2017年03月17日

平塚八幡宮(神奈川県平塚市)

2017年(平成29年)2月24日 参詣
神奈川県平塚市浅間町1−6 鎮座

一国一社の八幡宮・五之宮格平塚八幡宮
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一の鳥居

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西御池から一の鳥居を望む
市街地にありながらも自然が豊かで、境内にいる鴨やアヒルに心が癒されました。

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東御池を泳ぐ錦鯉とアヒル
地震で縁のある新潟県長岡市(旧山古志村)よりの錦鯉

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手水舎

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二の鳥居

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二の鳥居を守る狛犬(鳥居と共に青銅製)

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境内社の神明社、諏訪社、若宮社の前を歩く鴨(アヒル?)

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拝殿

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本殿


平塚八幡宮は古くは鶴峯山八幡宮と称えられ、仁徳天皇の68年、この地方を襲った大地震に苦しむ人々の様を見かねた天皇が国土安穏を祈り、應神天皇の御神霊をお祀りされたのが始まりとされています。

その後、推古天皇の御代にも大地震があり、人々を案じられた天皇は「鎮地大神」の御宸筆を捧げて国家安泰を祈願して社殿を造営し、さらに天武天皇はこの地の税を寄進、文武天皇は宝剣「天晴彦(あめのはるひこ)」を奉納、そして聖武天皇は相州一国一社の八幡宮(霊場)として法華経を奉納されました。

鎌倉時代以降も源頼朝公が夫人政子の安産を祈願して神馬(白馬)を献上した等、武人の信仰も篤く、特に徳川家康公は社領を寄進し、慶長年間には自ら参拝し、伊奈備前守忠次へ命じて社殿を再建されました。

江戸期になると、平塚は日本橋から数えて8番目の宿場として賑わい、特に門前の大門通りは東海道、須賀港、厚木往還、大山道の重なる交通の要衝として発展し、旅人は道中の安全を祈り社頭は大いに栄えたそうです。

大政奉還の後、官の達示により社名を「八幡神社」と改称しましたが、平塚の街は海軍火薬工廠の建設などによって、商業、工業として成長し、明治27年には明治天皇の王女常宮昌子内親王、周宮房子内親王がご参拝にり、社頭に松樹をお手植えされ、御神池に緋鯉を放生され現在に至っています。
(由緒書きより抜粋)



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浄銭池

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社務所

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御朱印をいただいたとき、由緒書きというよりも冊子・パンフレットなる立派なものをいただきました
フルカラーで御由緒・境内の案内・季節行事カレンダー祓詞などが載っています。


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御朱印
だいたい墨書きは神社の名前が筆で書かれていますが、鎮地大神(ちんちおおかみ)と書かれていました。


posted by かめ忍者 at 11:53| 栃木 ☀| Comment(0) | 神奈川の神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月12日

奨学神社・神戸神社【前鳥神社境内社】(神奈川県)

2017年(平成29年)2月24日 参詣
神奈川県平塚市四之宮4丁目14−26 前鳥神社境内社


【奨学神社】

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昭和四十三年の創建。百済の王子阿直岐と博士王仁、そして菅原道真公を御祭神とする奨学の神社

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中には沢山の達磨さん

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御朱印




【神戸(ごうど)神社】

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境内にあった神明社と八坂神社を合祀したもの。祭神は天照大御神と素戔嗚尊

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御朱印

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2017年03月11日

相模國四之宮 前鳥神社(神奈川県平塚市)

2017年(平成29年)2月24日 参詣
神奈川県平塚市四之宮4丁目14−26 鎮座

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狛犬
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平成30年が御鎮座1650年になるとのことで、境内各所に重機が入り改修工事が行われていました。
鳥居も新造されるそうです。

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鎮守の杜に囲まれた参道の先に社殿

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手水舎

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拝殿
右手前には大きな松の木があり、幸せの松と呼ばれています。稀に四本の葉をつけ、この葉を身に着けると幸せになれると伝えられています。参拝の際は是非探してみて下さい。

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御神木の松かさにも ご利益


神社名の「さきとり」は平安以前の古い地名で、相模川河原に接する自然堤防の南端で、地形名から起こったと言われています。奈良時代の天平7年(735年)の『相模國封戸租交易帳」には「大住郡埼取郷」として記載されています。

この「さきとり」の地に奈良時代以前、畿内から御祭神を「氏の上」とする氏人が移り住み、遺徳を偲び、清浄な地にお祀りしたのが「さきとり」神社と考えられます。
延喜年間(901〜923年)に編纂された『延喜式』という法制書の中で全国の著名な神社が収録されている神名帳に「前鳥神社」と記され、相模国の十三座のひとつとして登載されています。また、四之宮の称は、養老年間(717〜724年)の相模国の国府祭が始まったとされる頃に生じ、平安時代には四之宮郷として通称されるようになりました。


