2017年08月16日

庚申山 猿田彦神社(栃木県日光市足尾)

猿田彦(さるたひこ)神社
2017年(平成29年)6月17日参詣
栃木県日光市足尾町5497 鎮座

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説明板
「当社は、明治23年(1890)に小滝坑の山神社として坑夫により建立されたが、昭和町29年小滝坑廃止のさい、奉祀する三神を本山山神社に合祀した後、猿田彦神社の遥拝殿となった。
本社は勝道上人が難行苦行の末、庚申山奥の院に神霊を祀ったときに起り、今は三尊像を祀る庚申山荘内小祠が本殿である。」

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「足尾温泉 かめむら旅館」が目印になります。

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庚申山の中腹に鎮座しています。
国道122号線から庚申山方面に向かって行くのですが、道が狭く本当にあるのか不安になります。
最寄り駅は、わたらせ渓谷鉄道「原向駅」になりまが、徒歩は無理かと思います。

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立て看板通りに神社に行くには、庚申川を渡ります。

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山の中の温泉宿、かめむら旅館別館の裏手より進みます
足尾の松原にある別館で民家のような佇まい。客室は6部屋だそうです

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神社らしき雰囲気がないので案内の矢印があると安心します

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のぼり旗が見えてホッ

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手水舎

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鳥居

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更に参道を進みます

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狛犬

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拝殿

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拝殿内

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本殿かと思いましたが拝殿の凸部かと

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目を斜め上方に向けると本殿らしき社殿が

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本殿

日光山を開山した勝道上人が庚申山上の巌窟に小祠を作り、「庚申ノ大神」として天津祖庚申猿田彦大神、地津主甲子大己貴大神、人津霊己巳小彦名大神、の三神を奉祀したのが始まりだそうです。
神道では庚申の神を猿田彦神としています。(庚申の「申」が、「猿」と結びつけられたものです)


残念ながら昭和21年、神社の旧本殿である百畳敷のお籠は野火により焼失してしまいましたが
現在は里宮遙拝殿だった銀山平に庚申山猿田彦神社として神事、社務事を執り行っているそうです

ここはまた、滝沢馬琴の小説「南総里見八犬伝」中庚申山怪猫退治の章で奇岩怪石、霊域の神秘を広く紹介される。


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銀山平公園に隣接しています
キャンプ場、バンガローもありますので宿泊も可

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足尾銅山の銀山平の案内板
明治24年(1891年)に、この地で銀が採掘されたのが名前の由来。
また、東洋一の大製材所を開設。足尾銅山の用材基地として最盛期には200人程が従事し、140戸の社宅を有したとある。

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社務所にて御朱印を頂きました

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御朱印(初穂料は¥500)



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2017年08月14日

足尾 磐裂神社(栃木県日光市足尾)

磐裂神社(いわさくじんじゃ)
2017年(平成29年)6月17日参詣
栃木県日光市足尾町遠下3-1 鎮座

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社号標

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一の鳥居

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山岳信仰の対象だった庚申山の登山口もこの鳥居だったそうです。「庚申山表口」と彫られた石碑もありました。

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二の鳥居の直前に踏切、わたらせ渓谷鉄道の踏切です

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手水舎

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説明板
「足尾5氏」と言われる一族14人が日光から移住してきた時、妙見宮の分身を拝受し、大同3年(808)に足尾郷14ケ村の鎮守と定めた。文化・文政の頃庚申山信仰が盛んになり登拝口として講中寄進の庚申山碑や一丁目(いっちょうめ)標が建てられた。神社は大正3年(1914)現在地に移った。境内に栃木県名木百選の大桧(神木)がある。
日光市


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拝殿近くの狛犬

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拝殿

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扁額

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本殿

磐裂神社は、足尾地区の鎮守
この社は勝道上人が磐裂神の加護により日光の開山を完遂出来た事を報謝し、大同4年(809年)に創建したと伝わる日光山最古の社で、星の宮とも称し、奈良・平安・鎌倉・室町の各時代には修験者の霊場の一つとして、又戦国時代には武将の篤い崇敬を受けて栄えた。 (神社由緒より)

上古の時代、足尾総鎮守妙見天童と称しのちに妙見大菩薩といい、その後妙見宮と称した。
別当寺に妙見山竜福寺があったが、足尾銅山の衰微と共に廃寺となった。
秩父の妙見・相馬の妙見・足尾の妙見を指して関東三妙見と称したという。
1878(明治11)年古河市兵衛が足尾銅山を再会した際に、磐裂神社と改称された。


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御朱印は庚申山中腹にある猿田彦神社にて

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2017年04月15日

国宝 陽明門 平成の大修理完成記念御朱印(日光東照宮)

2017年(平成29年)4月15日 参詣
栃木県日光市山内2301

今回の目玉は、平成の大修理を終えた「陽明門」2013年7月から始まった約4年にも及ぶ保存修理工事がこの3月で終わり、ピッカピカに生まれ変わった姿がお披露目されています。

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社号標

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拝観料は1,300円。結構しますが、これだけで三猿を横目に陽明門をくぐり東照宮から眠り猫の下を通り奥宮、本地堂(鳴き龍)まで全ての拝観が含まれています。

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おお〜遠目に陽明門が現れました!

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鳥居越しに陽明門

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今回の修繕では、漆の塗りなおしとメッキ表面仕上げの再生、および木材の腐朽箇所の補修が主に実施されたとの事です。

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門の両側に構える随身像
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真っ白な装飾もとても綺麗です。「胡粉塗り」と呼ばれる手法で塗装されていて、貝殻などから作られる炭酸カルシウムを多く含む顔料が使われているそうです。

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門の中、龍の装飾も色鮮やかです

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裏面にいる狛犬

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「平成の大修理」といわれる今回の日光東照宮の修理は、江戸時代から数えて21回目という。約12億円をかけて2013年6月から始まった。当初6年とされた工期を、日光市の観光への影響を考慮して4年に短縮。塗り直しと木部の取り換えなどを行った。特に古来の方法で当時のままの姿を残すという方針を貫き、材料の漆を国産漆にしたという。

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授与所にて御朱印を頂くのだが、結構な行列でした。

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陽明門 平成の大修理完成記念した紅いの御朱印帳が頒布

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御朱印を依頼するとステッカーも一緒に頂けました

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御朱印
「国宝 陽明門 平成の大修理完成記念」の印が押されています



前回2016年011月6日の日光東照宮「御鎮座400年」


前々回2015年06月15日の日光東照宮「400年式年大祭」


2014年09月20日の日光東照宮



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2016年12月15日

薬師堂 鳴龍(日光開山1250年限定印)

2016年11月6日奉拝
栃木県日光市山内2301
日光東照宮内の薬師堂(本地堂)

前回の参拝は薬師堂 鳴龍(日光)(2015.6.15奉拝)
となります。管理団体の説明は前回参拝参照ください

本尊が薬師瑠璃光如来(薬師如来)であることから「薬師堂」、家康公が薬師如来の生まれ変わりといわれ、本来の仏(本地)を祀ったことから「本地堂」とも呼ばれています。


この薬師堂の縦6m、横15mの巨大なヒノキの天井には、狩野派の「狩野永真安信(かのう やすのぶ)」によって描かれた8mの龍の水墨画がありました。

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※内陣天井に描かれている「鳴龍」、撮影禁止のため参考写真です。

龍の頭の下で手を打つと、天井と床が共鳴して鈴のような鳴き声に聞こえるため「鳴龍」と呼ばれています。
もとの絵は江戸城、二条城、名古屋城などの障壁画を手掛けた狩野探幽の弟、狩野永真安信(かのうえいしんやすのぶ)の筆でしたが、昭和36年の火災により堂とともに焼失したため、昭和43年、堅山南風(かたやまなんぷう)画伯により復元されました。

昔は参拝客が手を打っていましたが(私が小学校の時はそうでした)、現在は撮影禁止で手も鳴らせないようです。 解説者のお坊さんが拍子木をカンカンと叩くと天井の龍がビョビョビョーン≠ニ鳴きます。

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御朱印は輪王寺の方が書いています
ピンボケ写真・・・
おっと撮影禁止です。失礼致しました<(_ _)>

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昔の御朱印は輪王寺と書いていたようですが現在は日光山のみの記載で、そこに日光開山記念印が押されています。

posted by かめ忍者 at 04:00| 栃木 ☀| Comment(0) | 栃木の神社・寺院(日光地域) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月10日

日光東照宮「御鎮座400年」 限定御朱印・御朱印帳

2016年11月6日
栃木県日光市山内2301

前回の参拝は日光東照宮(2015.6.15奉拝)
徳川家康は1616年に死去し昨年、400年回忌にて、世界遺産の日光東照宮では、「400年式年大祭」が行われました。
2016年は日光東照宮が創建され、徳川家康公がこの地に祀られて400年目の節目年!
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駐車場から参道への階段、通路には「御鎮座400年」のぼり旗

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社号標

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紅葉シーズンなので参道には参拝、観光客でいっぱい

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一の鳥居と五重塔

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神厩舎には猿の彫刻、見ざる🙈・云わざる🙊・聞かざる🙉

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二の鳥居の奥には改修工事中の陽明門
この陽明門をくぐる所から拝観料1300円が必要

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平成二十五年(2013年)より、平成三十年(2018年)まで「平成の修理」が行われている

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陽明門の内部からの写真

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唐門

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拝殿も改修工事中

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眠り猫
伝説的な彫刻職人・左甚五郎の作と言われる。

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「眠り猫」が彫刻されている坂下門を潜ると、長い長い階段を上り 奥宮拝殿がやっと見えた

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奥宮宝塔に家康が改葬されたと言われているので、家康のお墓と言う事
日光東照宮、久能山東照宮、増上寺、寛永寺など※の徳川家の石碑というか お墓は、釣鐘のような鉄の籠の格好をしています。この形は、比叡山や高野山にもみられませし、他でも見たことはありません。  天海上人独自の創作と思われます。丁度「かごめ、かごめ・・・・」の歌のようです。
※寛永寺に6人、増上寺に6人の将軍たちが眠っています。
(家康は日光東照宮、家光は日光輪王寺、慶喜は谷中霊園で足して15人)


日光東照宮は、元和(げんな)3年(1617年)徳川初代将軍徳川家康公がまつられた神社です。
家康公は、元和2年4月17日駿府城(静岡県静岡市)で75歳の生涯を終えられ、直ちに久能山に神葬されました。そして御遺言により、一年後の元和3年4月15日、久能山より現在の地に移されおまつりされました。
正遷宮は、同年4月17日二代将軍秀忠公をはじめ公武参列のもと厳粛に行われ、ここに東照社として鎮座しました。その後 正保(しょうほ)2年(1645年)宮号を賜り、東照宮と呼ばれるようになりました。

尚、現在のおもな社殿群は、三代将軍家光公によって、寛永13年(1636年)に造替されたものです。

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祈祷受付所(御朱印授与所)

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御鎮座四百年の記念御朱印帳(価格1800円)
平成28年(2016年)のみ限定で頒布しているもの

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右下に『御鎮座400年』の記念印が追加されています。

posted by かめ忍者 at 10:39| 栃木 ☁| Comment(0) | 栃木の神社・寺院(日光地域) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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