2017年04月07日

安房國一之宮 安房神社(千葉県館山市)

安房(あわ)神社
2017年(平成29年)3月6日 参詣
千葉県館山市大神宮589 鎮座

安房国の一宮で延喜式名神大社
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社号標

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一の鳥居

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二の鳥居

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手水舎

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説明板(由緒)
由緒
房総半島の南端神戸郷に鎮り坐す旧官幣大社安房神社は、天太玉命を主祭神に天比理刀唐配祀として奉斎し、摂社下の宮には天富命を祀る。
延喜の制には大社に列せられ、名神祭に預る安房国唯一の由緒深き名社である。
本社の祭神天太玉命は中臣氏の祖神天児屋根命と相並んで天照皇大神の側近に奉仕し祭祀を司どられた重要な神に坐します。
天照皇大神が天石窟に御幽居あらせられた時には、天太玉命は天児屋根命と共に大神の出御を祷り遂に再び大御神の天日の如き御威徳を仰ぎ奉られたのである。
安房開拓の神として当社の下の宮に祀らるる天富命は、天太玉命の御孫にあたらせられる。天富命は四国の阿波国忌部族の一部を割いて関東地方に大移動を起し、最初に占拠されたのが房総半島の南端、即ち現在の安房神社の鎮座地であって茲に本拠を定めて祖神天太玉命の社を立てた後、次第に内地の方に進みこの半島に麻穀を繁殖しその産業地域を拡められたのである。
安房神社の御祭神は日本産業の総祖神として崇められ更に現在では家内安全、交通安全守護神、厄除開運等、関東地方随一の神社として信仰が厚い。


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拝殿

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扁額

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本殿(上の宮)
主祭神
天太玉命 (アメノフトダマノミコト) 日本の全ての産業創始の神。

下の宮には天太玉命の孫神である天富命(あめのとみのみこと)と兄弟神である天忍日命(あめのおしひのみこと)が祀られています。


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本殿 横から


安房神社の創始は、神武天皇が初代の天皇として御即位になられた皇紀元年(西暦紀元前660年)と伝えられております。神武天皇の御命令を受けられた天富命(下の宮御祭神)は、肥沃な土地を求められ、最初は阿波国(現徳島県)に上陸、そこに麻や穀(カジ=紙などの原料)を植えられ、開拓を進められました。

その後、天富命御一行は更に肥沃な土地を求めて、阿波国に住む忌部氏の一部を引き連れて海路黒潮に乗り、房総半島南端に上陸され、ここにも麻や穀を植えられました。  この時、天富命は上陸地である布良浜の男神山・女神山という二つの山に、御自身の御先祖にあたる天太玉命と天比理刀当スをお祭りされており、これが現在の安房神社の起源となります。



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御神水
後ろの吾谷山(あづちやま)から湧き出ているそうです。お水取りをするには受付で申込が必要とのことです。

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授与所

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オリジナル御朱印帳

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御朱印
匠総祖神の朱印が押されています。

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2017年04月04日

ふさのくに神社御朱印めぐり 御朱印帳

千葉県
ふさのくに神社御朱印めぐり

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最初の神社で御朱印帳(200円)を購入して願い事を書き、各神社をめぐって御朱印(300円)を受けます。参拝順序は各人自由で、安房、上総、下総の各々の国の御朱印を全て集めると「満願」、県内37社すべてを集めると「大満願」となり達成した神社に特製絵馬を奉納できます。なお達成期限はありません。
【開催期限】:達成期限はありません
【開催場所】:県内各所37の神社
【料  金】:御朱印帳代 200円
      :御朱印代  300円(1回)
【お問合せ】:TEL 0475-(42)-2711 (房総神社振興委員会/玉前神社内)

■ 御朱印めぐりの心得
一、おかげさまの感謝の気持ちをもって、心穏やかに巡拝しましょう。
一、御朱印は大切に扱いましょう。
一、御朱印をいただく際は神社の神さまに必ずお参りしましょう。
一、昼間にお参りしましょう。(目安は朝9時〜夕方4時です)
一、神主がいない日もあります。不安な場合は事前に連絡しましょう。
一、神社への道順は各神社に尋ねましょう。神社を探すのもまた楽しいものです。
一、道中は安全に気をつけましょう。
一、御朱印帳には必ず氏名を記しましょう。

■ 御朱印めぐりの仕方
一、37の神社を参拝して札所などで御朱印をいただきましょう。
* 参拝する神社の順番は問いません。
* 交通手段は問いません。鉄道やバス、自動車、自転車、徒歩、なんでも可。
二、最初の神社で特製の御朱印帳を手に入れましょう。御朱印帳代として200円をお納めください。
三、御朱印帳を手に入れたら、巻頭の絵馬に願いごとを記しましょう。
四、御朱印は各神社300円です。
五、安房國、上総國、下総國各国の神社の御朱印を集めると満願。37社すべての神社の御朱印を集めると大満願となります。達成した神社で特製絵馬をいただき、改めて願いごとを記してお納めください。後日、神社にて願いがかなうようにご祈祷いたします。

