2017年(平成29年)5月2日 参詣
神奈川県座間市座間1丁目3437 鎮座
社号標
表参道入り口の一の鳥居
二の鳥居
社殿前の急階段に建つ三の鳥居
手水舎
拝殿
扁額
本殿
創建年代は諸説あるのだが、社伝によると、欽明天皇の御代(539年-571年)に創建と伝えられている。
欽明天皇の御代(539年-571年)、座間郷に悪疫が流行。
その時、白衣の老人(飯綱権現の化身)が現れ、山裾から湧き出る清水を使うと良いと告げたため、村人がそのお告げに従って、湧水を飲んだところ悪疫も治まり、感謝した村人達が飯綱大権現としてお祀りしたのが始まりとしている。
一方で、天保年間(1830年-1844年)に編纂された『新編相模国風土記稿』には、正和二年(1313年)に「飯綱権現社」を勧請されたと記されている。
座間市入谷にある座間郷総鎮守「鈴鹿明神社」の縁起では、当社は「鈴鹿明神社」の末社であったと記されていて、明治までは末社という扱いで崇敬を集めていた。
その「鈴鹿明神社」が欽明天皇の御代(539年-571年)に創建と伝えられているので、当社の社伝もそうした年代を採用しているのと思われます
鐘楼
神仏習合の名残
座間宿村の「飯綱權現社」として記されているのが当社。上述したように正和二年(1313年)に勧請と記されている。
明治になり神仏分離
1869年(明治二年)、「飯綱権現社」は神仏習合の色合いが強いため、「飯綱神社」に改称
1871年(明治四年)、天神原(現・キャンプ座間付近)にあった当社を座間宿村の村有林(現在の鎮座地)に移設遷座
1876年(明治九年)、「座間神社」に改称し、座間宿村の鎭守として村社に列した
境内社の「伊奴寝子神社」(いぬねこじんじゃ)
境内の裏手からキャンプ座間沿いに社殿の左手に鎮座
案内板では蚕神社の別名を当社としている
元々は畜産や養蚕が盛んだった事、蚕や家畜などを疫病から守護する蚕神社が今も右手側に一緒に鎮座
「犬」「猫」像を手の平でさすると願いが叶えられるという
雑誌にも取り上げられています
平成24年(2012年)8月に創建された全国でも珍しいペットたちのための神社
授与所にて御朱印を頂きました
御朱印
2017年06月18日
2017年06月14日
亀ヶ池八幡宮(神奈川県相模市)
2017年(平成29年)5月2日 参詣
神奈川県相模原市中央区上溝1678 鎮座
亀ヶ池の由来は、神社の隣の池に多くの亀がいたことからついたという。境内の小さな池は、現在はなくなってしまった
社号標
大鳥居
平成4年の5月に60年に一度のお祭である亀ヶ池八幡宮還暦大祭が斎行され、記念事業として大鳥居が建立
手水舎
狛犬
御神門
拝殿
扁額
本殿
御創建は不詳ではありますが、およそ元弘元年(1331年)と思われます
古くより上溝の地に御鎮座し八幡大菩薩と称せられ北相模の農耕開拓の守護神として往古より朝野の御信仰篤いことが知られています。
ゴールド神社
沢山、境内社がある中 インパクトあったので撮影^^
無事故無違反の証であるゴールド免許証にあやかって、八幡大神様の御分霊をお祀りして創建された神社
この御社の前で交通安全・車のお祓いを行っているそうです
社務所にて御朱印を頂きました
御朱印
神奈川県相模原市中央区上溝1678 鎮座
亀ヶ池の由来は、神社の隣の池に多くの亀がいたことからついたという。境内の小さな池は、現在はなくなってしまった
社号標
大鳥居
平成4年の5月に60年に一度のお祭である亀ヶ池八幡宮還暦大祭が斎行され、記念事業として大鳥居が建立
手水舎
狛犬
御神門
拝殿
扁額
本殿
御創建は不詳ではありますが、およそ元弘元年(1331年)と思われます
古くより上溝の地に御鎮座し八幡大菩薩と称せられ北相模の農耕開拓の守護神として往古より朝野の御信仰篤いことが知られています。
ゴールド神社
沢山、境内社がある中 インパクトあったので撮影^^
