2017年(平成29年)3月25、26日 参詣
神奈川県平塚市平塚4丁目18-1 鎮座
旧東海道平塚宿の鎮守春日神社です。
3月25日参拝時16時を越えてしまい参拝のみ 翌日に参拝し御朱印を頂きました
社号標
と後ろに半分切れてますが、単独で撮影忘れました手水舎
一の鳥居
二の鳥居前に狛犬、天保14年(1843年)建立のもので、石工は江戸高砂町河岸の井筒屋千太郎
吽形像は子獅子を抱く体制
阿形像は子獅子に乳を飲ませています
二の鳥居
拝殿
本殿
創建年代は不詳
かつては平塚山黒部宮と称し、源頼朝が1191年(建久2年)、相模川橋供養の御祈願所としたという(『吾妻鏡』に記されている範隆寺(廃寺)は、春日神社の別当寺)。
さらに、翌1192年(建久3年)8月9日には、妻北条政子の安産祈願のため神馬を奉納した祈願所の一つとされ、そのため、安産の神として信仰されている。
また、春日の神が鹿島を旅立って無事に奈良の春日大社(総本社)に鎮座したという故事(鹿島立ち)に因んで旅行・交通安全の神としても信仰されている。
海岸線の浸食により現在の地に遷座したときに春日神社と改称されましたが、その時期は不明だそうです。
現在も黒部丘には黒部宮が祀られています。
鐘楼
御朱印は社務所でいただきました
御朱印
湘南ひらつか七福神「毘沙門尊天」の御朱印もありますが次回参拝にしておきました。
2017年05月02日
2017年04月28日
相模国総社 六所神社(神奈川県大磯町)
2017年(平成29年)3月27日 参詣
神奈川県中郡大磯町国府本郷935 鎮座
社号標
国道1号線沿いにすぐ鳥居が建っており、そこから住宅街を抜ける形で参道が伸びています
国道1号線の大鳥居をくぐると
東海道線が参道を分断しているので、アンダーを通ります
アンダーを抜けると社殿が見えました
境内入口脇の駐車場に車をとめて参拝です
手水舎
雨も降っていたせいもあるのか、境内はヒンヤリ引き締まった空気でした
狛犬
拝殿
境内から短い石段を登ったところに拝殿、その奥には本殿があります
ここには、相模国の一之宮から四之宮、平塚八幡宮の分霊が共に祀られています。
六所神社の御祭神・櫛稲田姫命が生まれた出雲とは縁も深く、この注連縄は出雲で作られているのだそうです。
本殿
崇神天皇の時代に 出雲の国から移住してきた柳田氏という一族が、一族の守護神であった「櫛稲田姫命」をお祀りしたのが始まりとされています。
その後、「櫛稲田姫命」と合わせて、「須佐之男命」「大己貴尊」を祀り、柳田大明神と称したと伝えられています。
創設当初は「柳田大神」と称されていましたが、「大化の改新」の後に、寒川神社、川勾神社、比々多神社、前鳥神社、平塚八幡宮など、周辺にある有力大社の分霊を併せ祭る「相模國総社」となったことから、「六所神社」と呼ばれるようになりました。
境内にはケヤキやイチョウ、タブノキなど、樹齢が300年を超える平地では数少ない巨木群が目に付きます。大磯町の史跡名勝天然記念物に指定されています。
授与所 兼 社務所
雨が降っていたので御朱印を書いていただく時間、社務所内にいました
玄関には立派な獅子舞が飾られていました。
御朱印
神奈川県中郡大磯町国府本郷935 鎮座
社号標
国道1号線沿いにすぐ鳥居が建っており、そこから住宅街を抜ける形で参道が伸びています
国道1号線の大鳥居をくぐると
東海道線が参道を分断しているので、アンダーを通ります
アンダーを抜けると社殿が見えました
境内入口脇の駐車場に車をとめて参拝です
手水舎
雨も降っていたせいもあるのか、境内はヒンヤリ引き締まった空気でした
狛犬
拝殿
境内から短い石段を登ったところに拝殿、その奥には本殿があります
ここには、相模国の一之宮から四之宮、平塚八幡宮の分霊が共に祀られています。
六所神社の御祭神・櫛稲田姫命が生まれた出雲とは縁も深く、この注連縄は出雲で作られているのだそうです。
本殿
崇神天皇の時代に 出雲の国から移住してきた柳田氏という一族が、一族の守護神であった「櫛稲田姫命」をお祀りしたのが始まりとされています。
その後、「櫛稲田姫命」と合わせて、「須佐之男命」「大己貴尊」を祀り、柳田大明神と称したと伝えられています。
