2016年03月03日

益子 亀岡八幡宮(栃木県)

2015年2月1日奉拝
栃木県芳賀郡益子町小宅1369ー1鎮座

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由緒書によると
「源義家が勅命で奥州の安部貞任他を征伐の途次、この地で、岩清水八幡に戦勝を祈願したところ、芦檀沼に大霊亀が現れ奇瑞を示した。これに義家は喜び勇んで進み夷賊を討滅.した。凱旋の後、社殿を創建し、康平7年(1064年)勅命を以って亀岡八幡宮と称した」とされる。
現在の本殿は明治14(1881)年造営されたものである。

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posted by かめ忍者 at 19:41| 栃木 ☀| Comment(0) | 栃木の神社・寺院(南東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月02日

鷲子山上神社(栃木県)

2015年1月10日奉拝
栃木県那須郡那珂川町矢又1948鎮座

鷲子山上神社は
栃木県では「とりのこさんしょうじんじゃ」
茨城県では「とりのこさんじょうじんじゃ」と呼び方が変わったり、社務所も各県別に存在しますが、栃木県側しか開いてませんでした。

鷲子山上神社は栃木県と茨城県にまたがる全国でも珍しい神社。


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※「とちぎ神社ガイド」とちぎ鎮守の森めぐり より

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鷲子山上神社は、栃木県(馬頭町)と茨城県(常陸大宮市)の県境が大鳥居の中央、並びに奥の御本殿の中央を通るという全国でも珍しい神社で、標高470メートルの山頂にあります。
神社の創建は、大同2年(807)。大蔵坊宝珠上人が諸国遍歴中に四国の阿波国(徳島県)に立ち寄り、製紙業が盛んであることを知り、紙漉きの技術と共に守護神である天日鷲命(あめのひわしのみこと)を勧請し、鷲子山に社殿を建立したといわれます。

一つの神社が栃木県茨城県両県の文化財に指定されているような神社は全国でもここのみと思われます。
江戸時代までは水戸領でしたが、明治の廃藩置県により県境が神社の中央を通ることになりました。
奈良時代の「常陸国(ひたちのくに)風土記」には「下野国(しもつけのくに)との境の大山」と書かれており、1000年以上前より国境いであったようです。
一つの御社殿ですが、宗教法人としては栃木県茨城県二つの神社と数えられています。


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社務所は栃木県側しか開いてないので、御朱印はもちろん栃木県側にて頂きました。


posted by かめ忍者 at 07:18| 栃木 ☁| Comment(0) | 栃木の神社・寺院(南東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月01日

健武山神社(栃木県那珂川町)

健武山神社(たけぶやまじんじゃ)
2015年1月10日奉拝
栃木県那須郡那珂川町(旧馬頭町)健武2302 鎮座

延喜式内下野十一社の一つで大同元年の 創始といわれています。
この地方の産金は「那須のゆりがね」として 昔から和歌にも詠まれ遠く都にもその名が知られていたそうです。

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那珂川町の旧馬頭町健武地区では奈良時代に金が産出し、かの有名な東大寺の金銅廬舎那仏、いわゆる「奈良の大仏」に使われ、そして奈良朝廷の財源としても重視されていたとのことそして、採金地に鎮座する武茂神(健武山神社)に高い位が授けられたことが「続日本後紀」に記されているようです。

由緒沿革:
806年(大同元年)に創祀され、835年(承和二年)に従五位下の贈位が奉ったというこの神社について、その後幕末に近いころまでの推移は伝えるものがない。

中世にはこの地は宇都宮氏から分出し武茂氏の支配するところであった。武茂泰宗をはじめ歌人としても知られた人々を出している武茂氏は、当然領内の鎮守のこの神社への崇敬厚いものがあったと思われるが、中世に関しては神社の沿革を伝えるものは残っていない。近世に入ってからは、武茂郷一帯は徳川御三家の一つ水戸徳川領となる。武茂の古名も廃されて、馬頭の名に改められた。
それまでは中世からの神仏混合の姿のまま、神社は修験大泉院が累代にわたり奉仕していた。1717年(享保二年)に健武山神社と改称したと伝えられるが、1761年(宝暦11年)には那須三社健武大権現と称した。
1884年(天保15年)は12月に弘化と改元されるが、その正月に水戸徳川斉昭は修験大泉院の神社奉仕を廃止し、改めて神官を任命して奉仕にあたらせた。そして健武山神社を那須郡16村の鎮守とし、社殿の修営、大遷宮を行い、これに要する神器、遷宮費用の全ては水戸藩により奉納された。さらに斉昭は社領17石の地を寄進し、毎年3月29日の例祭には奉幣師を遣わした。
明治維新の廃藩の後は、こうした保護を失うことになるが、後に郷社に列せられた。


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御朱印を頂き・・・気が付いた事があった 御朱印の「武」の文字 ある意味レアもの
忙しい中、墨書きして頂き感謝しております<(_ _)>

posted by かめ忍者 at 22:00| 栃木 ☀| Comment(0) | 栃木の神社・寺院(南東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

別雷神社(栃木県馬頭)

2015年1月10日奉拝
栃木県那須郡那珂川町馬頭102鎮座

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栃木県那須郡那珂川町の馬頭地区。ここは、日本特有の葉たばこである「達磨葉(だるまは)」の発祥の地であり、その生産が盛んに行われていた場所でした。この馬頭地区の中心地に、“煙草神社”という通称で親しまれるのが『別雷(べつらい)神社』です。

創建は正和元年(1312)7月、相模藤沢遊行寺・呑海和尚が武茂村の浄地を選び藤沢(現在地の東)と名付け、時宗「藤慶山 香林寺」を創立、守護神として山城上賀茂神社より「別雷皇太神」と紀伊熊野大社より「熊野大権現」を勧請し、「別雷皇太神」としたのが始まりとされる。

元禄年間(1688-1704)、徳川光圀の寺社改革により根古屋(現在地)に香林寺・別雷皇太神を移転遷座

慶応3年(1867)、徳川慶篤の命により香林寺を馬頭院に合併させ、別雷皇太神を独立させる。

代々僧侶が奉仕していたが、香林寺僧侶を復飾させ別雷皇太神の神官となる。

昭和21年(1946)、別雷神社に改称

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posted by かめ忍者 at 21:14| 栃木 ☀| Comment(0) | 栃木の神社・寺院(南東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

静神社(栃木県馬頭)

2015年1月10日奉拝
栃木県那須郡那珂川町馬頭2576

大同年間(806-809)誉田別命を祭神として、字若宮に祀られていました。元禄年中(1688-1703)に徳川光圀の命によって、上郷地の山腹に遷座、手力男命を併祀して静神社と称しました。

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御朱印は馬頭の「別雷神社」にて頂きました。

posted by かめ忍者 at 07:26| 栃木 ☔| Comment(0) | 栃木の神社・寺院(南東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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