■ ふさのくに神社御朱印めぐりについて
この御朱印めぐりは、平成22年正月に「外房開運波乗り神社御朱印めぐり」として、外房地区14の神社によりスタートし、さらに平成23年正月には内房地区の神社も参加し、内房・外房地区22の神社によって「房州開運波乗り神社御朱印めぐり」として再スタートしました。
御朱印を集めながら各神社を巡拝することで、神社により親しんでいただき、あわせて神社の振興、さらには地域の活性化を図ろうと始められましたが、おかげさまで多くの方々が参加され、大いに盛り上がりました。
そして、範囲を千葉県全域に広げ、安房國、上総國、下総國の旧国の括りのもと、37の神社で「ふさのくに神社御朱印めぐり」を平成26年2月(立春)より開始することとなりました。 会の名称も「房州神社振興委員会」から「房総神社振興委員会」に改称しました。
日出ずる国の日出ずる処に鎮座する神社を巡拝し御朱印をいただき、さまざまなおかげに感謝しながら、神々の気をいただかれてください。

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神社の紹介

●安房國
安房神社
鶴谷八幡宮
岩井神社
高家神社
莫越山神社
天津神明宮

●上総國
玉前神社
遠見岬神社
瀧口神社
春日神社
玉ア神社
國吉神社
白子神社
縣神社
五所神社
金刀比羅神社
瀧神社
大宮神社(五井)
大宮神社(草刈)
島穴神社
八劔八幡神社
人見神社

●下総國
香取神宮
側神社
海上八幡宮
猿田神社
玉ア神社
水神社
熊野神社
埴生神社
麻賀多神社
寒川神社
千葉縣護國神社
二宮神社
櫻木神社
意富比神社
葛飾八幡宮

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2017年04月03日

莫越山神社(千葉県南房総市)

莫越山神社 (なこしやまじんじゃ )
2017年(平成29年)3月6日 参詣
千葉県南房総市沓見241 鎮座

『延喜式神名帳』にある「莫越山神社(安房国・朝夷郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社

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一の鳥居

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社号標

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二の鳥居
これより参道は直角に曲がり石段を登る。

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説明板

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手水舎

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吽の狛犬

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阿の狛犬

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三の鳥居と拝殿
簡素な桧皮葺きである拝殿、 前面に「すだ椎」の古木が立ち、背面には楠の大木が茂っている。

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本殿


社記によれば、初代神武天皇元年、天富命が忌部の諸氏を率いて、安房国に来臨し、東方開拓を進めた時、随神の天小民命が祖神である忌部の神、手置帆負命・彦狭知命を祀ったのが創祀。

大化の制においては国司の祭祀に預かったとされ、『延喜式神名帳』を経て、鎌倉時代初期の治承年間(1177年-1181年)に源頼朝が祈願、神田20町を寄進したという。

戦国時代、里見氏が領主の際も3石の寄進があり、江戸時代以降も3石の寄進があったという。代々領主の祈願所だった。

享保9年(1724年)、社殿造営の時に新宮に山中4ヶ所に祀られていた彦火火出見尊・豊玉姫命・鸕鷀草葺不合尊を合祭し、天保年間(1831年-1845年)に相殿とした。

彦火火出見尊は梅大御神、豊玉姫命は子安大神、鸕鷀草葺不合尊は間子大御神と称され、敷物の祖神・安産育児の神・海猟海上安全の神として崇敬された。

明治6年(1873年)に郷社に列し、明治25年(1892年)12月、小松大将宮彰仁親王から社号額字の真筆が下賜され、現在拝殿正面に奉掲されている。




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宮司さん宅にて御朱印を頂きました
あいにくの雨天での参拝でしたが暖かく迎えていただき感謝です

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御朱印

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2017年04月01日

天津神明宮(千葉県鴨川市)

天津神明宮(あまつしんめいぐう)
2017年(平成29年)3月5日 参詣
千葉県鴨川市天津2954 鎮座

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社号標

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一の鳥居

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二の鳥居

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三の鳥居

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狛犬

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説明板

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手水舎

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拝殿

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扁額

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本殿

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神代の昔、天孫降臨に当って国譲りした事代主神が海路当地に移り、東方鎮護の神として鎮座し、これを庤明神と崇敬したことが当社の始まりと伝えられている。