無事故無違反の証であるゴールド免許証にあやかって、八幡大神様の御分霊をお祀りして創建された神社
この御社の前で交通安全・車のお祓いを行っているそうです
社務所にて御朱印を頂きました
御朱印
2017年06月12日
相模原 氷川神社(神奈川県)
2017年(平成29年)5月2日 参詣
神奈川県相模原市中央区清新4−1−5 鎮座
2017年05月10日
稲毛神社 〜川崎山王社〜(神奈川県川崎市)
2017年(平成29年)4月1日 参詣
神奈川県川崎市川崎区宮本町7−7 鎮座
旧社格は郷社で、現在は神社本庁の別表神社。旧称は山王権現、武甕槌神社で、現在も山王様の通称で呼ばれる。
社号標
大鳥居
もう1つの出入り口にある鳥居
境内は桜まつりの準備中
手水舎
拝殿前の鳥居
拝殿前の狛犬
拝殿
扁額
創建の年代は詳らかではありませんが、社伝によれば、第十二代景行天皇が東国御巡遊のおり当神社に賊難を避けられたといい、第二十九代欽明天皇の御代、この地方に動乱が絶えなかったため、天皇は当神社に幣帛・七串を奉り、新たに経津主神、菊理媛神、伊弉諾神、伊弉冉神を配祀せしめられ、戦勝とその後の親和協力を祈られ、以後長く勅願所であったと伝えられます。
山王権現の称号は、天台宗系の神仏習合思想「山王一実神道」によりますが、慶応四年、下向された有栖川宮熾仁親王殿下が当神社にご休憩され、その折りの殿下の御言葉「御社名、新政府の神仏分離の方針に相応しからず」により、鎮座地武蔵国稲毛庄の名をとって「川崎大神稲毛神社」と改称しました。その後、一時「川崎大神宮」と呼ばれた時期もありましたが、明治中期には「稲毛神社」が固定しました。
江戸時代には「山王様の大銀杏」として知られ、広重の「武相名所旅絵日記」などに描かれている。
また「禺老忠政遊覧記」には「この大銀杏の周囲を回りながら願い事をすると、ことごとく叶う。特に縁結び、子授け、子育て、学問稽古事の向上に霊験があり、参拝者がたえない」と書かれているという。
昭和二十年(1945)の戦火により大きく損傷。
しかしながら枯れ木とはならず、年とともに蘇り現在も見事な姿を見せてくれている。
昭和六十一年(1986)、境内整備事業の一環として、この御神木の周囲に十二支のブロンズ像を置き、「十二支めぐり」として整備された。
大鳥居以外の出入り口の門
大鳥居以外の出入り口の門にも社号標
拝殿から社務所へ向かう参道にも狛犬
天地睨みの狛犬
社務所
社務所内に授与所がありました、ここで御朱印をいただきました
御朱印
「健勝堅固」の文字が特徴的
神奈川県川崎市川崎区宮本町7−7 鎮座
旧社格は郷社で、現在は神社本庁の別表神社。旧称は山王権現、武甕槌神社で、現在も山王様の通称で呼ばれる。
社号標
大鳥居
もう1つの出入り口にある鳥居
境内は桜まつりの準備中
手水舎
拝殿前の鳥居
拝殿前の狛犬
拝殿
扁額
創建の年代は詳らかではありませんが、社伝によれば、第十二代景行天皇が東国御巡遊のおり当神社に賊難を避けられたといい、第二十九代欽明天皇の御代、この地方に動乱が絶えなかったため、天皇は当神社に幣帛・七串を奉り、新たに経津主神、菊理媛神、伊弉諾神、伊弉冉神を配祀せしめられ、戦勝とその後の親和協力を祈られ、以後長く勅願所であったと伝えられます。
山王権現の称号は、天台宗系の神仏習合思想「山王一実神道」によりますが、慶応四年、下向された有栖川宮熾仁親王殿下が当神社にご休憩され、その折りの殿下の御言葉「御社名、新政府の神仏分離の方針に相応しからず」により、鎮座地武蔵国稲毛庄の名をとって「川崎大神稲毛神社」と改称しました。その後、一時「川崎大神宮」と呼ばれた時期もありましたが、明治中期には「稲毛神社」が固定しました。
江戸時代には「山王様の大銀杏」として知られ、広重の「武相名所旅絵日記」などに描かれている。
また「禺老忠政遊覧記」には「この大銀杏の周囲を回りながら願い事をすると、ことごとく叶う。特に縁結び、子授け、子育て、学問稽古事の向上に霊験があり、参拝者がたえない」と書かれているという。
