2017年09月24日

少林山 達磨寺(群馬県高崎市)

黄檗宗(おうばくしゅう)
少林山達磨寺(しょうりんざんだるまじ)
2017年(平成29年)7月22日参詣
群馬県高崎市鼻高町296 鎮座

黄檗宗、達磨大師の教えを受け継ぐ寺院。禅宗(臨済宗・曹洞宗・黄檗宗)のひとつ。

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入口に大きな看板

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寺号標

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総門
開創300年を記念して作られたらしい。

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総門をくぐって200段前後の石段

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手水舎

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手水舎の苔が渋い

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山門をくぐり石段を登り、「瑞雲閣」、手水舎を抜けて お堂までに また石段を上る

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本堂にあたる「霊符堂」
黄檗宗、本尊十一面観音、北辰鎮宅霊付尊神。
隠元禅師によって開かれ、本山は京都府宇治にある黄檗山万福寺です。

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扁額

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沢山の達磨が奉納されていました

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霊符堂の隣にもダルマの売店が(中腹の「霊符堂」にもあります)


張り子の福ダルマ(縁起ダルマ)はこの達磨寺が発祥とされています。

もともと達磨寺では、この寺を開山したとされる心越禅師が描いた一筆達磨像を、厄除けのお札として正月に配布していました。

その後、天明の大飢饉によって苦しむ農民たちを救うため、副業としてこの像をモデルにした張り子のダルマを作らせ、七草大祭の縁日で売ったのが始まりとされています。

現在でも少林山七草大祭は通称・高崎だるま市と呼ばれ、毎年1/6〜7に行われています。日本最大のだるま市として、毎年約20万人以上が訪れるそうです。

もちろん、達磨寺ではだるま市以外でも、通年ダルマを販売しています。


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売店の隣に「達磨堂」があり、全国のだるまやオリジナルだるまみたいのが展示する部屋もありました

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「瑞雲閣」の中には納経所があります
こちらで御朱印をいただく際は必ず納経しなくてはいけません。
般若心経を写経するのかと気合入れてたら「摩訶般若波羅蜜多心経」だけの十文字写経でした

写経したものをご住職に納経すると、名前の読み方等を確認されまして、お線香に火を点けてご祈祷の準備が始まりました
読経は2〜3分。
その際に、脇に書かれた名前や願い事もきちんと読んで下さるので、とても有難いです。
ご住職さんが
「御朱印とは本来は・・・ですので、うちはみなさんに納経していただいてるわけです。」と説明を頂き、無地に御朱印を頂けました・・・ホッ 緊張感満載でした。

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やっとこいただいた御朱印
「十文字写経」ですが納経の証として御朱印を頂く、本来の体験が出来る良い機会かもしれません。

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2017年09月22日

高崎白衣大観音 慈眼院(群馬県高崎市)

高崎白衣大観音(たかさきびゃくえだいかんのん)
観音山 慈眼院(じげんいん)
2017年(平成29年)7月22日参詣
群馬県高崎市石原町観音山2710−1 鎮座

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字号標

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「高崎白衣大観音」は1936年に群馬県高崎市の実業家である井上保三郎氏によって建立されて以来、高崎市のシンボルとなっています。
高さ41.8メートル、重さ約6,000トン
胎内拝観
胎内は、20体の仏様や高僧の像があり、観音様の肩の高さまで(9階)まで登ることができます。
胎内拝観料 大人・高校生以上300円 小人・中学生以下100円

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白衣観音説明版

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手水舎

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太鼓橋の先に本堂が見えます

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大師堂
関東八十八ヶ所霊場開創に伴い平成8年に建立された


東国花の寺百ヶ寺のひとつに選ばれており全山約三千本の桜をはじめ一年を通して四季折々の草花を楽しむことができます。


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本堂

慈眼院は高野山真言宗の寺院で山号は観音山(かんのんざん)

高野山真言宗の別格本山にあたります。
もとは、公園として整備し、モニュメントとして「白衣観音」を建てましたが、その後「慈眼院」が白衣観音の近くに創建されたそうです。

