2016年6月19日参詣
栃木県佐野市葛生西1-10-36 鎮座
栃木県佐野市の旧葛生町にある八坂神社に参拝しました。
土御門天皇御宇建仁2年(1202年)の頃、悪疫流行し疫除五穀豊穣成就のため現佐野市牧町に一社を勧請し、牛頭天王を祀った。
(牛頭天王の説明)
暦応2年(1339年)夏大洪水によりて社殿・神鏡・神幣など漂流し、葛ヶ原山本の里(佐野市葛生西)に止まる。
石川某なる者これを拾い現在の地に一社を創建し神鏡・神幣を祀った。
明治5年神号を八坂神社に改称し、同10年7月21日葛生町外9宿村の郷社に定められる。
7月第3土曜日の夜に祇園祭が齋行され神輿1基の渡御・山車3台の巡行、前夜の宵祭に山車3台の巡行があり歩行者天国のなか繰り出される。
社号標
鳥居
御朱印は鳥居手前、宮司さん宅にて頂きました。
2016年11月02日
2016年08月03日
医王山 安国寺(下野市薬師寺)
2016年3月12日参詣
栃木県下野市薬師寺1737 鎮座
医王山安国寺は古代寺院・下野薬師寺の跡地に立ち、同寺の後継寺院としてその法灯を現在に伝えている。
下野薬師寺は平安時代の衰退したのち、鎌倉時代に中興された。
室町時代には幕府からの庇護を求め、足利尊氏・直義が全国に安国寺利生塔を建てるという意向を容れ、暦応2年(1339年)に「安国寺」と改名した。
しかしながら戦国時代に戦火で焼失する。
その後近世初頭に入り、旧伽藍内に再建されたのが当寺とされる。
栃木県下野市薬師寺1737 鎮座
医王山安国寺は古代寺院・下野薬師寺の跡地に立ち、同寺の後継寺院としてその法灯を現在に伝えている。
下野薬師寺は平安時代の衰退したのち、鎌倉時代に中興された。
室町時代には幕府からの庇護を求め、足利尊氏・直義が全国に安国寺利生塔を建てるという意向を容れ、暦応2年(1339年)に「安国寺」と改名した。
しかしながら戦国時代に戦火で焼失する。
その後近世初頭に入り、旧伽藍内に再建されたのが当寺とされる。
2016年08月02日
仁良川 愛宕神社(栃木県)
2016年07月22日
嘉多山 浅間神社(栃木県)
2016年2月21日参詣
栃木県佐野市嘉多山町1786 鎮座
弘長2年(1262年)創立。
天正18年(1590年)徳川家康が開府後、榊原正康、群馬館林に在城して、当社を崇拝して台命を奉じて社殿を改築したという。
それから寛永9年に松平忠次が修復し、承慶元年館林の城主松平乗寿がまた改築し、世々館林の鬼門除けとして崇敬したそうである。
明治五年(1872年)に一時官有地となりましたが、神社では縁故払い下げを受けました。
一方、神社所有地内に良質の石灰岩の埋蔵が発見され、地域発展の一助にと石灰工業関係会社に採掘権を委譲しました。
しかし、工場からの粉塵飛散が激しく、境内の立木が減少の一途をたどってしまったため、昭和四十三年(1968年)に氏子民一同の総意により移転を決議し、現在地へ遷座したとある。
栃木県佐野市嘉多山町1786 鎮座
弘長2年(1262年)創立。
天正18年(1590年)徳川家康が開府後、榊原正康、群馬館林に在城して、当社を崇拝して台命を奉じて社殿を改築したという。
それから寛永9年に松平忠次が修復し、承慶元年館林の城主松平乗寿がまた改築し、世々館林の鬼門除けとして崇敬したそうである。
明治五年(1872年)に一時官有地となりましたが、神社では縁故払い下げを受けました。
一方、神社所有地内に良質の石灰岩の埋蔵が発見され、地域発展の一助にと石灰工業関係会社に採掘権を委譲しました。
しかし、工場からの粉塵飛散が激しく、境内の立木が減少の一途をたどってしまったため、昭和四十三年(1968年)に氏子民一同の総意により移転を決議し、現在地へ遷座したとある。
2016年07月21日
足利ピンポン寺【徳蔵寺】(栃木県)
乾坤山 東曜光院 徳蔵寺(けんこんざん とうようこういん とくぞうじ)
2016年2月21日参詣
栃木県足利市猿田町9-3 鎮座
創建は不詳ですが平安時代末期、巡錫で当地を乙ずれた大徳竜海大阿闍梨が草庵を設けたのが始まりと伝えられています。
地域の人々が、境内で楽しくピンポンをすることから「ピンポン寺」の別称があり広く信仰されています。
五百羅漢尊が特に有名で、日本三大五百羅漢尊の1つとなっています。(栃木県有形文化財指定)ピラミッド状に高く盛られた台座の四面それぞれに十段を設け、羅漢の小座像が整然と並ぶ姿は圧巻。
堂前に小窓付きのシャッターを設置。堂内にはLED照明を導入し、空調にも細心の注意を払うなど後世に伝えるべく様々な措置が取られている。事前に連絡を入れれば、可能な限り住職さん自らが詳しく説明してくれるとのことです。
御朱印に カタカナが書かれているのは珍しいのではないでしょうか
2016年2月21日参詣
栃木県足利市猿田町9-3 鎮座
創建は不詳ですが平安時代末期、巡錫で当地を乙ずれた大徳竜海大阿闍梨が草庵を設けたのが始まりと伝えられています。
地域の人々が、境内で楽しくピンポンをすることから「ピンポン寺」の別称があり広く信仰されています。
五百羅漢尊が特に有名で、日本三大五百羅漢尊の1つとなっています。(栃木県有形文化財指定)ピラミッド状に高く盛られた台座の四面それぞれに十段を設け、羅漢の小座像が整然と並ぶ姿は圧巻。
堂前に小窓付きのシャッターを設置。堂内にはLED照明を導入し、空調にも細心の注意を払うなど後世に伝えるべく様々な措置が取られている。事前に連絡を入れれば、可能な限り住職さん自らが詳しく説明してくれるとのことです。
御朱印に カタカナが書かれているのは珍しいのではないでしょうか
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