2016年10月05日

乃木神社(東京都赤坂)

2016年6月4日参詣
東京都港区赤坂8−11−27 鎮座

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全国に数ヶ所存在する乃木神社の中でも、ここは乃木希典が最後を迎えた地でもありますので、特別な存在です。

乃木希典と乃木静子夫人が、明治天皇大葬(葬式)の日に自刃した邸宅の隣地に建ちます。
当時の東京市長が中心となって乃木神社の創建に携わり、大正12年に完成いたしました。その後東京大空襲で焼失するも、昭和37年に復興、昭和58年に宝物館建立に至っています。

ここ赤坂の他、栃木県の那須塩原市にある
乃木神社
へは以前参拝しました。乃木の生涯年表などは栃木の記事に載せてあります。

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乃木神社の敷地内には乃木希典が住んでいた邸宅

乃木希典氏は武士で軍人であり、教育者でもあります。日露戦争を代表する将軍として世界的に有名となりました。その後、明治天皇の勅令により学習院院長に就任しました。そのように明治天皇との関係が深かったため、明治天皇の崩御は心が砕かれるような思いがして耐えきれなかったのでしょう。多くの方に尊敬され、愛されていた乃木氏を悼んで日本国内には複数の乃木神社が存在しています

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乃木神社の御守「乃木ひょうたん」。祭神の乃木将軍も愛用した「諸願成就・福徳倍増」

千代田線乃木坂駅から15mと、大変便利です。
結婚式などを行なえる乃木会館やレストランもあり、参拝時にも結婚式が行われていました。

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posted by かめ忍者 at 20:39| 栃木 ☁| Comment(0) | 東京の神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月03日

赤坂氷川神社(東京都)

2016年6月4日参詣
東京都港区赤坂6-10-12 鎮座

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創立の起源は、古い書物によると、天暦五年(村上天皇 951年)武州豊島郡人次ヶ原(俗称…古呂故ヶ岡・赤坂四丁目一ツ木台地)に祀られました。これよりおよそ百年後の治暦二年(後冷泉天皇 1066年)、関東に大旱魃が発生、降雨を祈るとその霊験(しるし)があり、以来よく祭事が行われました。

八代将軍徳川吉宗公が享保元年(1716年)将軍職を継ぐに至り、同十四年(1729年)に老中岡崎城主水野忠之に命じ、現在地(豊島郡赤坂今井台)忠臣蔵浅野内匠頭夫人遙泉院実家だった地に現社殿を造営、翌十五年(1730年)四月二十六日に、一ツ木台地から現在地への遷宮が行われ、二十八日に将軍直々の御参拝がありました。以後十四代家茂公まで歴代の朱印状(※港区文化財)を下附され、より一層の御神徳を高め、開運・厄除・良縁の鎮守神として尊崇を深められました。

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縁結びのご利益がある事で有名で、東京三大縁結び神社にも数えられているだけあり、結婚式が行われていました。どうぞお幸せに! 幸せのお裾分けをおねがいします!!

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posted by かめ忍者 at 19:32| 栃木 ☁| Comment(0) | 東京の神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月01日

山王日枝神社(東京都永田町)

2016年6月4日参詣
千代田区永田町2-10-5 鎮座

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創建の年代は不詳でありますが、文明10年(1478年)、太田道灌が江戸城築城にあたり、川越の無量寿寺(現在の喜多院・中院)の鎮守である川越日枝神社を勧請したのに始まるという。
天正18年徳川家康が入府し江戸城内の紅葉山に新社殿を造営、徳川家光の代に半蔵門外に遷座。
そのちの萬冶2年(1657年)に起こる江戸時代最大の大火事、明暦の大火でなんと社殿を焼失してしまいます。
そして大火事の災難から2年後、ついに1659年に現在の場所に再建されることになるのです。
江戸城の南西、もっともよい方角とされる裏鬼門に位置していたため、この場所が再建の地として選ばれたといわれています。

現在の日枝神社の建物は、昭和20年の東京大空襲で全焼してしまったあと、昭和33年に再建されたものです。再建される前の当時は、すべて木造で国宝にも指定されていました。


山王下の交差点の所の鳥居から入りました。なんと長い階段の脇にはエスカレーターが引かれていました。
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社務所と宝物殿、どちらでも御朱印受付しています。
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御朱印の初穂料は500円です。

栞と根付のおまけ付きで、栞にはいろんな種類があります!
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posted by かめ忍者 at 12:14| 栃木 ☁| Comment(0) | 東京の神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月04日

波除稲荷神社(東京 築地)

2015年1月30日参詣
東京都中央区築地6-20-37 鎮座

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築地一帯は一面の海でした。江戸開府(1603)時の慶長江戸絵図には、今の日比谷のお堀の辺りまで汐入を描き、八重洲の海岸に船の役所が見えます。開府前より始まった江戸城西丸の増築に掘られた、お堀の揚げ土を以って日比谷入江から埋め始められた、江戸東南海面埋立は、その後全国の諸侯七十家に千石に一人の人夫を出させ、後にはその埋立の役員の名をとり、尾張町、加賀町等と名附けられました。

そして70年の後、明暦の大火の後に4代将軍家綱公が手がけた最後の埋立の工事困難を極めたのが、この築地海面でした。堤防を築いても築いても激波にさらわれてしまうのです。

そんな折、海で発見された稲荷神体の像を手厚く祀ったところ、海は凪ぎ、明暦の大火(1657年)のあと元号の変わった万治2年(1659年)には埋め立てが完成し築地が誕生した。爾来「波除」を冠し、厄除け、航海安全、商売繁盛の神社として今日に至っているとのこと。

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2016年07月03日

鉄砲洲稲荷神社(東京)

2016年1月30日参詣
東京都中央区湊1-6-7 鎮座

鐵砲洲稲荷神社は、江戸湊の入口に鎮座する神社として、地域の人々の信仰を集めてきました。
神社は、寛永元年(1624)頃、稲荷橋南東詰に遷りましたが、明治元年(1868)現在地に移転し、今日に至っています。
関東大震災により被害をうけた境内は昭和十年(1935)より復興、整備され、正面中央奥に社殿、左手に神楽殿と摂社八幡宮、右手に社務所と手水舎が向かい合うように配置され、境内西南隅に神輿庫が設けられています。また、西北隅には富士山の溶岩で築いた富士塚があり、そこを富士信仰の場としていました。むかしの富士塚は「江戸名所図会」にも描かれた有名なものでした。
境内は昭和初期の神社建築とその配置の有様をよく伝えており、また、富士塚も区内唯一の富士信仰の名残りをとどめている点から、共に中央区民文化財に登録されています。

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鉄炮洲稲荷橋湊神社・歌川広重
 ↑ 絵の中央に見える水路は八丁堀(桜川)、橋は稲荷橋。

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平成の大改修で工事中でした。
社務所の解体撤去ならびに参集殿の新築、富士塚の改修・復元工事などが行われるそうです。

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posted by かめ忍者 at 12:06| 栃木 ☁| Comment(0) | 東京の神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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