昭和二十年(1945)の戦火により大きく損傷。
しかしながら枯れ木とはならず、年とともに蘇り現在も見事な姿を見せてくれている。
昭和六十一年(1986)、境内整備事業の一環として、この御神木の周囲に十二支のブロンズ像を置き、「十二支めぐり」として整備された。
大鳥居以外の出入り口の門
大鳥居以外の出入り口の門にも社号標
拝殿から社務所へ向かう参道にも狛犬
天地睨みの狛犬
社務所
社務所内に授与所がありました、ここで御朱印をいただきました
御朱印
「健勝堅固」の文字が特徴的
2017年05月04日
相模國三之宮 比々多神社(神奈川県伊勢原市)
比々多(ひびた)神社
2017年(平成29年)3月26日 参詣
神奈川県伊勢原市三ノ宮1472 鎮座
『延喜式神名帳』では相模国の延喜式内社十三社の内の一社に名を連ねるお社
鳥居
手水舎
右側阿形の狛犬
左側吽形の狛犬
梵鐘
拝殿
本殿
「社伝記」によりますと、天保5年(1834年)に御鎮座、初代神武天皇6年(紀元前655年)の頃、人々が古くから祭祀の行われていた当地を最上の地と選び神を祀る社を建立し、相模国の霊峰大山を神体山として豊斟渟尊を日本国霊として祀ったことにはじまるといわれています。
第10代崇神天皇7年には、神地「神戸」を賜り、第36代孝徳天皇・大化元年(645)、現在相殿に祀られている大酒解神・小酒解神二柱が合祀の折に、「鶉甕」(うずらみか)と称される須恵器(すえき)が奉納されたといいます。次いで、第41代持統天皇朱鳥6年(692)、相模国の国司・布施朝臣色布知(ふせのあそんしこふち)によって社殿の改修が行われ、木彫り狛犬一対が奉納されました。
天平15年(743)、竹内宿祢(たけしうちのすくね)の後裔・紀朝臣益麿(きのあそんますまろ)を初代宮司に迎え、同時に第45代聖武天皇より荘園を賜りました。
時代は流れ、第53代淳和天皇・天長9年(832)、国司・橘朝臣峯嗣(たちばなのあそんみねつぐ)を勅使として当国総社「冠大明神」の神号を天皇より賜りました。
境内
御朱印待ちで、裏の待合室
待合室に稀勢の里が横綱になった最初の場所(大阪 春場所)番付表があった
しかも参拝時は千秋楽 優勝を決める約1時間前
御朱印
2017年(平成29年)3月26日 参詣
神奈川県伊勢原市三ノ宮1472 鎮座
『延喜式神名帳』では相模国の延喜式内社十三社の内の一社に名を連ねるお社
鳥居
手水舎
右側阿形の狛犬
左側吽形の狛犬
梵鐘
拝殿
本殿
「社伝記」によりますと、天保5年(1834年)に御鎮座、初代神武天皇6年(紀元前655年)の頃、人々が古くから祭祀の行われていた当地を最上の地と選び神を祀る社を建立し、相模国の霊峰大山を神体山として豊斟渟尊を日本国霊として祀ったことにはじまるといわれています。
第10代崇神天皇7年には、神地「神戸」を賜り、第36代孝徳天皇・大化元年(645)、現在相殿に祀られている大酒解神・小酒解神二柱が合祀の折に、「鶉甕」(うずらみか)と称される須恵器(すえき)が奉納されたといいます。次いで、第41代持統天皇朱鳥6年(692)、相模国の国司・布施朝臣色布知(ふせのあそんしこふち)によって社殿の改修が行われ、木彫り狛犬一対が奉納されました。
天平15年(743)、竹内宿祢(たけしうちのすくね)の後裔・紀朝臣益麿(きのあそんますまろ)を初代宮司に迎え、同時に第45代聖武天皇より荘園を賜りました。
時代は流れ、第53代淳和天皇・天長9年(832)、国司・橘朝臣峯嗣(たちばなのあそんみねつぐ)を勅使として当国総社「冠大明神」の神号を天皇より賜りました。
境内
御朱印待ちで、裏の待合室
待合室に稀勢の里が横綱になった最初の場所(大阪 春場所)番付表があった
しかも参拝時は千秋楽 優勝を決める約1時間前
御朱印
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