創設当初は「柳田大神」と称されていましたが、「大化の改新」の後に、寒川神社、川勾神社、比々多神社、前鳥神社、平塚八幡宮など、周辺にある有力大社の分霊を併せ祭る「相模國総社」となったことから、「六所神社」と呼ばれるようになりました。
境内にはケヤキやイチョウ、タブノキなど、樹齢が300年を超える平地では数少ない巨木群が目に付きます。大磯町の史跡名勝天然記念物に指定されています。
授与所 兼 社務所
雨が降っていたので御朱印を書いていただく時間、社務所内にいました
玄関には立派な獅子舞が飾られていました。
御朱印
2017年04月25日
伊勢原大神宮(神奈川県)
2017年(平成29年)3月26日 参詣
神奈川県伊勢原市伊勢原3丁目8−1 鎮座
社号標
鳥居
阿の狛犬
吽の狛犬
狛犬の説明板
神社の説明板
大山詣りに来た伊勢の人がこの地に住み開墾を始め、努力の甲斐あってだんだん栄えてきたそうです。
そこでこの地の守り神として故郷の伊勢神宮の神様を勧請したとのこと。
以来、伊勢の神様が鎮座するこの地を”伊勢原”と呼ぶようになったそうです。
伊勢原の伊勢は伊勢神宮の伊勢だったんですね
手水舎
外宮、内宮と2つの拝殿
外宮拝殿
ご祭神 豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)
参拝方法ですが、伊勢神宮と同じで、まずは外宮からお参りし続いて内宮。
内宮拝殿
ご祭神 天照皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)
外宮側から両拝殿を撮影
内宮から外宮は繋がってます。
外宮、本殿
神社の創建は、江戸時代初期の元和年間(1615〜1624)のことであると伝えられております。
元和六年(1620)伊勢の国の人・山田曾右衛門と鎌倉の人・湯浅清左衛門は、大山参詣の途中、千手原という松原に一夜の宿を求めたところ、水音を聞いて開墾可能であることを悟り、当時このあたりを支配していた中原代官成瀬五左衛門の許可を得て、開墾に着手したのです。そこにだんだんと粕屋あたりより人が集まり現在の伊勢原市街の基礎が形成されました。曾右衛門は、この新しい開拓地の鎮守として、故郷である伊勢の神宮の神様を勧請し、奉祭することにいたしました。
こうして創建された当神社の御祭神に由来して当地は伊勢原と呼ばれるようになりました。
伊勢の神宮では、天照皇大御神が内宮に、豊受姫大神が外宮に、それぞれ奉祭されています。当神社もこれにならい両宮が別々に奉祭されています。全国でも珍しい社殿構造は、江戸時代に編纂された「新編相模風土記稿」にもみられ、創建以来の伝統として現在も受け継がれております。
この大神宮のシンボルマークは丸と四角・赤と白・人と自然をイメージしてデザイン化された“紅白のたまご”で内宮と外宮を表現しているそうです
授与所
御朱印
神奈川県伊勢原市伊勢原3丁目8−1 鎮座
社号標
鳥居
阿の狛犬
吽の狛犬
狛犬の説明板
神社の説明板
大山詣りに来た伊勢の人がこの地に住み開墾を始め、努力の甲斐あってだんだん栄えてきたそうです。
そこでこの地の守り神として故郷の伊勢神宮の神様を勧請したとのこと。
以来、伊勢の神様が鎮座するこの地を”伊勢原”と呼ぶようになったそうです。
伊勢原の伊勢は伊勢神宮の伊勢だったんですね
手水舎
外宮、内宮と2つの拝殿
外宮拝殿
ご祭神 豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)
参拝方法ですが、伊勢神宮と同じで、まずは外宮からお参りし続いて内宮。
内宮拝殿
ご祭神 天照皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)
外宮側から両拝殿を撮影
内宮から外宮は繋がってます。
外宮、本殿
神社の創建は、江戸時代初期の元和年間(1615〜1624)のことであると伝えられております。
