2019年06月05日

宇都宮の大銀杏

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宇都市旭町にある大銀杏の木は戊辰の戦火と宇都宮空襲でも残った。樹齢400年とも言われる、宇都宮城三の丸土塁に建つ名木で、「宇都宮城の大いちょう」として親しまれています。


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大銀杏

令和元年6月1日撮影

場所

栃木県宇都宮市中央1丁目

南大通り(いちょう通り)



posted by かめ忍者 at 20:52| 栃木 ☀| Comment(0) | 由来・伝説・いわれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月12日

桃は、魔除け不老長寿の実

2018年8月11日の出来事
通りがかりの寺に立派な蓮があり立ち寄りました^^
たまたま住職さんが山門から来たので蓮の話を聞かせていただきました

その後、参拝を済ませで帰路に就こうとすると 住職さんが急いで出てきて・・・

桃を8個もいただきました

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桃は、昔は病魔や災厄を防ぐ力があり不老長寿の実として珍重されていたようです。

「西遊記」に桃の話が登場します。
仕事も無くふらふらしていた悟空は、玉帝より西王母(せいおうぼ)の所有する蟠桃園(ばんとうえん)の管理人に任命されます。この蟠桃園には、三千六百本の桃の木があり、手前の千二百本は、三千年に一度熟し、これを食べたものは仙人になれ、中ほどの千二百本は、六千年に一度熟し、これを食べたものは、長生不老が得られ、奥の千二百本は、九千年に一度熟し、これを食べたものは天地のあらんかぎり生きながらえるとされていました。

西王母の誕生日を祝う会を蟠桃会(ばんとうえ)と言い、この蟠桃園の桃を皆で食する慣わしとなっていましたが、悟空は、この蟠桃会に用意された、一番奥の桃を食べてしまう・・・・・・という話です。
 
ちなみに、この西王母の誕生日は、3月3日。日本でも桃の節句となっています。

この桃の節句は、江戸時代に徳川幕府が定めたもので、人日(正月7日)・端午(5月5日)・七夕(7月7日)・重陽(9月9日)をあわせて五節句としました。季節の変わり目、節目に厄を祓い、無病息災を祈るために季節の食物を供えたことに由来します。

これは古代中国の影響で、中国の六朝以後の歳時記には、陰の気が最も高まる3月の初めの巳(み)の日には水辺に出て禊(みそぎ)を行い、病を避け、寿命を延ばすために髪に柳の一枝を飾り、草もちを供え、桃の酒を飲んで、災厄を祓う行事が紹介されています。「宋書」という書物には、魏の時代から後に3月3日にされたことが記録されています。

また、3月3日に桃の花を杯に浮かべて飲めば、邪気を祓い、寿命を延ばすという信仰もありました。これが、後に曲水の風流韻事に変わっていきました。
 
このように古来中国で、桃が珍重されているのは、桃は、春先に咲く陽木であるという点と、西王母伝説の長寿の桃であるという点と、魔よけの力がある(鬼が桃の香気や臭気を嫌う)とされる点からです。
 
そういえば、日本の昔話の「桃太郎」は、桃から生まれた桃太郎が鬼を退治するというお話です。


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冷蔵庫で冷やし過ぎると甘味が落ちてしまうため食べる2〜3時間前に冷やす程度がよく、普段は常温において完熟したものから順に食べるといいそうです。

posted by かめ忍者 at 22:20| 栃木 ☁| Comment(0) | 由来・伝説・いわれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月15日

栃木県の磐裂根裂神 覚書

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虚空蔵菩薩

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妙見菩薩

磐裂神、根裂神
もともとは虚空蔵菩薩や妙見菩薩を本地仏としていたところがほとんどです。明治時代の神仏分離令により祭神を磐裂神、根裂神に改めたのだそうです。そして神社の名前も「磐裂神社」や「磐裂根裂神社」そして「星宮神社」に改められたそうです。
妙見菩薩は北極星を神格化、虚空蔵菩薩の化身が明けの明星と、星に関わる信仰です。

