大将軍に任ぜられたが、1334年(建武元年)11月15日、武家政権を狙う足利尊氏と対立し、この地にあった東光寺に幽閉されてしまう。
翌1335年(建武2年)、十四代執権北条高時の子北条時行が反乱(中先代の乱)を起こした際、足利尊氏の弟の直義によって殺害された。

境内には、親王が幽閉されていたとされる土牢が残されている。
殺害された親王の首は、廃寺となった理智光寺の住職によって葬られたのだと伝えられ、理智光寺跡には親王の墓がある。

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荏柄天神社(鎌倉)

荏柄天神社(えがらてんじんじゃ)
2015年9月5日奉拝
神奈川県鎌倉市二階堂74 鎮座

荏柄天神社は、源頼朝が鎌倉に入るより前からある古い神社で、1104年(長治元年)の創建と伝わる。
荏柄山天満宮とも称され、鎌倉幕府の鬼門の守護神でもあった。
京都の「北野天満宮」、福岡の「太宰府天満宮」とともに日本三天神の一つに数えられている。

1590年(天正18年)、小田原北条氏を攻め、関東を統一した豊臣秀吉も参拝し、徳川家康に命じて社殿の造営を命じたという。

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入口の鳥居のところの木がすごい

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大きな蝋燭のような像が建っております。
高さ3m、鎌倉に住んでいらした漫画家:故横山隆一が奉納した絵筆塚です。
横山隆一といえば、「 フクちゃん 」 「 おんぶおばけ 」の原作者として知られています。
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