2017年(平成29年)あけましておめでとうございます
靖国神社
2016年11月13日参詣
東京都千代田区九段北3ー1ー1鎮座
前回の参拝は2014年11月1日、靖国神社(千代田区)

靖国神社へ向かう途中の裏門にて、監視カメラに有刺鉄線と物々しい

南門から入りました
ここは、境内唯一の青銅製の狛犬出迎えてくれます。


拝殿


参拝へと並んでいるときの正面からの写真
この時警備員に注意されてしまいました^^; 正面からの写真は御遠慮くださいとのこと
「大変失礼いたしました<(_ _)>」
写真撮影は正面から外れれば大丈夫なので、横に移動して撮影するようにしましょう。
基本は他の神社の参拝方法と何ら変わらないと思います。

時期的に七五三を祝う方が沢山いました

本殿へは、そのままでは入ることができず参集殿で受け付けをする必要があります。
本殿のさらに奥には霊璽簿奉安殿があります

参道

大鳥居

こちらは清朝の狛犬といい、日清戦争の後、朝鮮の三學寺の狛犬を山県有朋氏らが譲り受け、明治天皇に献上して、靖国神社に置かれるようになった、境内最古の狛犬です。

社号標
当初は、戊辰戦争の官軍の戦死者を祀る神社だったが、東京招魂社は神社の格を上げるという意図のもとに「靖国神社」と改称される。靖国は、国を平和にするという意味。この改称と前後して、内戦の戦死者にとどまらず、国民的な対外戦争の犠牲者も合祀の対象になっていく。
靖国神社は国が管理していたが、その性格は戦後に大きく変わった。1945年12月にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が神道指令を発して、政教分離の原則と国家神道廃止を打ち出した。日本政府には宗教性を薄めて国の慰霊施設として残すか、国から切り離すかという2つの選択肢があったが、選んだのは後者だ。翌年に宗教法人令で靖国神社は民間の宗教法人となり、国のコントロール下から離れた。
1978年に当時の靖国神社の宮司によってA級戦犯が密かに合祀された。
(A級戦犯とは、日本を戦争に導いた指導者として東京裁判で罪に問われた人たちのこと)
米国、中国は、なぜ靖国参拝に抗議をするのか。基本としてA級戦犯合祀の問題があることは間違いないです。
靖国神社と首相参拝の歴史
【1869年】東京招魂社として創建。戊辰戦争の官軍戦死者を祀る。
【1879年】靖国神社に改称され、別格官幣社となる。
【1946年】改正宗教法人令で、民間の宗教法人に。
宗教法人となった後も、総理の多くは参拝している
【1975年8月】三木総理が私的参拝。公私の区別が論点に。→参拝の「基準」がつくられた
【1975年11月】昭和天皇、戦後8回目かつ最後の靖国神社御参拝。
【1978年】松平永芳宮司が独断でA級戦犯を合祀。
【1985年】中曽根総理が公式参拝。中国が非難声明を発表。
【1987年】胡耀邦失脚。中国保守派の勢力が拡大。
【2001年】小泉総理が参拝。以来、毎年参拝。
【2005年】中国で反日デモ。日本側の対中感情も悪化。
【2013年】安倍総理が小泉総理以来7年ぶりの参拝。
▼靖国神社に合祀されているA級戦犯14名
[絞首刑]
東条英機(首相)/板垣征四郎(陸軍大将)/土肥原賢二(陸軍大将)/松井石根(陸軍大将)/木村兵太郎(陸軍大将)/武藤章(陸軍中将)/広田弘毅(首相)
[終身刑]
白鳥敏夫(駐イタリア大使)/平沼騏一郎(首相)/小磯国昭(陸軍大将)/梅津美治郎(陸軍大将)
[禁固20年]
東郷茂徳(外相)
[判決前に病死]
永野修身(海軍大将)/松岡洋右(外相)
国内の靖国問題で問われている本質とは、国家の命令で戦い亡くなった人をどうするのかということで、兵士の慰霊を行うことに関して異論はないはずだ。
ただ、そのやり方については、各立場で考え方の違いがある。ここは意見が分かれるところですね。
しかし、実現は容易ではない。というのも、靖国神社は民間の宗教法人であり、国が介入できないという建前があるからだ。仮に政府が分祀を望んでも、宮司が首を縦に振らなければ動かない。兵士の慰霊は国として取り組むべき重要な仕事なのに、一民間人が外交関係にまで影響している。
そこに靖国の問題の根深さがあります。

御朱印は、拝殿に向かって右側奥にある参集殿の窓口で頂きます。朱印所・墨書所の案内板がでています
posted by かめ忍者 at 01:00| 栃木 ☁|
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東京の神社
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