児栄山 実勝院 華蔵寺
2018年(平成30年)2月10日参詣
栃木県下野市下古山928-1 鎮座
前回2018年(平成30年)1月6日参拝以来です
平成30年から新たに頂けるようになった月詣限定御朱印の2月
そして、また新たに4つの御朱印が追加になりました
年頭に根本仏の四連御朱印が新しく追加されましたが
今月2月4日から、また新たに「猫神」「銭洗弁天」「遍照尊」「閻魔殿」が追加されました
本殿
猫神様
銭洗弁天
寺務所にて御朱印を頂ました
二月詣
猫神
銭洗弁天
遍照尊
閻魔殿
2018年02月11日
2018年01月08日
下野大師 華蔵寺(栃木県下野市)根本仏四連朱印が新追加!猫神様等は2/4から
2018年(平成30年)参拝した下野大師の御朱印紹介
平成30年より新たにいただけるようになった御朱印だそうです
根本仏の四連御朱印
こちらも平成30年から新たに頂けるようになった月詣限定御朱印
各月の御朱印を全て授受すると粗品がいただけるそうです
猫神様、閻魔殿、弁天、遍照尊の御朱印は2/4から、頂く事が出来るそうです
正月詣
大日如来
不動明王
聖天
瑠璃光
2018年01月07日
下野大師 華蔵寺(栃木県下野市)正月詣
児栄山 実勝院 華蔵寺
2018年(平成30年)1月6日参詣
栃木県下野市下古山928-1 鎮座
南参道入口
境内東側の道路沿いに、大きな招き猫
山門
右手にお堂が並んでいます
聖天堂
薬師堂
本堂
宗旨宗派 真言宗智山派
本尊 大日如来
扁額
由緒については、弘安五年(1282年)に創建され、建武元年(1334年)児山城主の総祈願所になったといわれます。
庫裡に、何匹か猫が、「にゃんにゃん堂」だそうです。
にゃんにゃん堂の猫
よくテレビ取材を受けるようで境内に写真が掲示されていました
寺務所にて御朱印を頂ました
御朱印の紹介は・・・to be continued
2018年(平成30年)1月6日参詣
栃木県下野市下古山928-1 鎮座
南参道入口
境内東側の道路沿いに、大きな招き猫
山門
右手にお堂が並んでいます
聖天堂
薬師堂
本堂
宗旨宗派 真言宗智山派
本尊 大日如来
扁額
由緒については、弘安五年(1282年)に創建され、建武元年(1334年)児山城主の総祈願所になったといわれます。
庫裡に、何匹か猫が、「にゃんにゃん堂」だそうです。
にゃんにゃん堂の猫
よくテレビ取材を受けるようで境内に写真が掲示されていました
寺務所にて御朱印を頂ました
御朱印の紹介は・・・to be continued
2017年09月28日
天狗の御朱印で有名な古峯神社(栃木県鹿沼市)3度目の参拝
古峯神社(ふるみねじんじゃ)
2017年(平成29年)7月24日参詣
栃木県鹿沼市草久3027 鎮座
まだ20q以上ある場所に早くも「古峯神社参道」という石碑
神社まで約6qの場所にある「一の大鳥居」です。高さ約25m、幅約34mの巨大さ
一の鳥居の石碑
古峯神社に到着しての最初の鳥居
社号標と鳥居
手水舎
境内には天狗の奉納碑
立派な鳥居が沢山
社殿へ登る階段の鳥居
堂々たる茅葺屋根の拝殿
扁額
社殿内への入口
入ると大きな廊下、拝殿、授与所に加えて宿坊にもつながります
休憩出来る畳敷きの部屋
無料のお茶の他に自販機も完備
拝殿内
拝殿脇の授与所
授受できる御朱印
どのタイプの天狗になるかは当日の書き手の出社状況によりますが、逆に言うと「今日頂けるのはどの御朱印ですか?」と聞くことはできます。
拝殿を過ぎ廊下の奥に御朱印を受ける授与所
本殿
当日工事をしていて門が開いていたので拝見できました
由緒は、
1300余年の昔、隼人というお方が京都からこの地に移り、尊(御祭神・日本武尊)の御威徳を慕いつつ、京都よりこの古峯ヶ原の淨地に遷座(創祀)申しあげたのが始まりといわれております。
その後、古峯ヶ原は、日光を開かれた勝道上人という僧侶の修行の場となり、上人は古峯の大神の御神威によって、古峯ヶ原深山巴の宿において3ヶ年の修行の後、天応2年(西暦782年)日光の男体山に初めて登頂し大日光開山の偉業を成しとげられました。
この縁起にもとづき、日光全山26院80坊の僧坊達は、勝道上人の修行にあやかって、年々古峯ヶ原(古峯神社を中心)に登山、深山巴の宿で祈願を込め修行する慣わしとなり、
その修行は明治維新に至るまで、千余年の永きに亘って行なわれました。
古峯神社はこのような古峯大神のご利益の顕著を以って全国稀にみる霊地として、火伏信仰、天狗信仰などに代表する諸人の敬虔な信仰を集め、久しきにわたってその御神威を保って参りました。
明治初年には太政官布告により、神仏分離が行なわれ、仏具一切を取り除き、純然たる古峯神社となり、現在にいたっております。
(古峯神社HPより引用)
御朱印(初穂料 500円)
古峯神社の過去の参拝記事
初回 古峯神社 2014年11月12日参拝を紹介しました。
そして
再訪時の古峯神社 2015年8月14日参拝も紹介
2017年(平成29年)7月24日参詣
栃木県鹿沼市草久3027 鎮座
まだ20q以上ある場所に早くも「古峯神社参道」という石碑
神社まで約6qの場所にある「一の大鳥居」です。高さ約25m、幅約34mの巨大さ
一の鳥居の石碑
古峯神社に到着しての最初の鳥居
社号標と鳥居
手水舎
境内には天狗の奉納碑
立派な鳥居が沢山
社殿へ登る階段の鳥居
堂々たる茅葺屋根の拝殿
扁額
社殿内への入口
入ると大きな廊下、拝殿、授与所に加えて宿坊にもつながります
休憩出来る畳敷きの部屋
無料のお茶の他に自販機も完備
拝殿内
拝殿脇の授与所
授受できる御朱印
どのタイプの天狗になるかは当日の書き手の出社状況によりますが、逆に言うと「今日頂けるのはどの御朱印ですか?」と聞くことはできます。
拝殿を過ぎ廊下の奥に御朱印を受ける授与所
本殿
当日工事をしていて門が開いていたので拝見できました
由緒は、
1300余年の昔、隼人というお方が京都からこの地に移り、尊(御祭神・日本武尊)の御威徳を慕いつつ、京都よりこの古峯ヶ原の淨地に遷座(創祀)申しあげたのが始まりといわれております。
その後、古峯ヶ原は、日光を開かれた勝道上人という僧侶の修行の場となり、上人は古峯の大神の御神威によって、古峯ヶ原深山巴の宿において3ヶ年の修行の後、天応2年(西暦782年)日光の男体山に初めて登頂し大日光開山の偉業を成しとげられました。
この縁起にもとづき、日光全山26院80坊の僧坊達は、勝道上人の修行にあやかって、年々古峯ヶ原(古峯神社を中心)に登山、深山巴の宿で祈願を込め修行する慣わしとなり、
その修行は明治維新に至るまで、千余年の永きに亘って行なわれました。
古峯神社はこのような古峯大神のご利益の顕著を以って全国稀にみる霊地として、火伏信仰、天狗信仰などに代表する諸人の敬虔な信仰を集め、久しきにわたってその御神威を保って参りました。
明治初年には太政官布告により、神仏分離が行なわれ、仏具一切を取り除き、純然たる古峯神社となり、現在にいたっております。
(古峯神社HPより引用)
御朱印(初穂料 500円)
古峯神社の過去の参拝記事
