2018年05月25日

薬師寺八幡宮 プチリニューアルした御朱印(栃木県下野市)

薬師寺八幡宮(やくしじはちまんぐう)
2018年(平成30年)2月11日参詣
栃木県下野市薬師寺1509 鎮座

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鳥居、社号標

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灯篭が並ぶ長い参道

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拝殿


主祭神
誉田別命(ホンダワケノミコト)
玉依比売命(タマヨリヒメノミコト)
息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト)を祀ります。


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御朱印は参道途中にある社務所で拝受

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プチリニューアルした御朱印

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印が見やすいように拡大


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こちらが今までの印



前回の参拝は
2017年1月22日の時です。



仁良川 愛宕神社の御朱印授受でも参拝
2016年3月12日の時です。



最初の参拝は
2014年10月13日の時です。




下野市は2006年度の町村合併によって「河内郡南河内町」「下都賀郡国分寺町」「下都賀郡石橋町」が一緒になってできた市です。

posted by かめ忍者 at 22:02| 栃木 ☀| Comment(0) | 栃木の神社・寺院(南西) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月17日

足利高福寺(栃木県足利市)

祥林山 高福寺
2017年(平成29年)11月25日参詣
栃木県足利市家富町2523 鎮座

祥林山高福寺は、足利市役所の南にあります。
境内前の道路沿いに駐車場がありますが、この付近は一方通行が多く注意が必要です。

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山門

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手水舎

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本堂

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扁額

由緒書きより
中世より古庵として在ったものを、万治二年(1659)に牛堂和尚が玄修和尚を勧請し、曹洞宗として開創
本尊は阿弥陀如来
現在の本堂と庫裡は天明二年(1782)当寺第10世道富和尚の代に、山門は第11世鉄巌和尚の代に、書院は昭和49年(1974)第17世哲應和尚の代に建立。
本堂の右手に六地蔵、思惟菩薩、蓮華手菩薩などの石仏と地蔵堂閻魔堂)在り
故武井哲應和尚の元で大勢が座禅。師の遷化後も座禅会は継承され現在に至る。


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御朱印

posted by かめ忍者 at 20:59| 栃木 ☀| Comment(0) | 栃木の神社・寺院(南西) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月11日

利性院 閻魔堂(栃木県足利市)

瑠璃山 醫王寺 利性院(るりざん いおうじ りしょういん)
2017年(平成29年)11月25日参詣
栃木県足利市井草町2388 鎮座

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閻魔堂入口

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閻魔堂

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由緒(案内板より)
利性院(閻魔堂)は、瑠璃山醫王寺と号し、本尊は薬師如来で巴町にある法玄寺の末寺です。
現在は、高さ約2メートルの閻魔大王像が正面に奉られ、井草の閻魔様と親しまれています。
毎年1月十六日八月十六日は大祭が行われ、「交通安全」や「学業成就」などにご利益があり、近隣の信仰の厚い方々で賑わっています。
当お寺は、幾度かの火災で記録が焼失してしまい、詳しいことは分かっていませんが、古老の言い伝えや僅かな資料によりますと明暦年間(1655〜1657)勘礜善察和尚の創建と伝えられ明治二十五年二月の近隣の大火においては堂宇が焼失したにもかかわらず信徒の方々の機転により閻魔様の頭部のみが救われたと言い伝えられています。

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閻魔大王
中国の道教の神で地蔵菩薩の化身とも言われ、地獄に堕ちた方でも、地蔵菩薩が救い出すと云う信仰です。


地獄の釜の蓋も開くという藪入の日(奉公していた丁稚や女中など奉公人が実家へと帰ることのできた休日)は、地獄で閻魔大王が亡者を責めさいなむことをやめる賽日でもあり、利性院では『閻魔大王大祭』が行なわれています。
もともとの風習では、旧暦の正月16日と7月16日ですが、利性院では1月16日、7月16日に『閻魔大王大祭』を実施。

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閻魔堂となりの篠崎印刷さんに声がけをすると、堂内に上がり拝観することが出来て、御朱印もいただけます