慈眼院はもともと高野山金剛峯寺の塔頭寺院のひとつで、学侶方の寺院として隆盛を誇っておりました。
明治の廃仏毀釈で高野山でも寺院の統合廃寺がすすむなか、衰退しつつも慈眼院は昭和初期まで存在しておりました。

公園として整備し、モニュメントとして「白衣観音」を建てましたが、その後「慈眼院」が白衣観音の近くに創建されたそうです。
昭和16年(1941年)に高野山より別格本山として高崎への移転が決まりました。

創建は、鎌倉中期、執権北条義時の三男、相州極楽寺入道重時と伝えられます
寺記によると、元禄時火災により炎上、過去帳や古文書の類はことごとく焼失したといわれています。続紀伊風土記には、本尊の聖観世音菩薩は鎌倉坂下村の安左衛門という文人が由比ヶ浜で漁をしたときに網にかかった尊像とあります。


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扁額

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本堂説明版

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本堂には燈籠が沢山

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御朱印は慈眼院本堂の右側の「授与所」で頂くことできます
札所等
関東八十八ヶ所 一番札所
上州三十三観音霊場 特別霊場
東国花の寺百ヶ寺

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「大白衣観音」御朱印

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関東八十八ヵ所霊場一番札所となっております。

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2016年10月21日

宝徳寺(桐生市)の墨絵アートな御朱印

臨済宗 大光山 宝徳寺
2016年5月22日参詣
群馬県桐生市川内町5-1608 鎮座

別名、ぼたん寺、紅葉寺とも呼ばれて親しまれているそうです。
御朱印を頂いている方々には有名じゃないかと思います。私も兼ね兼ね行きたいと思っていていた場所です。

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宝徳寺は臨済宗大本山建長寺第73世仏印大光禅師を開山として、桐生地域の領主であった、桐生佐野正綱公の開基により室町時代の宝徳年間(1450年頃)に創建された禅寺です。
場所は桐生城(柄杓山城)の裏側に位置し、名久木の砦の入口を見渡す所にあります。これは城の裏口を護るための要害としてこの場所を選び建てられました。天正元年に桐生佐野家が太田の由良家に滅ぼされると、当山は保護者を失い荒廃してしまいました。しかし地域の人々の力により、再び隆盛となり江戸中期には当山17世の天渓和尚が大本山建長寺186代管長を務めました。
また明治初年には大間々第一分校(現桐生市立川内北小学校)が当山において開校されたそうです。

本堂の前は枯山水庭園
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達磨禅師が待ち受ける
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御朱印は、基本4種と季節の限定があるそうです。
私が参詣した時は基本のみでした。 それと1人1日1種類のみ受け付けだそうです。

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達磨禅師の御朱印(志納料¥500)


posted by かめ忍者 at 22:08| 栃木 ☁| Comment(0) | 卍群馬の寺院 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月11日

ぶんぶく茶釜 茂林寺(群馬県)

2015年10月10日奉拝
群馬県館林市堀工町1570 鎮座

青龍山茂林寺。分福茶釜の寺として知られる当山は、 応永三十三年(1426年)、大林正通大和尚によって開山された曹洞宗寺院
総門から境内に入ると山門まで21体のタヌキの像がズラッとが並んでいます。一番大きなタヌキの像は東武鉄道が寄贈したものです。
拝観料を納めて本堂に上がれば一室に茶釜が安置されていますけれど、そもそも茶釜が狸の化身であるとか、はたまた半化けの茶釜狸が綱渡りの芸をするとか、その辺りのことは明治になって巌谷小波が仕立てた童話でのお話ということであるようです。
寺の伝承はそれとしても、面白おかしく仕立てた話が有名になったことにむしろ便乗しているのか、境内の隅には巌谷小波の碑が建てられておりました。
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posted by かめ忍者 at 07:11| 栃木 ☔| Comment(0) | 卍群馬の寺院 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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