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本殿
•御祭神
菟道稚郎子命(うぢのわきいらつこのみこと)
大山咋命(おおやまくいのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)

全国にも珍しい、ご祭神は菟道稚郎子命
菟道稚郎子命は第15代応神天皇の皇太子でした。
論語などの中国の漢書を日本で始めて学ばれたほか、技術を持つ渡来人を受け入れ、産業・経済の発展に尽力。多くの人々に仕事を授けました。そのことから学問はもちろんのこと、就職の神様としても崇められています。
ちなみに菟道稚郎子命は、天皇の位を兄皇子(仁徳天皇)に譲るために自らお亡くなりになられ、天皇にはなりませんでした。
菟道稚郎子命を祀っているのは全国でも珍しく、さらになぜ宮があったとされる京都の宇治から離れた関東の地で祀られているのかは不明。


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鐘楼が有ります。

時代が近世初期になってからは、寺社領の確定により、古義真言宗雪霜山鏡智院神光寺が別当寺として祭事のすべてを掌っておりました。そして、明治維新の大改革の際に鏡智院家が復飾、名を神代にあらため、現在に至るまで神仕(かみつかえ)の職に就いています。

昔は神社を御寺が守っていたので、和尚さん達も出入り
そして神社には別当寺と呼ばれる管理担当寺院が設置されていました。宮司さんと和尚さんが協力して日本の文化を守っていた訳です。

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社務所

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御朱印

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2017年02月25日

相模國一之宮 寒川神社(神奈川)

2017年2月24日 参詣
神奈川県高座郡寒川町宮山3916 鎮座

寒川神社は相模国の一之宮と称される神社で、古くより関東の守り神として、また江戸の正裏鬼門を守護する神社として全国でも珍しい、方位除・八方除の守護神として信仰されています。
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一の鳥居と社号標

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二の鳥居

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三の鳥居

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参道、神職さんが歩いていました

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手水舎

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神門

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神門前の狛犬

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拝殿

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本殿の近くへは立ち入り禁止でした


古代、相模川沿いは相模国造がおり、有力な豪族のいずれかが造営したと推定される。雄略天皇の時期に奉幣、神亀4年(727年)に社殿建立の記録があるが、公式には『続日本後紀』にて承和13年(846年)に仁明天皇から従五位下を授る記録がある。

『延喜式神名帳』では「相模国高座郡 寒川神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。また、鎌倉時代の『吾妻鏡』には「一宮佐河大神」と記載があり、相模国の一宮とされたことがわかる。戦国時代には武田信玄が行軍中に当社を参拝し、自身の纏っていた兜と太刀を安全祈願に奉納。
また源頼朝、小田原北条氏、徳川家康など多くの武家の崇敬を集めた。

古くから関八州の守り神として民間の信仰も集め、今も全国から地相、家相、方位、日柄などの災いを事前によける八方除祈願の参拝者が絶えない

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ご神木

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御神徳
全国唯一の八方除の神さまが祀られていて その八方を示す方位盤が拝殿右にあります。

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御朱印は社務所にていただきました

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御朱印
初穂料、お気持ち

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2016年04月27日

鎌倉宮(神奈川県)

2105年9月5日奉拝
神奈川県鎌倉市二階堂154 鎮座

明治天皇は、護良親王の、平和国家の実現に努力した遺志を伝えていくことを望み、
明治2年に鎌倉宮の設立の勅命を発したとのこと。
長い歴史において、この鎌倉宮が唯一「天皇自らが創建」した神社。
「鎌倉宮」という名前も明治天皇によって名づけられたという。

祭神の護良親王は、「建武の新政」を行なった後醍醐天皇の皇子。
親王は、楠木正成らとともに鎌倉幕府打倒を目指して戦い、幕府滅亡後には征夷大将軍に任ぜられたが、1334年(建武元年)11月15日、武家政権を狙う足利尊氏と対立し、この地にあった東光寺に幽閉されてしまう。
翌1335年(建武2年)、十四代執権北条高時の子北条時行が反乱(中先代の乱)を起こした際、足利尊氏の弟の直義によって殺害された。

境内には、親王が幽閉されていたとされる土牢が残されている。
殺害された親王の首は、廃寺となった理智光寺の住職によって葬られたのだと伝えられ、理智光寺跡には親王の墓がある。

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posted by かめ忍者 at 22:21| 栃木 ☁| Comment(0) | 神奈川の神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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