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御朱印を書いていただいてる最中

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篠崎印刷のご主人様です。「いろいろ、ありがとうございました」

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御朱印

posted by かめ忍者 at 10:31| 栃木 ☁| Comment(0) | 栃木の神社・寺院(南西) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月10日

大祥山 長林寺(栃木県足利市西宮町)

大祥山 長林寺(ちょうりんじ)
2017年(平成29年)11月25日参詣
栃木県足利市西宮町2884 鎮座

去年11月の「足利の文化財一斉公開」(クリック)
に参拝しました

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境内入口、寺号標

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山門

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仏足石

「足利の文化財一斉公開」期間中だったのでガイドの方々がいました、私たちには可愛い小学生が一生懸命に案内してくれました「ありがとう!」

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本堂
宗旨宗派 曹洞宗
本尊 聖観世音菩薩

足利長尾氏の菩提寺で約500年の歴史を誇る古刹です。
現在の本堂は昭和4年に建てたもので、当時としては珍しい鉄筋コンクリート造り

由緒(案内板より)
当寺は、室町時代の文安五年(1448)足利長尾氏の初代景人の創建になるもので、大見禅竜禅師が開山し長雲寺と称しました。
のちの享徳二年(1453)竜沢山長林寺と現在の名に改めました。
長尾氏代々の菩提寺としてその帰依が厚く、寺門興隆が伝えられる
由緒ある寺で、長尾氏関係、その他貴重な文化財が数多く保存されております。また明治時代には田崎早雲との関係深く作品も残されています。
墓域には長尾氏歴代墓所や、田崎早雲の墓碑もみられます。


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扁額

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本堂内の天井
当時はお寺のイメージを打ち破った近代建築だったでしょうね
設計者(小林福太郎)の意欲が覗えるすばらしい本堂でした。
ちなみに織姫神社も同氏の設計

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福禄寿を祀るお堂

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庫裡にて御朱印をいただきました

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御朱印

足利七福神の福禄寿御朱印もいただけますが、今回はご本尊のみにしました



posted by かめ忍者 at 08:57| 栃木 ☁| Comment(0) | 栃木の神社・寺院(南西) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月23日

樺崎八幡宮(栃木県足利市)

樺崎八幡宮(かばさきはちまんぐう)
2017年(平成29年)11月25日参詣
栃木県足利市樺崎町1261 鎮座

去年11月の「足利の文化財一斉公開」(クリック)
に参拝しました

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社号標

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一の鳥居

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二の鳥居

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手水舎

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拝殿

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拝殿

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本殿
祭神:誉田別命 源義兼公(足利義兼公)

案内板による由緒。
「樺崎八幡宮は、正治元年(1199)、足利義兼の生入定※の地に八幡神を勧請し、義兼の霊を合祀したことに由来する。
本殿は、天和年間(1681〜1684)の再建といわれ、昭和六十三年度・平成元年度の保存修理で、本来の造りであった隅木入春日造(軒唐派風)に復元した。
この建物は意匠上においても種々の面で卓抜したものがあり、歴史的由来とあわせて価値の高い建造物である。
 (昭和六十一年九月二十四日 足利市指定)

※[生入定(いきにゅうじょう)]
密教の教義において、僧は死なず、生死の境を超え弥勒出世の時まで、衆生救済を目的として永遠の瞑想に入ると考えられている。僧が入定した後、その肉体は現身のまま即ち仏になるため、即身仏と呼ばれる。日本で最初に入定したのは空海で、空海は死んでおらず現在も高野山で入定しているというのが、空海が居住している高野山の公式見解である。

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文化財公開だったので本殿床下の足利義兼(ヨシカネ)が生入定したとされる場所
「足利義兼公御廟」とうっすら書かれた墓標がたっていました

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御朱印は、参道右側の社務所で頂けました。普段は非常駐です。

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御朱印

posted by かめ忍者 at 23:50| 栃木 ☀| Comment(0) | 栃木の神社・寺院(南西) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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