健武山神社(たけぶやまじんじゃ)
2015年1月10日奉拝
栃木県那須郡那珂川町(旧馬頭町)健武2302 鎮座
延喜式内下野十一社の一つで大同元年の 創始といわれています。
この地方の産金は「那須のゆりがね」として 昔から和歌にも詠まれ遠く都にもその名が知られていたそうです。

那珂川町の旧馬頭町健武地区では奈良時代に金が産出し、かの有名な東大寺の金銅廬舎那仏、いわゆる「奈良の大仏」に使われ、そして奈良朝廷の財源としても重視されていたとのことそして、採金地に鎮座する武茂神(健武山神社)に高い位が授けられたことが「続日本後紀」に記されているようです。
由緒沿革:
806年(大同元年)に創祀され、835年(承和二年)に従五位下の贈位が奉ったというこの神社について、その後幕末に近いころまでの推移は伝えるものがない。
中世にはこの地は宇都宮氏から分出し武茂氏の支配するところであった。武茂泰宗をはじめ歌人としても知られた人々を出している武茂氏は、当然領内の鎮守のこの神社への崇敬厚いものがあったと思われるが、中世に関しては神社の沿革を伝えるものは残っていない。近世に入ってからは、武茂郷一帯は徳川御三家の一つ水戸徳川領となる。武茂の古名も廃されて、馬頭の名に改められた。
それまでは中世からの神仏混合の姿のまま、神社は修験大泉院が累代にわたり奉仕していた。1717年(享保二年)に健武山神社と改称したと伝えられるが、1761年(宝暦11年)には那須三社健武大権現と称した。
1884年(天保15年)は12月に弘化と改元されるが、その正月に水戸徳川斉昭は修験大泉院の神社奉仕を廃止し、改めて神官を任命して奉仕にあたらせた。そして健武山神社を那須郡16村の鎮守とし、社殿の修営、大遷宮を行い、これに要する神器、遷宮費用の全ては水戸藩により奉納された。さらに斉昭は社領17石の地を寄進し、毎年3月29日の例祭には奉幣師を遣わした。
明治維新の廃藩の後は、こうした保護を失うことになるが、後に郷社に列せられた。
御朱印を頂き・・・気が付いた事があった 御朱印の「武」の文字 ある意味レアもの
忙しい中、墨書きして頂き感謝しております<(_ _)>
posted by かめ忍者 at 22:00| 栃木 ☀|
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栃木の神社・寺院(南東)
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