2016年11月11日

国定赤城神社(伊勢崎市)

2016年8月17日参詣
群馬県伊勢崎市国定町2-1528
旧東村の赤城神社はJR両毛線と早川が交差する地点の西側にあります。大通りに接しておらず、地理的にちょっと分かりにくい場所にあります。

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当社の創建は不詳ながら、文治二年(1186)源頼朝の家臣で上野守護の安達藤九郎が、国土開拓の神である大己貴命と豊城入彦命の御神徳を尊び、再建したと伝えられている。
永禄年間(1558〜70)には国定越中守により改修が加えられ天正十八年(1590)の北条氏滅亡後は、国定村の鎮守神として村人達に信仰されてきた。
享保年間には前橋城主の酒井雅楽頭の奉幣を受け、以後毎年幣帛を納め祭事を行い、明治を迎える。
現在の社殿は、昭和四年(1929)に国定字古屋敷より現在地(旧菅原神社鎮座地)に移転改築されたものだそうです。

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この神社に伝わる獅子舞は遠く戦国時代より行われていたものであり、栃木県日光市今市で起こった文挟(ふばさみ)流の獅子舞と伝えられています。

舞の様式は日挟流神懸かり一人立ち三人連れ(牝獅子一、雄獅子二)というもので、関東地方で一般に舞われているものとほぼ同じですが、雄獅子のうち片方は鳳凰元(ほうおうがん)と言って角が1本の大変めずらしいものです。
笛は六穴の真笛他数名で演奏され、唄い方も二名以上で唄われます。歌は「立唄」「鳥居誉」等三十種類以上あり、中には国定領の由来を入れたものもあります。
舞い手は腰太鼓を打ち、「五穀豊穣」「厄病災難除け」「雨乞い」等を祈願しながら次の九種類の舞を舞います。

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2016年11月09日

旗本久永氏陣屋跡 大東神社(伊勢崎市)

大東神社(だいとうじんじゃ)
2016年8月18日参詣
群馬県伊勢崎市東小保方町3297-2 鎮座 (旧東村)

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大東神社の創建に関する由緒は不明であるが、豊城入彦命の東征に際して、その武臣が先駆して来て、神社を創建したのが始まりと伝わる。

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大東神社境内は、東小保方村を支配した旗本久永氏陣屋跡である。陣屋は東西75メートル、南北120メートルで、周囲に濠を巡らし、郭部分は外側より2.5メートルほど高く、枡形陣屋として近世陣屋の特徴を良く残している。
明治維新後は廃され、一時期小保方小学校として使用されていたが、大正5年(1916年)には周辺の神社を合祀した大東神社がおかれ今日に至っているものです。


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国定赤城神社にて墨書きを頂きました。御朱印は赤城神社のものです。

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2016年11月05日

小泉稲荷神社(伊勢崎市)

2016年8月18日参詣
群馬県伊勢崎市小泉町265 鎮座

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旧佐波郡東村、現伊勢崎市の小泉稲荷神社に参拝しました。
まずはかなり遠くから姿が見える大鳥居を目指して進みますほんとに畑しかない中にその大鳥居はそびえ立っていましたなかなかの迫力です!! 周りは見渡す限り畑で神社の姿は全くみえません。

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小泉稲荷神社は、人皇十二代崇神天皇の御代に豊城入彦命が東夷征討の際、案内の武臣が勅命によって山城国伏見稲荷大明神の御分霊を奉紀し住民の安穏と五穀豊穣を祈願し崇敬の道を教えるため創建されたと伝えられています。
その後、慶長五年(1600年)この地の領主久永源兵衛は崇敬の念が篤く社殿を修理し敬神の範を示したために領民からは氏神としたと云われています。特に江戸時代末期の祭礼日には近郷近在の参詣人で非常に賑わったと云われています。
明治、大正時代を経て昭和の御代に入り社殿も老朽化した事から社殿造営の奉賛会を組織し崇敬者の多数の御協賛により、昭和36年(1961年)4月に現在の社殿を造営しました。
稲荷大明神様の御神威益々輝き、霊験あらたかな御神徳を仰ぎ幸福を願う崇敬者は現在数十万人にも及ぶ賑はしさになり、崇敬者の稲荷大明神への大願成就の奉賽は奉納金、又は鳥居の奉納によって行われております。
現に社前には百数十基にも及ぶ鳥居が献進されておりますが、崇敬者の真心を顕現し小泉稲荷神社の神域の基礎と神威の象徴を明らかにするために、大鳥居の建設が計画され昭和53年(1978年)11月大鳥居建設奉賛会を組織し、万余人に及ぶ崇敬者の御協賛をいただき、昭和56年(1981年)4月15日に総工費1億円の大鳥居を竣工しました。(小泉稲荷神社由来書より)


入口には大量の鳥居が林立していて、その密度に度肝を抜かれました
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白狐納所
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御朱印を頂くため社務所へ行くと神職には見えない先輩のお姉さんが出てきた。
話を伺うと、地元の住民が交代で管理をしているらしい

しかも印はセルフで押すとのこと
人生初体験です。半紙を頂き練習させてもらい、いざ本番・・・うまく押せませんでした
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勿論、日付も自分で書き入れです。

posted by かめ忍者 at 21:36| 栃木 ☁| Comment(2) | 群馬の神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月21日

中之嶽大国神社(群馬県)

中之嶽大国神社(なかのたけおおくにじんじゃ)
2016年4月29日参詣
群馬県甘楽郡下仁田町上小坂1248 鎮座

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妙義山中之嶽神社の境内には中之嶽大国神社(なかのたけおおくにじんじゃ)があり、金色の日本一大きい大黒天が鎮座しています。
大黒天は小槌持っているのが一般的ですが、ここの大黒天は剣を持っている珍しい姿です。

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何故剣を持っているかは、不動明王と大黒天が習合した姿と言われる説、中之嶽神社の神宝が剣であることから、剣を持ってという説があります。

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高校野球球児の聖地甲子園球場。
甲子の年(1924年・大正13年)に完成した為、甲子園球場と名付けられました。

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そして、大黒天の縁日が甲子(きのえね)の日ということで甲子大国神社(きのえねおおくにじんじゃ)ともいい、特に甲子の日にお参りすると、御利益があるといわれております。

その甲子繋がりということで中之嶽大国神社は野球の神様としても有名なのです。
ご利益巡りの原点の1つ 息子の野球での活躍! かねてから、行ってみたいと思っていた神社でありました。

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2016年09月20日

妙義山 中之嶽神社

中之嶽神社(なかのたけじんじゃ)
2016年4月29日参詣
群馬県甘楽郡下仁田町上小坂1248 鎮座

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妙義山の昔は有料道路であった山岳ルートを走り、最高地点に近いところに神社はあります。 森林公園のさくらの里に隣接していて、里が満開を過ぎた頃、やや遅めの開花を迎えていました。

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社殿は長く急勾配の階段の上に建立され背後にある轟岩を御神体とする為、拝殿(明治時代再建、入母屋、銅板葺、桁行3間、梁間2間、正面1間向拝)と幣殿のみの社殿形式になっていて古代からの巨石(岩)信仰の名残が見られます。

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日本武尊が東征の際、妙義山に登嶽したことにちなみ、第29代欽明天皇の時代に妙形氏によって創建されたと伝わる。江戸時代には小幡藩の鎮守社とされた。

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奇岩がいたるところに見られる妙義山の中でも中之嶽の景色は、日本屈指の山岳美と讃えられている。

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posted by かめ忍者 at 21:44| 栃木 ☁| Comment(0) | 群馬の神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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