栃木県は日光山を開山した勝道上人が虚空蔵菩薩を本地仏とし、日光開山の際には磐裂神の助けがあったといわれているので、ほかの地域と比べると「磐裂神社」「星宮神社」の数が非常に多いのだそうです

磐裂根裂神社は日光の磐裂神社(明星天子)からの流れが多いのだと思います。
日光を開山した勝道上人が最初に祀った神社で、星宮でもあります。
(磐裂根裂神社=星宮とすると、分布はとても広くなりますし、星宮も権現と明神で意味合いが変わってくるので何ともいえないですが)
勝道上人は磐裂神・根裂神の夫婦神を崇拝していたので、それにあやかったのもあるかと思います。

つまり北極星信仰であり、日光東照宮の社殿が真南を向いている(北極星が社殿の真後ろから出る)というのもありますが、江戸時代以前から陰陽道が入っているのかと思われます。
磐裂根裂神社の名称は明治時代に改称されている神社が多く、それ以前は妙見・星宮などが多いようです。


下野国の場合、豪族が氏神を祀って神社が増えたケースはとても少ないです。
それほど神主大名である宇都宮氏の影響力があったのかもしれません。


磐裂根裂神社は日光から来ていますので、田心姫の川である思川周辺に多いです。
磐裂根裂神社の他に磐裂神社・根裂神社という名称の神社もあります。
旧今市市の岩崎神社もイワサクが岩崎になったとされています。

【栃木県内の磐裂・根裂 】
根裂神社 鹿沼市上石川町544
岩崎神社 日光市(旧今市市)岩崎526
磐裂神社 鹿沼市茂呂488
磐裂神社 鹿沼市下石川345
磐裂神社 鹿沼市日光奈良部町200
磐裂神社 鹿沼市下奈良部町291
磐裂神社 日光市安川町1358
磐裂神社 日光市所野814
磐裂神社 日光市上鉢石町1114-1
磐裂神社 日光市細尾町318-1
磐裂神社 日光市和泉914
磐裂神社 日光市(旧今市市)吉沢349
磐裂神社 日光市(旧今市市)室瀬258
磐裂神社 日光市(旧足尾町)遠下3-1
磐裂神社 下都賀郡壬生町下稲葉929
磐裂神社 下都賀郡壬生町上田1350
磐裂神社 下都賀郡壬生町中泉861
磐裂神社 栃木市藤岡町藤岡999
磐根神社 栃木市都賀町原宿1234
磐根神社 栃木市都賀町合戦場534
磐裂根裂神社 栃木市都賀町家中2456
磐裂根裂神社 鹿沼市亀和田町605
磐裂根裂神社 鹿沼市北赤塚町1053
磐裂根裂神社 下都賀郡壬生町福和田519
磐裂根裂神社 下都賀郡壬生町福和田1379
磐裂根裂神社 下都賀郡壬生町安塚1772
磐裂根裂神社 下都賀郡壬生町上長田405

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2017年04月09日

お釈迦様の生誕祝う花祭り

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川崎大師の花御堂

今回、川崎大師を訪れ 花祭りが行われていました。
私は寺付属の幼稚園だったので花祭りを行った記憶が薄っすらありました。
講堂でお釈迦様に甘茶をかけた後、その甘茶を頂きとても美味だったのを覚えています。


【4月8日花祭り】お釈迦様のお誕生日。
「花祭り」は、第二次世界大戦後に広まった呼び方で、もともとは
「灌仏会(かんぶつえ)」
「仏生会(ぶっしょうえ)」
「浴仏会(よくぶつえ)」
「降誕会(こうたんえ)」
「竜華会(りゅうげえ)」などと呼ばれていました。

