2017年(平成29年)1月3日参詣
栃木県矢板市木幡1194-1 鎮座

社号標

大鳥居

境内の西側にも笠木のない冠木門形式の鳥居(柱の上に屋根が付いています)
大鳥居の前に一の鳥居(撮影してこなかった(;゚Д゚)エエー)があり これと同型です。

大鳥居をくぐり階段を上り楼門へ

手水舎

鉄灯篭
元和3年(1617)、土佐藩2代藩主山内忠義が徳川家康の一周忌に日光東照宮に寄進したもので何らかの経緯で木幡神社に移されています。

拝殿前には茅の輪

阿の子持ちの狛犬(昭和14年に奉献)
源頼朝が、ここ木幡神社で愛犬の無事を祈ったところ、たちまち元気になったらしいです。
犬神様としても信仰があるとか

吽の毬を持った狛犬

拝殿

拝殿内

本殿
木幡神社の創建は延暦年間(782〜806年)坂上田村麻呂が東夷東征の折、戦勝祈願をし見事念願成就した事から神意に感謝し許波多神社(京都府宇治市・祭神:天忍穂耳命)の分霊を勧請したことが始まりと伝えられています。
当初は峯村の地に鎮座していましたが大同2年(807)に現在地に遷座し田村麻呂縁の赤鶴の面が奉納されています。
天慶3年(940)、藤原秀郷が平将門の乱(承平天慶の乱)の際、当社で戦勝祈願をし将門を討ち取ると社領1000石が寄進され、永承6年(1051)には源頼義、義家父子が前九年合戦の戦勝祈願を行い宿願である安部貞任を討ち取っています。
文治2年(1186)、当時の領主塩谷惟頼が平家追討の戦勝祈願し念願が達成すると、領内の総鎮守と定め代々の崇敬社としました。又、建久4年(1193)、源頼朝が那須野の原で狩をしていた際、愛犬が狂犬病になった為、病気快癒の祈願を行うと忽ち平癒し以後病犬除けの御利益があるとして信仰されました。
文禄4年(1595)当時の当主塩谷義綱が改易になると、庇護者を失い衰退しましたが江戸時代に入ると幕府が庇護し社領200石が安堵され日光二荒山神社を相殿するなど日光東照宮とも関係を深くしています。
明治3年(1870)に郷社に列し、明治40年(1907)に神饌弊社帛料供進神社に指定されています。現在の本殿は室町時代中期に造営された建物で三間社流造、銅板葺、楼門(随神門・神社山門)も室町時代中期の建築で、一間一戸、入母屋、銅板葺き(旧茅葺)、四脚楼門で共に室町時代の建築の特色が見られるものとして昭和25年(1950)に国指定重要文化財に指定されています。

社務所

御朱印
posted by かめ忍者 at 22:45| 栃木 ☀|
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