2016年07月11日

成田山 新勝寺 (平和の大塔)

成田山 金剛王院 新勝寺
2016年2月6日参詣
千葉県成田市成田1番地 鎮座

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1984(昭和59)年に建立された平和の大塔は、真言密教の教えを象徴する塔です。総高は58mで、1階は大塔入口、成田山の歴史展、写経道場各種受付があります。2階の明王殿には、大塔の御本尊不動明王、四大明王、昭和大曼荼羅、真言祖師行状図が奉安され、3・4階の経・法蔵殿には、ご信徒による掛仏、5階の金剛殿には五智如来が奉安されています。

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2016年07月10日

成田山(薬師堂)歌舞伎役者市川団十郎代々の屋号発祥の地

成田山 金剛王院 新勝寺
2016年2月6日参詣
千葉県成田市成田1番地 鎮座
(薬師堂・千葉県成田市上町562 鎮座)

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薬師堂は、明暦元年(1655年)に成田山本堂として、現在の大本堂のある場所に建立されました。
現在、薬師堂は成田山境内になく、飛び地にある為 参拝者が少ない為か?2014年3月より閉扉されていいます。
平和の大塔横に開基1080年の記念事業として 薬師殿(仮称)を建立中で、現在平和の大塔に仮安置されている 薬師如来や十二神将が奉安されるものと思われます。
(薬師如来、御朱印は平和の大塔にて頂きました)

時代劇でお馴染みの「水戸黄門」で知られる水戸光圀が参詣し、初代市川團十郎が子宝祈願をした由緒ある御堂です。

初代團十郎は、歌舞伎の舞台に「暫」や「鳴神」に代表される荒事を取り入れ、その舞台は大変な人気となりました。
しかし、跡継ぎになかなか恵まれませんでした。
初代團十郎の父親が、成田市の幡谷出身であり、父祖以来信仰している成田山の当時の本堂である薬師堂で一心に子授けを祈願します。
すると見事、待望の長男を授かったのです。

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薬師堂は、この時初代團十郎が二代目誕生を祈願した道場であり、初代の子である九蔵が初舞台『不動』を踏んだ後に御礼詣りした、成田屋の不動信仰に縁の深い御堂なのです。

初代團十郎は、お不動様への祈願が成就して長男を授かったことに感謝を表した「兵根元曽我(つわものこんげんそが)」を親子で共演し、この舞台が大当たりします。
この親子共演を機に市川家は、「成田屋」の屋号を使うようになったのです。

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2016年07月09日

成田山 新勝寺 (光明堂)

成田山 金剛王院 新勝寺
2016年2月6日参詣
千葉県成田市成田1番地 鎮座

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光明堂は元禄十四年(1701年)に当時の本堂として建立されたもので、別名「元禄の本堂」と呼ばれ、大本堂の裏手の小高い場所に額堂や開山堂、清瀧権現堂などとともに建っています。

成田山の本堂の歴史は建立と移転の歴史です。
成田山新勝寺は、朱雀天皇から平将門の乱を平定せよとの勅命を受けた寛朝大僧正が、護摩祈祷の法でこれを平定した天慶三年(940年)の開山ですが、その後長く忘れられたお寺でした。
幾度かの変遷を経て現在の地に遷座した後に、建立された本堂としては、現存する最古のものが明暦元年(1655年)に建立された現在の「薬師堂」です。
その後江戸深川での出開帳を成功させて成田山を有名にした、名僧照範上人によって建て替えられた本堂が、この光明堂です。
約一世紀半の間にさらに参詣客が増え、手狭になったこの本堂は、安政五年(1858年)に建て替えることとなり、現在の場所に移転となりました。
新しく建立された本堂は、昭和42年に現在の大本堂が建立されるまでの110年間、本堂としての務めを果たし、移転して「釈迦堂」となりました。
「釈迦堂」が「安政の本堂」、「光明堂」が「元禄の本堂」、「薬師堂」が「明暦の本堂」と呼ばれるのは、こうした歴史があるからです。

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2016年07月07日

成田山 新勝寺 (釈迦堂)

成田山 金剛王院 新勝寺
2016年2月6日参詣
千葉県成田市成田1番地 鎮座

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1858(安政5)年に建立された重要文化財です。かつての本堂であり、大本堂の建立にあたって1964(昭和39)年に現在の場所に移されました。仏教を開いた釈迦如来や、普賢、文殊、弥勒、千手観音の四菩薩が奉安されています。周囲には、五百羅漢や二十四孝の彫刻がほどこされ、江戸時代後期の特色をよく残している総欅づくりの御堂です。厄除お祓いの祈祷所です。

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2016年07月06日

成田山 新勝寺 (出世稲荷)

成田山 金剛王院 新勝寺
2016年2月6日参詣
千葉県成田市成田1番地 鎮座

出世稲荷は、釈迦堂前の小高い丘の上に位置します。
総門を通り大本堂を正面に左手に進み、正面の長い階段を登ると、左手に出世稲荷があります。

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鳥居の脇にある売店では、おばあちゃん達が油揚げと蝋燭やお狐様のお人形を売っています。
お狐様の好物の油揚げと蝋燭を捧げるとご利益が得られる。と言われており、蝋燭は灯明した後に、
お持ち帰りになって、ご自宅で灯明してご利益をいただくこともできます。

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出世稲荷の御本尊は、江戸時代に成田山を篤く信仰した佐倉藩主・稲葉丹後守によって寄進された御尊像です。「出世開運稲荷」と称されて、商売繁昌・開運成就・火伏せのご利益があると伝えられています。
お堂の正面に施された彫刻には、天女の姿が。出世稲荷の本地仏。荼枳尼天(だきにてん)です。

神仏習合思想において、仏教における荼枳尼天(だきにてん)が本地仏として仏教寺院で祀らており、
成田山の出世稲荷もそのひとつです。

荼枳尼天とは、サンスクリット語で空を歩く者という「ダーキニー」で、元々は古代インドの農業の神様でした。

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インドの神話においては、人を食らう恐ろしい神様でしたが、仏教界で大日如来の霊力に心服し、白狐に跨がり豊作をもたらす善神となったと言われています。

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2016年07月05日

成田山 新勝寺 (大本堂)

成田山 金剛王院 新勝寺
2016年2月6日参詣
千葉県成田市成田1番地 鎮座

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新勝寺は成田のお不動様として親しまれ、歌舞伎の成田屋・市川團十郎丈、海老蔵丈など多くの人々が江戸の昔から参詣する霊場です。。寛朝大僧正が天慶3年(940年)に開山した真言宗智山派の大本山です。本尊の不動明王は、平安時代、嶬峨天皇の勅願により弘法大師が一刀三礼、敬慮な祈りを込めて彫り開眼しました。朝夕に天下泰平・五穀豊穣・万民豊楽の護摩法を修せられた霊験あらたかなご尊像です。

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朱雀天皇の天慶2年(939年)、平将門の乱平定の為、寛朝大僧正によって当地に還座、成田山が開山されました。

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大本堂
1968(昭和43)年建立。大本堂は最も重要な御護摩祈祷を行う中心道場。
堂内の御本尊不動明王は、向かって右に矜羯羅童子、左に制咤迦童子を従えています。また、四大明王や平成大曼荼羅などが奉安されています。


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