様々な草花で飾った花御堂(はなみどう)を作り、その中に灌仏桶を置いて、甘茶を満たします。灌仏桶の中央には”天上天下唯独尊”のポーズをとった誕生仏の像を置き、柄杓でお釈迦様の像に甘茶をかけて皆で祝います。
近年では、新暦四月八日にお祝いすることが多いそうで、それも四月八日前後だったりしています
※花御堂は、桜・木蓮・れんぎょうなどの花で飾られた小さなお堂です


お釈迦様、誕生のお話
シャーシャ族のマーヤー(摩耶)夫人は、神聖な白象が胎内に宿る夢を見ます。そのマーヤー夫人が臨月になり、出産のために故郷であるデーヴァダッハへ帰る途中、ルンビニー村で休息をとります。

そこには、美しいサーラ(沙羅)の樹がありました。その美しさに思わず枝に手を伸ばしたところマーヤー夫人の右脇からブッダが誕生します。

数多の神や人々から散華供養をうけるなか、ブッダはすっくと立ち上がり、東西南北にそれぞれ七歩ずつ歩いたあとに右手を上に挙げ、左手を下に指しながら『天上天下唯我独尊』に始まる誕生偈(げ)を唱えたということです。


誕生したとき、九頭の竜が天から芳しい甘露を吐いて産湯を満たしたという伝承がもとになっています。江戸時代までは、甘茶ではなく五色水と呼ばれる香水が使われていたようですが、しだいに甘茶を甘露に見立てて用いるようになったといわれています。

ちなみに、甘茶(あまちゃ)は、ユキノシタ科の落葉低木ガクアジサイの変種であるアマチャの、若い葉っぱから作られます。本来漢方薬の原料だとかで、アレルギーとか歯槽膿漏に効果があるのだそうです。

posted by かめ忍者 at 01:00| 栃木 🌁| Comment(2) | 由来・伝説・いわれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月12日

初夢

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年の節目にみる初夢は、一年の吉凶の夢占い
吉夢を誘い福を招き寄せ、また悪夢を流し去るために枕の下に敷く縁起物の絵を世に「宝船」と称します。

古くは節分の夜、江戸時代からは正月二日の夜の風習として、各地で伝承されてきました。
「長き世の遠の眠りの皆目覚めなみのり舟の音の良きな」
「なかきよのとをのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな」
前から読んでも、後ろから読んでも同じ文句になることのような、回文歌を三回唱えてから寝ると、吉夢がみられるとされてます。

1月2日に行った宗任神社(茨城県)にて頂きました「宝船の絵」

実際に昔の資料などには
「大晦日から元日に見る夢」を初夢としているものも多いようですが
この他に
「元日の夜に見る夢」
「2日の夜に見る夢」
と諸説あり、江戸時代前半くらいまでは大晦日の夜説、江戸時代中期以降は2日の夜説が有力とされていたようです。

2日の夜説の理由としては、この日のみ売られる宝船の絵を枕下に敷いて寝ると縁起のよい夢が見られるという噂が広まったためです。
江戸時代にはこの宝船の絵を売るためだけに2日に働く人もいたほどです。

しかし現在では、元日の夜から2日に掛けてみる夢が初夢とされているようです。


縁起のいい初夢を表す言葉として「一富士、二鷹、三茄子」がありますね。

これは、徳川家康のお膝元であった駿河(現在の静岡県中央部)にちなんでいると言われ、中でも縁起を担ぐという意味で「富士山の高さや大きさ、鷹は鋭い足で掴み取る、茄子は何事も成し遂げる、と言われているそうです。

これには続きがあり「四扇五煙草六座頭(しせんごたばころくざとう)」となっています。

四の扇はその形が末広がりの幸を連想させ
五の煙草は煙が上に上がるように運が上がる
六の座頭は、剃髪した琵琶法師を指し「毛がない」が「怪我ない」に通じる事から家内安全を願ったものとされています。

posted by かめ忍者 at 09:25| 栃木 ☀| Comment(0) | 由来・伝説・いわれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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