元和六年(1620)伊勢の国の人・山田曾右衛門と鎌倉の人・湯浅清左衛門は、大山参詣の途中、千手原という松原に一夜の宿を求めたところ、水音を聞いて開墾可能であることを悟り、当時このあたりを支配していた中原代官成瀬五左衛門の許可を得て、開墾に着手したのです。そこにだんだんと粕屋あたりより人が集まり現在の伊勢原市街の基礎が形成されました。曾右衛門は、この新しい開拓地の鎮守として、故郷である伊勢の神宮の神様を勧請し、奉祭することにいたしました。
こうして創建された当神社の御祭神に由来して当地は伊勢原と呼ばれるようになりました。
伊勢の神宮では、天照皇大御神が内宮に、豊受姫大神が外宮に、それぞれ奉祭されています。当神社もこれにならい両宮が別々に奉祭されています。全国でも珍しい社殿構造は、江戸時代に編纂された「新編相模風土記稿」にもみられ、創建以来の伝統として現在も受け継がれております。
この大神宮のシンボルマークは丸と四角・赤と白・人と自然をイメージしてデザイン化された“紅白のたまご”で内宮と外宮を表現しているそうです
授与所
御朱印
2017年04月23日
高部屋神社(神奈川県伊勢原市)
高部屋神社(たかべやじんじゃ)
2017年(平成29年)3月26日 参詣
神奈川県伊勢原市下糟屋2202 鎮座
社号標
鳥居
手水舎
銅鐘
1386年(至徳3年)12月に河内守国宗が鋳造し、平秀憲によって奉納されたもの(神奈川県の重要文化財)
狛犬
拝殿
拝殿は入母屋造(いりもやづくり)の茅葺(かやぶき)で、手前に銅板葺(どうばんぶき)の向拝(ごはい)(正面の庇(ひさし)部分)を設け、背面には幣殿を連結
貴重な茅葺屋根の社殿です。
本殿
御祭神
神倭伊波礼彦命(かんやまといわれひこのみこと)
誉田別命(ほむだわけのみこと)
三筒男命(みつつおのみこと)
大鷦鶺命(おほさざきのみこと)
息気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
磐之姫命(いわのひめのみこと)
時代とともに主祭神が移り変わってきたと思われます。
創建から平安時代までは三筒男命(住吉三神)を主祭神とし、鎌倉時代から幕末までは誉田別命を主祭神とし、明治以降は神倭伊波礼彦命を主祭神としてお祀りしていることが記録より伺えます。
創建年代は不詳であるが、延喜式神名帳に相模13座の内の1社と記載されている古社であり、古くは相州大住郡糟谷庄127ヶ村の惣鎮守として崇敬された。
平安時代までは現在の飛び地境内である伊勢原市高部屋地区の澁田山に鎮座していたと考えられ、糟谷住吉の大神「大住大明神」として崇敬された。
御朱印
伊勢原大神宮にて頂きました
2017年(平成29年)3月26日 参詣
神奈川県伊勢原市下糟屋2202 鎮座
社号標
鳥居
手水舎
銅鐘
1386年(至徳3年)12月に河内守国宗が鋳造し、平秀憲によって奉納されたもの(神奈川県の重要文化財)
狛犬
拝殿
拝殿は入母屋造(いりもやづくり)の茅葺(かやぶき)で、手前に銅板葺(どうばんぶき)の向拝(ごはい)(正面の庇(ひさし)部分)を設け、背面には幣殿を連結
貴重な茅葺屋根の社殿です。
本殿
御祭神
神倭伊波礼彦命(かんやまといわれひこのみこと)
誉田別命(ほむだわけのみこと)
三筒男命(みつつおのみこと)
大鷦鶺命(おほさざきのみこと)
息気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
磐之姫命(いわのひめのみこと)
時代とともに主祭神が移り変わってきたと思われます。
創建から平安時代までは三筒男命(住吉三神)を主祭神とし、鎌倉時代から幕末までは誉田別命を主祭神とし、明治以降は神倭伊波礼彦命を主祭神としてお祀りしていることが記録より伺えます。
創建年代は不詳であるが、延喜式神名帳に相模13座の内の1社と記載されている古社であり、古くは相州大住郡糟谷庄127ヶ村の惣鎮守として崇敬された。
平安時代までは現在の飛び地境内である伊勢原市高部屋地区の澁田山に鎮座していたと考えられ、糟谷住吉の大神「大住大明神」として崇敬された。
御朱印
伊勢原大神宮にて頂きました
2017年03月18日
平塚弁財天社・鶴峯山稲荷社【平塚八幡宮境内社】(神奈川県)
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