初回 古峯神社 2014年11月12日参拝を紹介しました。
そして
再訪時の古峯神社 2015年8月14日参拝も紹介
2017年09月07日
満福寺(栃木県栃木市)
教王山 遍照光院 満福密寺(通称・満福寺)
2017年(平成29年)7月15日参詣
栃木県栃木市旭町22-27 鎮座
寺号標
入口から正面に位置する「大師堂」、真言宗の開祖・弘法大師空海上人が祀られています
堂内の大提灯には「厄除け 開運大師」の太文字
満福寺の寺宝になる鬼気迫る形相をした「三鬼尊」(重要文化財)
観音堂
祀られている観音様は、元片柳村二杉明神の直ぐ東に有ったものを、明治五年に満福寺に移したものと言われ、古来より子安観音と称されています。昭和四年に仏堂を新設して入仏開帳をしています。この観音堂に掲げられた扁額の「無畏城」の文字は書家の中村不折の揮毫されたものです。
満福寺は平成二十三年、開創七百五十年に合わせて、新本堂(大毘廬遮那殿)が建立
扁額「大毘廬遮那殿」御朱印の文字にも
鎌倉時代の弘長2年(1262年)、薗部村の太平山麓に創建されたと言われ、天正年間、現在地に移された真言宗のお寺です。
開祖は京都醍醐寺の僧・朝海法印、天下泰平・万民平穏の祈願寺として、大平山山麓に修行堂を建立し、その後現在の地に移転
江戸時代になり、徳川家康が鷹狩りに訪れた際、休息・歓談した縁で朱印寺の称号を与えられました。
江戸時代の最盛期には十間四面(百坪)の大本堂をはじめ壮麗な諸堂伽藍を擁し、末寺十三ヶ寺を有する中本寺として威容を誇りました。
幕末の栃木大火(本陣火事)で全山消失し、復興再建中ですが往時の面影にはまだ至らないとのこと・・・
境内の墓地には、没後になって作品が高い評価を受けた、栃木市出身の孤高の日本画家・田中一村の供養碑と墓があります
御朱印(書置き)
2017年(平成29年)7月15日参詣
栃木県栃木市旭町22-27 鎮座
寺号標
入口から正面に位置する「大師堂」、真言宗の開祖・弘法大師空海上人が祀られています
堂内の大提灯には「厄除け 開運大師」の太文字
満福寺の寺宝になる鬼気迫る形相をした「三鬼尊」(重要文化財)
観音堂
祀られている観音様は、元片柳村二杉明神の直ぐ東に有ったものを、明治五年に満福寺に移したものと言われ、古来より子安観音と称されています。昭和四年に仏堂を新設して入仏開帳をしています。この観音堂に掲げられた扁額の「無畏城」の文字は書家の中村不折の揮毫されたものです。
満福寺は平成二十三年、開創七百五十年に合わせて、新本堂(大毘廬遮那殿)が建立
扁額「大毘廬遮那殿」御朱印の文字にも
鎌倉時代の弘長2年(1262年)、薗部村の太平山麓に創建されたと言われ、天正年間、現在地に移された真言宗のお寺です。
開祖は京都醍醐寺の僧・朝海法印、天下泰平・万民平穏の祈願寺として、大平山山麓に修行堂を建立し、その後現在の地に移転
江戸時代になり、徳川家康が鷹狩りに訪れた際、休息・歓談した縁で朱印寺の称号を与えられました。
江戸時代の最盛期には十間四面(百坪)の大本堂をはじめ壮麗な諸堂伽藍を擁し、末寺十三ヶ寺を有する中本寺として威容を誇りました。
幕末の栃木大火(本陣火事)で全山消失し、復興再建中ですが往時の面影にはまだ至らないとのこと・・・
境内の墓地には、没後になって作品が高い評価を受けた、栃木市出身の孤高の日本画家・田中一村の供養碑と墓があります
御朱印(書置き)
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