平安時代末期の治承4年(1180年)、石橋山の戦いに敗れ安房に逃れた源頼朝が、源氏の再興を伊勢の神宮(伊勢神宮)に祈願し、御厨一処の寄進を祈誓したという。

また、寿永元年(1182年)に、頼朝の妻である北条政子の安産祈願の祈祷のため、奉幣使として三浦義村が当社へ遣わされた。

頼朝は一ノ谷の戦いの後、寿永3年(1184年)、安房国に東条御厨(白浜御厨、阿摩津御厨)を設け、伊勢より神霊を勧請し、以前より鎮座の庤明神とともに祀った。

文治元年(1185年)には生倫神主が参籠したところ、霊夢の奇端があったので、頼朝から飛龍と号する馬が奉納され、以降も関東武家の崇敬を受け、「房州伊勢の宮」と仰がれた。

小湊に誕生した日蓮も当社を深く尊崇し、修行地清澄への道程には、必ず当社を参拝したと伝わる。当社について、「日本第二のみくりやや今は日本第一なり」としたという。

また、日蓮は開宗後、妙法弘通を当社に祈願、その時奉納されたと伝えられる「川向の御曼陀羅(布本尊)」が宝物として所蔵している。

現在までに御祭神は、天照皇大神・豊受大神・八重事代主神(えびす様)で、大山祇大神ほか7柱を合祀している。例祭は10月16日で、その前日の15日が宵宮で献燈祭。


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まるばちしゃの木
中国大陸南部や海南島、台湾などに生育している亜熱帯性の落葉喬木で、その北限として価値が高く、県の天然記念物に指定されている。
「なんじゃもんじゃ」の呼称伝説もある神木

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戦没者慰霊碑

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境内東側の山にはすぐれた極相林があり、「神明神社の林」として市の天然記念物に指定され、山頂には伊邪那岐大神・伊邪那美大神を祀る諾冉神社が鎮座する。


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御朱印、伊勢神宮と同じ形式で印だけです。
「その代りと言ってはなんですが、私の落書きですよ。」
と言ってくれたのが、別の和紙に書かれた「神人和楽」

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「神人和楽」
神、そして人、和み、楽しむ

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2017年03月29日

上総國一之宮 玉前神社(千葉県一宮町)

2017年(平成29年)3月5日 参詣
千葉県長生郡一宮町一宮3048 鎮座

延喜式内社(名神大社)であり、上総国の一之宮。
旧社格では国幣中社に列し、現在は別表神社となっている。
上総国一之宮として古くから崇敬を集めている。

玉前神社、名称の由来
御祭神に由来するという説、九十九里浜を古くは「玉の浦」とたたえ太東崎を南端とするところから玉崎(前)となったと云う説など諸説があります。

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一の鳥居

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大鳥居の狛犬と後ろに社号標

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二の鳥居

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御神水

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二の鳥居、三の鳥居の間、手水舎前にいた狛犬

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手水舎

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三の鳥居

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拝殿

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拝殿(左から撮影)

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拝殿(右から撮影)

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本殿

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由緒
一宮町は房総半島九十九里浜の最南端に位置し、一年を通して寒暑の差が少なく温暖な気候に恵まれた土地で、縄文弥生の頃から人々の営みがあったことが遺跡や貝塚などによって明らかにされています。
歴史の古いこの一宮町の名称の由来となった玉前神社は上総国にまつられる古社であり、平安時代にまとめられた『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』では名神大社(みょうじんたいしゃ)としてその名を列せられ、全国でも重きをおくべき神社として古くから朝廷・豪族・幕府の信仰を集め、上総国一之宮(かずさのくにいちのみや)の格式を保ってまいりました。
しかしながら永禄年間の大きな戦火にかかり、社殿・宝物・文書の多くを焼失しており、ご創建の由来や年数また名称についてなど明らかにされていませんが、毎年九月十日から十三日に行われるご例祭には少なくとも千二百年の歴史があり、移りゆく時代に少しずつその形を変えながらも、古代からの深い意義を連綿と守り伝えてきたことを何よりの宝物として、この郷の人々と共に大切にしています。
「上総の裸まつり」「十二社まつり」と称されるこのお祭りは房総半島に多く見られる浜降り神事の代表として広く知られ、壮大な儀礼をひと目見ようと、関東一円から大勢の人々が集います。


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「十二社祭り千二百年記念」事業として「平成の大修理」を行っていて、新社殿の改修が出来上がったばかりでした

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境内社の十二神社

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十二神社鳥居

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はだしの道

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はだしの道・説明板

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受付所(総合案内)にて御朱印を頂きました

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玉前神社の他、一の宮の御朱印帳も置いてありました

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御朱印


posted by かめ忍者 at 10:34| 栃木 ☀| Comment(0) | 千葉の神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする